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#アーティストの肖像
こんにちは! 松本路子マガジンです
マガジン始めました月間4〜7回の新作記事を目指しています。現在制作中のニキ・ド・サンファルの映画のこと、世界各地のアーティストたちとの出会いの物語を中心に、折々の写真やエッセイを掲載していきたいと思っています。内容はいろいろですが、まずは以下の興味ある8本の幹から枝葉を伸ばします。ご購読いただけたら嬉しいです!
Contents 記事の主な内容○ニキ・ド・サンファルとの出会いの物語&アート・フィ
東京国立近代美術館での展示ご報告
12月6日より、東京国立近代美術館のコレクション展にて、私の作品14点が展示されています。(2023年2月5日まで)「 女性アーティストの肖像」シリーズから、オノヨーコ、マリソル、ニキ・ド・サンファル、ルイーズ・ネヴェルスン、アリス・ニール、ルイーズ・ブルジョア、草間弥生、ルシンダ・チャイルド、シンディ・シャーマン、合田佐和子、メレット・オッペンハイム、平沢淑子、ヘレン・フランケンサラー、ブリジッ
もっとみるジゼル・フロイント ~撮影ノオト~
パリで出会った写真家パリ滞在中、ギャラリー・フランスのオーナーに、ポンピドゥ―・センター(フランス国立近代美術館)で開かれる、オープニング・レセプションに誘われた。ポンピドー・センターでは初の写真家による回顧展だという。私はジゼル・フリュンドというその写真家の名前を知らなかったが、興味を抱いてレセプションに参加した。1991年12月のことだ。パリで彼女の名前はジゼル・フリュンドと発音されていたが、
もっとみるルイーズ・ブルジョアの自宅を訪ねた! ~撮影ノオト~
ニューヨークのアトリエにて高さ9メートルにも及ぶ巨大な蜘蛛のオブジェ「Maman(お母さん)」で知られる、ルイーズ・ブルジョア。「蜘蛛」は1990年代後半、彼女が90歳近くなってから手がけた作品のシリーズで、世界数カ所の野外に設置されている。東京の六本木ヒルズ、森タワー広場にあるのもそのひとつである。
ルイーズ・ブルジョアのニューヨークのアトリエには、3回ほど訪れている。西20丁目の半地下1階、
シンディ・シャーマン ~撮影ノオト~
ネクスト・ウェイブとしてさまざまな人物に扮して、自ら撮影する写真で知られるシンディ・シャーマン。彼女を撮影したのは、1984年、東京のラフォーレ原宿のギャラリーで日本初の個展が開かれた時だった。
シャーマンの作品は現在よく知られているが、「アメリカ女性、ネクスト・ウェイブ」というイベントの一つとして、これから注目されるだろうアーティストの紹介としての写真展だった。
ダーシー・バッセル ~撮影ノオト~
英国ロイヤル・バレエの楽屋にて20年の長きにわたり英国ロイヤル・バレエ団を代表するバレエ・ダンサーとして、世界的に活躍したダーシー・バッセル。
私が最初にバッセルに会ったのは1993年、彼女が24歳の時だった。当時、世界各地で女性アーティストの肖像を撮影していた私は、ロンドン滞在中にバッセルの舞台を見て、すぐさま撮影を申し込んだ。
メレット・オッペンハイム ~撮影ノオト~
スイスのベルンにて「やり過ぎだね。ダリみたいじゃない?」と、作品を手にカメラに向かってポーズを取るメレット・オッペンハイム。1985年にスイス、ベルンの彼女の自宅を訪ねた時のことだ。
どの様な経緯でオッペンハイムの自宅に行き着いたのか、今は記憶もおぼろげだが、パリ滞在中にどうしても彼女に会っておかねばと、ベルン行きの列車に飛び乗ったのを憶えている。
私がオッペンハイムの名前を知ったのは、「毛皮
フェイス・リンゴールド ~撮影ノオト~
ニューヨークにて。行先を告げると、何台ものタクシーから乗車を断わられた。フェイス・リンゴールドの住むニューヨーク、東145丁目を訪れた日のことだ。1989年当時、ハーレムの治安はあまり良くなく、私は一抹の不安を抱きながら彼女の家に向かった。だがそこには10年来の知己を迎えるような笑顔が私を待っていた。
画家、造形作家、パフォーミング・アーティストとして知られるリンゴールドだが、なんといっても代表
大野一雄 ~撮影ノオト~
ラ・アルヘンチーナ頌東京・恵比寿のギャラリーLIBRAIRIE6で、映像作家・飯村隆彦の60年代の実験映画「バラ色ダンス」を見る機会があった。暗黒舞踏の創始者・土方巽と、舞踏家・大野一雄が共演する舞台の映像はきわめて貴重で、興味深いものだった。
「大野一雄が若い!」と思ったが、彼はこのとき50歳代。私が知っている大野一雄が、深く皺が刻まれた年齢だったに過ぎない。長い間舞台から遠ざかっていた大野が