髙品万紀子

何か特別なものを持っているなんて思わない。それでも、好奇心に高鳴る鼓動はわたしだけのも…

髙品万紀子

何か特別なものを持っているなんて思わない。それでも、好奇心に高鳴る鼓動はわたしだけのものだから。

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1年間、8カ国15都市で恋をした話

最近、「万紀子って今日本にいるの?」「ずっと海外にいるんだと思ってた!」なんて連絡をもらう事が多々ある。 本当に割と多々、ある。(笑) 最後に海外に出ていたのは、2020年2月末-3月末まで シンガポール、インドネシア、フィリピンを旅行していた時だ。 それ以降はこのコロナ禍の世界の中で 例にもれず日本から一歩も出ていない。 冒頭で述べたように、周りの友人知人から 「とにかく日本にいない奴」という印象を持たれるようになったのは 約2年前、1年間大学を休学してあっちゃこっち

    • 着たい服を着る。大きなお尻でも、太い二の腕でも、関係ない。

      私は私が着たい服を着る。 それは私をハッピーにするからであって 決してあなたのため、目に映らない誰かのためじゃない。 【以下、この動画を見て溢れ出た気持ちを書き留めておくことにした】 SNSに深く関わる仕事をしているため 伸びに伸びてるTik Tokも もちろんダウンロードしている。 いろいろなコンテンツがあることに驚く。 個人的に好きなのは 美人でセクシーな女子たちが これらのダンスをキュートに、セクシーに踊ってるやつ。 「超かわいい〜」「超美人〜」と 癒されるよう

      • 「晩御飯、何にしようかしら?」と考えてくれる人に「ありがとう」を。

        日曜日の夜。 スーパーから帰ると時計は18:40。 「あ。」と思いテレビをつけるとサザエさんの声が。 随分久しぶりに観たがとてもグッときたので この「グッときた」をここに残しておこうと思う。 今夜放送分の最後のエピソードは ワカメがサザエとフネが晩御飯のメニューをどうやって決めているのかに興味を持ち、彼女なりに解明していく姿を描いたものだった。 皆も知っている通り磯野家は7人家族。 男たち、波平とマスオさんは会社勤め。 専業主婦のサザエとフネが朝から晩まで料理を担当す

        • 思いやりって、そういうことじゃないのかなあ

          私っておこちゃまなんだろうか? 心が狭いのだろうか? ひと回り歳上の彼氏がいる。 仕事柄やお国柄、日々いろんな人と会い いろんな意味で他人との距離が近い。 それは元カノも例外ではなく なんなら今でも当時一緒に飼ったわんちゃんも 変わりばんこで世話している。 わんちゃんはとってもかわいい。 彼に罪は1ミリもない。 でも、このことに「もやもやっ」としてしまう。 彼と元カノは今でも距離がとても近い。 同僚、というか仕事上のパートナーだからだ。 今彼女にも彼氏がいて

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          おじいちゃんはかっこいい。

          おじいちゃんが亡くなった。彼は「ありのままを受け入れる」という意味の正寛という法名を授かった。法名とは浄土真宗における戒名のことだ。 昔からあっけらかんとしていていつも明るく、飾らず素直でいたおじいちゃんにぴったりだと思った。 船大工だったおじいちゃんは若い頃パプアニューギニアで船をつくっていた。当時はフランス語が話せたらしく、現地の大工の教育もしていたんだって。昔の写真を見せながら「こいつはいつもお喋りでよ〜」とか、一緒に写ってる人を指して懐かしそうに笑っていた。とって

          おじいちゃんはかっこいい。

          あけましておめでとう、私たちはまた、これから。母と共にカンボジアで年越し。

          ある日 「今年の年末は日本の寒い冬を忘れられるような暖かいところへ行きたいです。」とお母さんからLINEがきた。 既に11月。直前の焦りもあったが 「よーし!遂に母を東南アジアへ連れ出すチャーンス!」と張り切って場所選定を始めた私。 インドネシア?フィリピン?タイ? 大好きな友達も紹介したいし、海もいいし お寺もいいし、ご飯が美味しいのはここだし、 うーーんーーとーーーーーーー。 大好きな東南アジアをお母さんに見せられる!となんだか東南アジアサイドの人のような気持ち

          あけましておめでとう、私たちはまた、これから。母と共にカンボジアで年越し。

          言葉は石になる

          村上春樹の短編集「神の子はみな踊る」の あるお話の中のドライバーはこう言った。 「言葉をお捨てなさい。言葉は石になります。」 言葉というのは 多様な姿を持ち、美しくも醜くもなり得る。 その言葉の使い手次第で。 言葉が好きだ。 と、いうのは正直あまり気持ちのいい表現ではないが多分いちばん近い言い方である。 わたしは言葉が好きだし 言葉で自分をコントロールしたり 辛い時の支えにしたり 愛や熱を外に出す場所にしたりしている。 そこでふと目に入ってきた 「言葉は石になります

          言葉は石になる

          私のお母ちゃんはとってもタフだ、という話

          今年59歳になった我が母は とってもタフだ。 それは実を言えば小学生くらいの頃からずっと感じてきたことだが ここ最近の度重なる「苦労」の中に在る母を見て より一層彼女の強さを痛感したのだ。 というのも つい先月の出来事だ。 父が緊急入院し、その数日後に食道癌だと知らされ その数日後に余命1ヶ月だと知らされ、その数日後に彼は亡くなった。 我々家族にとって大変ショッキングな、言葉にできないくらいの痛みとなった以上の出来事は全てがわずか10日間の間で起きた。 癌と知った

          私のお母ちゃんはとってもタフだ、という話

          電気のない日。風鈴

          風鈴の音がこんなに大きく聞こえてきたのはいつぶりだったろうか。 それを聴きながら、何を考えるわけでもなく ただただ本のページをめくるなんて1日を過ごしたのはいつぶりだったろうか。 私は小学生の夏休みを思い出す。 家には祖父母と私だけ。 小さい頃の私の日常はほとんどこの3人で構成されていた。 「畳の部屋」と当時読んでいた だだっ広い和室で、畳の上に寝そべる。 縁側から刺す日が障子を介して ちょうどいい明るさで差し込んでいた。 寝そべりながら本を読む。 当時、小学生向

          電気のない日。風鈴

          「なんとかなる」は「なんとかする」ためのエンジン

          最近歳下や年齢の近い子と話す機会が多い。とても楽しい。 すごくエネルギッシュで「学びたい!」「やりたい!」「あれ!これ!」と行動している彼らと話していると素直に尊敬してしまう。 ありがたいことに私なんてえ奴から話を聞きたいと言ってくれる子もいて、学生時代の経験や留学の話を話す機会もあったりする。 留学に関して言うと 相談という形になることがほとんどで私はいつもこう言う 「行きたいなら行っちゃいなよ!!!」 超無責任。超他人事。 ただこれに尽きる、最終的には。

          「なんとかなる」は「なんとかする」ためのエンジン

          偶然入った路地に恋するなんて最高の日だと私は思う

          7月に入りました。 ようやく定まってきた自分のやりたいことや求めること。 深呼吸して、気を取り直して取り組む就職活動で 今日はある会社の2次面接だった。 リラックスした雰囲気で、自分でも満足のいく受け答えができたということもあり気分良く会社を後にした。 今日は時間もあるし、気分転換に神楽坂のUNPLANで作業をしようと駅に向かうその途中で思わず息が漏れるような「超ツボ」な建物を発見した。 OMG. Penangを歩いていた日を思い起こされる。重厚な石の土台に赤煉

          偶然入った路地に恋するなんて最高の日だと私は思う

          月のようなひと

          思わず胸がキュッとなるような。 ちょっと照れ臭い、嬉しい言葉をもらった。 就活の為のエントリーシートを描く日々。 こんなお題があった。 「あなたはどんなひとですか。」 ずらずら言葉を並べたらなんとか自分を表現できるかもしれない。 ただ、ここはスパッとわかりやすい一言が必要だと思った。 更に広告会社ということもあって何かキャッチーな言い方をしなきゃいけないかも、、、なんて思った。 思いつかない。 そもそも私ってどんな人間なんだろう、と悩んだ末 近しい友人何人

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