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着たい服を着る。大きなお尻でも、太い二の腕でも、関係ない。

私は私が着たい服を着る。
それは私をハッピーにするからであって
決してあなたのため、目に映らない誰かのためじゃない。

【以下、この動画を見て溢れ出た気持ちを書き留めておくことにした】

SNSに深く関わる仕事をしているため
伸びに伸びてるTik Tokも
もちろんダウンロードしている。
いろいろなコンテンツがあることに驚く。

個人的に好きなのは
美人でセクシーな女子たちが
これらのダンスをキュートに、セクシーに踊ってるやつ。

「超かわいい〜」「超美人〜」と
癒されるようなエキサイトするような感情で見ているわけですが
どこか心の片隅にちーーーーーーさく
なんだか悲しいようななんだか切ないような感情があることに
気がついた日があった。

それはとてもちーーーーさいんだけど
自分の中にたしかにある、何か寂しい気持ち。

この動画を見て思い出したことがあるので
ここに書き留めておくことにする。

私は服が好きだ。

世間的に見て自分がおしゃれかどうかは知らないし、あまり興味もない。
ハイブランドに詳しいわけじゃないし、ブランドにさほど固執しない。

それでいいと思ってる。
ただ「これ良いなあ。」と思ったものが
自分で自分に似合ってると思った時
それはとてもハッピーな瞬間

そんな好きな服を
その日の気分や予定への気持ちに沿わせて
身に付けるとそれもまたハッピーだ。

長らくそんな感じで生きてるのだが
ふと思い出した。

「そういや、昔、体型を隠す為にゆったりした服ばかり選んでいたっけ。」と。

昔からまわりの女の子に比べて身長が高く
小学生まではかなり細身だったが
中学で陸上を始めてから肉づきのいい体型になった。

おそらく遺伝的に胸も大きく
体育の時間や陸上のユニフォームを着ている時
よく冷やかされた。

太腿も太いし
お尻も大きい。
お腹も胸も。

歳の離れた姉は私と真逆で
細身でとてもすらっとしている。

彼女も私もそれぞれずっと服が好きだ。
服を着ることを楽しんでいる。

歳が離れているので
幼い私に彼女が影響したのは明らかだ。

ただ
そんな姉から10代の時によく
「万紀子って本当太腿太いよね。
「万紀子って本当けつでかいよねー。」
「その服、太って見えるからやめなよ。
やらしいよ、その格好。」
とか言われてた。

その度に傷ついてた。
「うっせーな。別に関係ねーだろ。」とかなんとか言いながら
私は毎度ひどく傷ついていた。

「ああ、私はこの服を着ちゃいけないのか。」
「ああ、私って醜いんだなあ。」
「私みたいに太い身体だと、おしゃれってできないんだなあ。」

それからしばらく
なるべくゆったりした服を選ぶようにしていた時期があった。

姉から身体のことを言われるのが嫌で
服の相談も避けるようになった。

大学生になると次第に
買い物を自分ひとりでする時間も増えて
また自由に服を着るようになったように思う。

高校、大学とまわりの友人や彼氏に
容姿を褒められたり、「その服すごく似合ってる」
「服のチョイスがまきこらしくて素敵だ」などと
ポジティブな言葉をかけてもらうことが増えた。

次第に本当に気にせず
好きな服を好きなように着るようになった。

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そして、それがとても楽しいことだと再認識した。


4年前くらい、大学生の時
おしゃれが好きな仲のいい友人が
こんなこと言っていたのを覚えてる。
胸が大きい人が着てると、服がダサく見えるんだよねー。

彼女はとてもスリムで
胸もお尻も小さくてタイトな服も
お手本のように」着こなしていた。

私は彼女のことこれっぽっちも憎くないし
間違ってるとも思わない。

彼女も私を嫌な気持ちにさせようなんて
これっぽっちも意図はなかった。

なんならわたしは
「や〜わかるー。」とかなんとか返事した気がする。

だから今思えば、という話だが
彼女の価値観であり
彼女が持ち合わせてないものに対して
とやかく言うつもりもさらさらない。

パリコレのモデルは皆、とっっても
スリムで自然と胸も小さい。

彼女たちは美しい。
彼女たちが着こなす服はカッコいい。
素敵だ。

でも

胸があったって
お尻がデカくたって
太腿が太くたって
お腹が大きくたって
肩幅がひろくたって
二の腕が太くたって
脚が短くたって
なんだって

着たい服を着て人生を楽しんでいる人は
美しいと思う

かっこいいと思う。
素敵だと思う。

それでいいと思う。

我々の社会では常に美の基準なるものが存在し
それぞれのものさしで測っている。

そのものさしは
ビジュアルとして情報が流れこんでくる
メディアに影響されることが大きい。

SNSを見ている時間がご飯を食べている時間よりも長い今の時代
SNSによってそのものさしが形成されるのもこれまた自然のことである。

プラスサイズモデルがファッション業界、SNSと華やかにフォーカスされ始めたことをわたしはいいことだと思っている。

ただ

それをいっときのトレンド、その台頭が新しいからとフォーカスするのではなく心の底からいかなる女性の美も受け入れ合う世の中になってほしいと思う。

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私はこの文章を書いていて
涙が止まらくなってしまった。

自分でもびっくりした。
私は私が思うよりも傷ついていたんだ、何気ない言葉に。

そんな人が他にもいるんじゃないかなって思った。
もしかしたら私よりもずっと苦しんでる人もいるんじゃないかなって思った。

そんな人にこの文章が届くかは
わからないけど、もし同じように思っている人がこれを見ていたら
好きな服着て楽しく生きよーぜー。」と言いたい。

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SNSでルックアップされる人たちも美しい。
でも、あなたも私も美しい。あなたと私にとって。
彼女たちもあなたも私も
可愛くも、セクシーにも、チャーミングで魅力的にもなれるはず。
我々それぞれにとって。

それが誰か第三者にとってもなりうるだろう。
そしたらそれはラッキー、嬉しいよね。

人生は短い。そのうち死ぬ。

そんな限られた時間を
他人に消費される生き方で終えたくない。

そういう意味でSNSってアンヘルシーで
嫌だなあなんて思うこともあるんだけど
(他人による消費はSNSに限った話ではない)

彼女たち(冒頭にのせた動画の女性たち)のように
自らの価値観とそれを届けて
人をハッピーにするために、そして自分たちが
ハッピーになるために使ってる人もたくさんいる。

そういう意味でSNSってとってもパワフルだし
一利用者としても、それに関わる仕事をしてる身としても

社会を良い方向へ持っていくために
使っていきたいと思う。

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