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私のお母ちゃんはとってもタフだ、という話

今年59歳になった我が母は
とってもタフだ。

それは実を言えば小学生くらいの頃からずっと感じてきたことだが
ここ最近の度重なる「苦労」の中に在る母を見て
より一層彼女の強さを痛感したのだ。

というのも
つい先月の出来事だ。

父が緊急入院し、その数日後に食道癌だと知らされ
その数日後に余命1ヶ月だと知らされ、その数日後に彼は亡くなった。

我々家族にとって大変ショッキングな、言葉にできないくらいの痛みとなった以上の出来事は全てがわずか10日間の間で起きた。

癌と知った直後に母の誕生日が訪れ、珍しく揃った3姉妹と姪っ子でささやかながら誕生会を行った。

3週間後の父の誕生日に
今日の写真を渡して励まそうね、と皆で
これでもかという笑顔で写真を撮った。

その数日後に母は
田舎のよくわからない仕来りや伝統によってややこしくなった、しかしとても立派な葬式を喪主として取り仕切り
300人以上訪れた方々へ挨拶やお礼の手配をしたり
色々な手続きをしたり、お金の管理をしたり、あれやこれやとノンストップで動き続けた。

通夜を終え
葬式を終え
納骨を終え

今度は父の契約や支払いやアレヤコレヤ。
家がどうの車がどうの遺産がどうの土地がどうの税金がどうのこうの...etc。

それをバッサバッサと捌いていく母。
役所や法務局へ毎日のように通う母。
大量の書類や証明書をファイリングしていく母。田舎のばあちゃんたちの嫌味や説教に腹立てながらもにこやかに対応する母。

突然旦那を失った悲しみに再び沈む暇もなく動き続けた。

そんな手続き百練磨の鬼の忙しさがやっとすこ〜〜し落ち着いたかなというところで

まさかの被災。


大型台風が上陸し
千葉県北部にある我が家もその暴風雨のダメージを受け、そして停電。

嫌味のようにかんかん照りに晴れる中
ごちゃごちゃになった庭を片付けるため共に汗を垂らして腕を痛めながら力を絞った。

彼女は県庁職員である。
なので停電当日からそんな家の力仕事と同時に、大変忙しく仕事の電話に追われていた。

ロウソクの光しかないリビングで
部下だか関係者の行動に対して
「人の命なんだと思ってんのよ!!」と
ブチ切れていた母は凄い形相であった。

県内の病院と関わりのある仕事なので
入院患者さんのことを思い居ても立っても居られない。
現場の人のことを思って居ても立っても居られない。

しかし、電気はないわ電車は動かないわ
道路にいろんなものが倒れてるわ信号はつかないわの状況で
すぐに動くわけにはいかなかった。

だが、停電2日目の明朝、4時。
緊急事態発生で彼女は意を決して車をかっ飛ばして職場に向かっていった。

その日からほとんど家に帰らず
休む間も無く、働いている。

詳しい仕事の内容は把握していないが
自分が被災していながらも
千葉県の被災してる方々のために
必死で働いているということだけは確実である。

ぶっ続けで働き続け、落ち着いたのは停電が起きてから6日後。
やっと家に帰ると。

私はすでに実家から都内に戻ってきているのでその怒涛の勤務の後の母に今日は会うことができないが、すぐに「母」に戻る母が眼に浮かぶ。

なんとたくましいのか。

身体的に、精神的に、という言葉では収まりきらない。

人間としてなんとたくましいのか。

このような怒涛の1ヶ月間、どちらかというと随分とめそめそして
感情的になって怒ったり泣いたり沈んだりしていた私と
泣く時は泣き、動く時は動き、やるべきことを弱音も吐かず遂行してきた母。

シンプルにいって
大尊敬である。

「あら、私気づいたらシングルママになっちゃったのね。あはははは」と
おどける母を見たときには本当に「この人ただもんじゃねえ。」と娘ながらに思った。

大尊敬である。

自分の情けなさを思い知り
母が恥じないような娘になろうと
私は決意した出来事である。

頑張ろう、私も。

私が頑張るべきことがあり
私ができることがあり
そして生きている私の家族がいる。
生きている私の友達がいる。
生きている大好きな人たちがいる。

母も私も生きている。

頑張ろう。


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