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言葉は石になる


村上春樹の短編集「神の子はみな踊る」の
あるお話の中のドライバーはこう言った。

「言葉をお捨てなさい。言葉は石になります。」

言葉というのは
多様な姿を持ち、美しくも醜くもなり得る。
その言葉の使い手次第で。

言葉が好きだ。
と、いうのは正直あまり気持ちのいい表現ではないが多分いちばん近い言い方である。

わたしは言葉が好きだし
言葉で自分をコントロールしたり
辛い時の支えにしたり
愛や熱を外に出す場所にしたりしている。


そこでふと目に入ってきた
「言葉は石になります。」という言葉が
やけに引っかかった。


彼がこんなことを言った経緯を簡単に説明する。
日本からタイへ来た医者の女性は過去の男にトラウマのような強い強い恨みを持っている。
その「何か」から随分時間が経っているようだが、彼女はふと思い出し憎悪を抱く。
タイ旅行中の専属ドライバーである男は
旅程の最後に山奥の貧しい村に彼女を連れて行き、そこに住む魔術師のような女性に手を握らせる。
そして、彼女は医者の女に
「身体の中に石がある。何か日本語で書いてある。」とその体を蝕む石の除き方を諭す。

医者の女は今まで誰にも打ち明けたことのない
「何か」をドライバーの男に聞いてもらおうとすると、彼はああ言ったのだ。


つまり
今ここで言う石は
投げる石でもなく
つまづく石でもなく

体内に腫瘍のように存在し
自然には消化も排出もされない石

である。


なぜこのドライバーのセリフが
ひっかかったのか自分ですぐにわかった。

つい先日、恋人と喧嘩になった。

大雑把にいうと
「言いたくないことを言いたくない私と辛いこともシェアして頼ってくれないと恋人な意味がない彼論争」


父親が亡くなった。
母親が力を振り絞って動き続ける。
祖父が怒る。
祖母が寂しがる。
姉が怒鳴る。
姉が泣く。

私はぐっと口を固く結ぶ。

私は本当に苦しい。


友人は肩を抱いてくれる。
知人は連絡をくれる。
道行く人はいつも通りに通り過ぎてくれる。

少し息が楽になる。


その辛さや息がしづらいのを
言葉にするのは、とてもとても痛い。

タイミングも大きく関係すると思う。

例えば腸が弱ってる時に
中にある石を無理やり見える場所に動かそうとすると
それはそれは痛いもんだ。

つまり、私は今タイミングが適切でない時に
自分の悲しみを言葉にすると
石が喉につまり、石が心臓を圧迫し
石が腸の壁を削るように痛いのだ。

それが
「言葉は石になります。」がやけに
腑に落ちた理由だった。

言葉にしてしまうことで
声に出してしまうことで
書いてしまうことで
頭の中で単語を当てはめることで

それはゴロゴロと不快に体内に残る。


そんなわけで
恋人に「さぁ、なんでもいってごらん。」と
言われても

「今日は痛い思いをしたくないわ。」と
口をつぐんでいたら喧嘩になってしまった。


石になるとは言え
それが痛みをもたらすということを
他者に伝えるのがこれまた難しい。


その対人関係について今は置いておくとして

これまで言葉を愛していたが
ドライバーの男のひとことで
言葉への畏怖も気がつくことができた。


ここに言葉を並べているのも
なんだかすべきことでないような気持ちに
なってきたからここで終わりにしよう。


またあとで。


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