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あけましておめでとう、私たちはまた、これから。母と共にカンボジアで年越し。


ある日

「今年の年末は日本の寒い冬を忘れられるような暖かいところへ行きたいです。」とお母さんからLINEがきた。


既に11月。直前の焦りもあったが
「よーし!遂に母を東南アジアへ連れ出すチャーンス!」と張り切って場所選定を始めた私。


インドネシア?フィリピン?タイ?
大好きな友達も紹介したいし、海もいいし
お寺もいいし、ご飯が美味しいのはここだし、

うーーんーーとーーーーーーー。


大好きな東南アジアをお母さんに見せられる!となんだか東南アジアサイドの人のような気持ちでテンションが上がってしまい悩む。

悩んだ結果、最強ローカルツーリズムのプロである
まいまい姉さんからアドバイスとお助けを頂戴し、カンボジアの観光都市シェムリアップに決定!


超〜素敵なホテルを教えてもらい、遺跡巡りと南国の気候に想いを馳せた
母は極寒の日本で既にわくわく。


実はシェムリアップは
個人的にまた戻って来たかった場所。


東南アジアに電撃が走るような恋に落ちた大学2年生の夏、19歳。

3週間のゼミ自主海外研修旅行はそれまでで一番長い海外滞在で初めての東南アジアだった。その最終目的地であり、ゼミ生と研修旅行を締めたのがシェムリアップだった。


旅をする魅力、やりたい事に正直に向き合うことへのきっかけをくれた
当時のパートナーとふたりで旅行したのが2017年、20歳の時だ。


初めて大きなバックパックを背負ってあちこち歩き回り、自分たちで探検した。


とりわけカンボジアという国やシェムリアップという町を意識的に選んできたわけではないのだが思い返すと気が付かぬうちに愛着の沸く町になっていたのだった。


そして2019年の終わり、そして2020年を迎える日を10年ぶりに日本の外へ出た母と過ごした。

10代の頃はよく父と3人で国内旅行をしていたから、母と2人でする旅行は11年ぶり。

私は23歳になっていて、母は59歳。


海外旅行なんて、さらさら頭にない父と30年連れ添った母は仕事で行ったバンコクから10年ぶりの海外。(バンコクの変化もぜひ見て欲しいものだ)

そんな母はポル・ポト政権時代のニュースを当時リアルタイムで見聞きしていたそうだ。

10代の母にとって
それはあまりにショッキングで今でもその時のニュースを覚えていると言っていた 。

「カンボジアのイメージは内戦と貧困。」
旅行に行くなんてイメージはその時のショッキングな印象からなかなか発想が及ばなかったと。

そのイメージが全て間違いではないし
依然として悩ましいことが在るのも事実だが
当時からの大きな変化もあまり想像しなかった母は
今回の旅で「知らなかった!!」の連発。

そんな母を見るたびに私はなんだか
「むふふ。」となっていたのを母は知らないだろう。

だって私は知っているから。その「知らなかった!」がどれだけワクワクして楽しくてエネルギーを得るフィーリングで在るかを。


そしてふと気がついた。
「あ、私、まじでお母さんの娘だわあ〜〜〜。」


10年ぶりの海外で、超コンサバティブな(臆病で繊細な)父と30年以上
付き合ってたにも関わらず好奇心の下で何事にも臆せず触れていく母。

「小腹減ったね〜。」と道端で話していると目の前に
バインミーのようなサンドイッチのカートが。The 東南アジアストリートフードのあのカート。

60歳の母を気遣い、一応「私これ食べたいんだけどお母さんどうする...?」

「えー!いいねえ!私も食べたーい!」
むしろ超ポジティブだった。

その後もストリートフードに興味津々の母はナイトマーケットでも
「えー!これおいしそー!」と言い、「これ、プリーズ!」と買いだす始末。


帰国後には
「アンコールワットもいいけど、町がいちばん面白いね。
毎日見るたびに変わるし、なんか、リアルでね、、、うまく言えないけど、、。」と彼女が言った時

娘は「そうそうそうそうそう、いや、わかるよ。」とテンションが上がり
2人でまた酒が進んだのであった。

振り返ってみれば母は毎日ホテルから繁華街まで歩くことにこだわった。
トゥクトゥクを使えばすぐの距離だが歩いてその目で足で肌で町を見ることを楽しんでいた。


そんなわけで母と私は町も遺跡もホテルも愛でて楽しみながら
12/30から1/4までの6日間をマイペースに過ごした。


母にとって、2019年は本当に怒涛の1年だった。

私の2.5倍程生きてる長い彼女の人生の中でも
最も身体的にも精神的にも辛い年だったと思う。

長年の念願だった北海道旅行の直前に旦那が倒れ、30年以上連れ添った彼が突然目の前で冷たくなってしまった。

自分の父親の体調はみるみる弱っていき、災害や事件で仕事漬けの日々。


そんな随分と冷たく厳しい2019年が与えた痛みや苦しみをシェムリアップの力強くも心地よい日差しと柔らかい風が優しく洗い流してくれたような気がした。母から、私から。


「あーー!2020年、頑張ろうっと!!」と
アンコールワットで初日の出を拝んだ後に
屈託のない笑顔でそう言った母は、きっと心の底から言っていると思った。


「海外旅行、東南アジアなんて俺は絶対行かないな〜」
と言っていた父だが

この母の「スカッ!」とした姿を見たら
「万紀子、ありがとね。」「俺も行きたかったなあ。」と言ってくれる気がする。

北海道旅行もおじゃんになっちゃったしね。全然違う場所だけどお母さん楽しんでたからいいでしょう。

お父さんは超心配性だから
お母さんを置いていってしまったこと
超絶心配してると思うからさ。


いやはや

何はともあれ
本当に気持ちの良い旅だった。


とってものんびり、贅沢したので
私もこれからコツコツと頑張らねばね!!!

2020年、今までのように自分のペースで
でも、今まで以上にグッと力強く歩いてゆくんだ。

大事なものはいつまでもそこに存在するわけではない。でも、確実にそれに触れた過去を大切に感謝して。


ところで、喪中の人は故人を悼むために祝い事は自粛しなくてはならないのが日本の文化だという。

だから「あけましておめでとう」も言ってはならない。そもそも「あけましておめでとう」は「無事に一年を終え、年神様をまた迎えることができて非常にめでたい。」という気持ちを周りの人々と共有する言葉なのだそう。

確かに身内や身近な人を失ったのは「無事に一年終えた」とは言わないのかもしれないけれど

私としては「彼を失ったのはとてつもなく辛く悲しい出来事だった。それでも私たちはまた新しい年を迎え、この年を生きていく。周りにはみなさんがいる。ありがとう。」という気持ちを込めて今年も言いたい。

あけましておめでとう。

あけましておめでとう、お母さん。
あけましておめでとう、姉ちゃんたち。
あけましておめでとう、おじいちゃん。
あけましておめでとう、おばあちゃん。
あけましておめでとう、姉ちゃんの旦那さん。
あけましておめでとう、姪っ子。
あけましておめでとう、友人の皆。
あけましておめでとう、いつも気にかけてくれる皆さん。
あけましておめでとう、愛すべき皆さん。

あけましておめでとう、お父さん。


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