小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、design…

小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。プロフィール・仕事詳細:http://bit.ly/3kuqUAC

マガジン

  • 馬 執 飯 店

    • 13本

    「馬 執 飯 店」は、編集プロダクション モメンタム・ホース 出身のライターによる、偏愛的ウェブマガジンです。大変申し訳ないですが、読者のことは一切考慮しない独断偏見スタイルで、コンテンツを不定期更新していきます。

  • 川崎から考える

    • 1本

    生まれ育った場所・川崎市の記憶をひもといたり学んだりしながら、川崎市に対して自分はどう関わりたいのかを模索していくプロジェクトです。

  • ライティング・ミレニアルズ

    • 41本

    長谷川リョー、オバラミツフミ、梶川なつこ、小池真幸、井下田梓の5名からなるチームによる共同マガジンです。 特定のテーマについてリレー形式でnoteを更新していきます。(たまにゲスト寄稿者を呼ぶかも?) 今月のテーマは【チーム長谷川で働くということ】です! (毎週水曜日更新)

最近の記事

飲みながら料理をすれば、夕食は同時に〆にもなる

仕事を切り上げる瞬間がたまらなく好きだ。 「今日はもう閉店」と決め、頭のスイッチを一気にオフにする。 閉店の意思決定は、達成感だけでなく、ある種の諦めとともに訪れることもある。まだまだ直近締切の仕事は山積みだけれど、気力も体力も限界を迎え、やむなく閉店する、そんな日も少なくない。 でもそんな日こそ、閉店後の初動がとても肝心だ。いかにスイッチを切り替え、たとえ短い時間でも良質なオフの時間を過ごすか。それが翌朝の思考のクリアさに、大きく影響している(気がする)。 閉店後の

    • 「好きな食べ物は何ですか?」という、地獄の質問について

      その質問が、昔からひどく苦手だった。 相手は深い意味もなく聞いているのだろう。何なら、会話を無難に運ぶための、潤滑油として口にしているのかもしれない。 でも、僕はそう聞かれると、しどろもどろになり、ついつい考え込んでしまう。結果として、相手のほうを「悪いことをしたかな」という気持ちにさせてしまい、何とも言えない空気が生まれるなんてことも、よくあった。 「好きな食べ物は何ですか?」。 これがその悪夢の質問だ。初めて一緒に食事に行くことになった人に、何てことのない気持ちで

      • 地元に友達がいない──川崎ノーザン・ソウル的リアリティ、サミットという「歴史」について

        僕は地元に友達がいない。 親が転勤族だったから地元がそもそもない、というわけではない。保育園から大学生まで、徒歩圏内での小さな引っ越しはしたものの、基本的にはずっと同じ街に住んでいた。 いや、「いない」は言い過ぎか。知り合いはいる。いちおう連絡先も知っている。ほんとうに珍しいケースではあったけれど、小学校の頃の友達と、大人になってから盃を酌み交わしたことはある。 でも、少なくとも、実家に帰るついでに大体声をかける友達や、定期的に会って近況報告をしあうような友達はいない。

        • 夢についての三つの断章

          誰しも一つや二つ、ほとんど誰とも共有してこなかった「思い出の曲」があるのではないかと思う。 わざわざ僕が繰り返すようなことではないが、音楽を聴くことの楽しみの一つに、その曲をよく聴いていた頃の記憶や感覚を追体験するというものがある。 その多くは、当時の家族や仲間、恋人、そして名前も顔も知らなくても、同時代を生きた人々と共通のものだろう。昭和歌謡バーのようなビジネスが成り立つのは、そうした記憶をともに味わうことの快楽に、僕たちは抗えない性質を持っているからだと思う。 余談

        飲みながら料理をすれば、夕食は同時に〆にもなる

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          13本
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        • ライティング・ミレニアルズ
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        記事

          日常と祝祭。その二項対立を解体する、カネコアヤノという示唆について

          僕たちの暮らしとドーピングは、切っても切り離せない関係にある。 ドーピングとは字義通りには「スポーツ選手が競技出場前に運動能力を増進させるための刺激剤・興奮剤などを服用すること」だが、ここではもう少し広く捉えることにする。スポーツ選手ではない僕のような一般ピープルが、思考能力やモチベーションといった精神的なパラメータを高めるために、なにか「刺激剤・興奮剤などを服用」することもドーピング、としておく。 眠気覚ましのコーヒー、踏ん張り時のエナジードリンク、気分を切り替えたいと

          日常と祝祭。その二項対立を解体する、カネコアヤノという示唆について

          かつて愛したルノアールのこと

          五番街へ行ったならば マリーの家へ行き どんなくらししているのか 見て来てほしい 五番街で 住んだ頃は 長い髪をしてた 可愛いマリー今はどうか しらせてほしい マリーという娘と 遠い昔にくらし 悲しい思いをさせた それだけが 気がかり 1973年に発売された、日本のバンド・ペドロ&カプリシャスの代表曲「五番街のマリーへ」の一節である。作詞としてクレジットされているのは、日本を代表する作詞家・阿久悠。 僕はこの曲に、特に深い思い入れはない。ある疲れた夜の風呂上がり、ふるさと

          かつて愛したルノアールのこと

          クリエイティブではない僕だからこそ考えたい「創造」の話

          稀にだが、文章を読んだ後、激しい興奮に襲われて、しばし放心状態になってしまうことがある。 夢中で読み進め、一息で読了し、正直そこまで内容が頭に残っているわけではなかったりもするのだけれど、雷に打たれたような気分になる文章がある。測ってないけれど、たぶんそうした状態になったとき、心拍数はものすごく上がっているだろうし、頭に血がのぼって立ちくらみ寸前になっているだろう。 つい数ヶ月前、僕は久しぶりにそんな文章に出会った。 (※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑

          クリエイティブではない僕だからこそ考えたい「創造」の話

          コロナ禍の京都で考えた「続ける」ことの意味

          去年の夏から秋にかけて、仕事で何度か京都に行く機会があった。 京都はそれまで数回しか行ったことがなかったのだが、これまでで一番、落ち着いた京都だった。 コロナ禍の、しかも平日だったからだ。海外からの観光客はもちろん、国内からの観光客も少ない。せっかくなので、知恩院のような著名な場所も含めいくつか寺をまわったが、どこもゆとりがあって空いていた。 (※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑誌『モノノメ 創刊号』について、そのいち編集部員である僕が、個人的な所感を綴

          コロナ禍の京都で考えた「続ける」ことの意味

          健康や記録のためでなく、「豊かさ」を享受するためのランニング

          「朝早く走るなんてえらいね」 半年前に少し膝を痛めてしまって以降、習慣がなくなってしまい最近は中断中なのだが、ここ数年、ずっと朝にランニングをしていた。 大会への出場を目指すなども特になく、基本的には近所を5kmほど、週に数回ほど走っていただけなのだが、かなり習慣化していた(だからこそ、半年でも習慣が途切れてしまうと、生活リズムの中に再度組み込むのが難しいのだが)。 そのことを人に話すと、たいては冒頭のような反応をされた。しかし、僕自身は「えらい」という反応にとても違和

          健康や記録のためでなく、「豊かさ」を享受するためのランニング

          憂鬱な土曜日の朝、誰も知り合いがいないドトールに行くだけで、不思議と気力を取り戻す

          時々、やることや考えなければいけないことはたくさんあるのに、朝起きて理由もなく絶望的な気分になることがある。 というか、今朝がそうだった。プライベートでここ最近頭を悩ませていることがあることもあり、せっかくの土曜日の朝なのに、とてもモヤモヤした気分で目が覚める。端的に言って、最悪だ。 僕は朝ごはんを食べてコーヒーを飲まないと頭が働かないタイプの人間なので、いつもは冷凍のご飯や作りおき、もしくはインスタントの味噌汁などで簡単な朝食を済ませているのだが、それを用意するのさえ億

          憂鬱な土曜日の朝、誰も知り合いがいないドトールに行くだけで、不思議と気力を取り戻す

          無意味な時間ばかりでも、意味を求めてばかりでもしんどい

          「意味」のないことを続けるのはしんどい。 かつて村上春樹は、誰でもできて、誰もやりたがらないけれど、誰かがやらなければいけない仕事に「文化的雪かき」という秀逸な名前をつけたが、それでも「誰かがやらなければいけない」という意義があるだけマシ。 僕の場合、いまは幸いご縁に恵まれて意義を感じられる仕事をさせてもらっているけれど、昔は「こんなものを世に出す意味があるのだろうか」としか思えない仕事に携わることもあって、とても苦痛だった。 学生時代のアルバイトでも、割はいいものの、

          無意味な時間ばかりでも、意味を求めてばかりでもしんどい

          チェーン店では味わえない、ある一つの決定的な体験──作り手と相対しながら食べることの豊かさについて

          僕はいわゆるチェーン店もけっこう好きなタイプだと思う。 それこそ松屋やマクドナルドなんて、中高生の頃から行っているけれど、今でも時折足を運ぶ。調理がマニュアル化されているがゆえの安定感のある味、時間がないときでもサクッと食事を済ませられるスピード感。そして店員さんに話しかけられることは基本的にないので、匿名性に紛れたい気分のときは最適だ。 さらに、実は街中でよく見かけるチェーン店であっても、それぞれが独自の思想に基づいて運営されていたりする。サイゼリヤはただの安イタリアン

          チェーン店では味わえない、ある一つの決定的な体験──作り手と相対しながら食べることの豊かさについて

          モノにこだわるとは、生き方にこだわるということなのかもしれない

          大学生くらいまで、基本的にモノに対してのこだわりはかなり弱いタイプの人間だった。 もちろん、以前書いたように小学生のときには文房具や無印良品にハマったりしたこともあったが、それはかなり例外的な話。音楽や本、映画など、どちらかといえばソフト寄りの趣味が多かったため、自分の内面世界を豊かにすることこそが至高だと思っていた節があるし、むしろモノにこだわるのなんて表面的でダサい、くらいに思っていたかもしれない。 でも三十路も近づいたいま、完全に転向しつつある。別に安物や大量生産品

          モノにこだわるとは、生き方にこだわるということなのかもしれない

          「あなたの一票で社会が変わる」とは言うけれども、そもそも「変わる」ってなに?

          ここ数日、衆院選の影響もあり、「変わる」「変わらない」といった類の言葉を見かけることが増えた。 「あなたの一票で社会が変わる」「選挙があってもどうせ体制は変わらない」──多くの識者やインフルエンサーが、「変わる」ことについて喧々諤々の議論を交わしていた。 もちろん、社会的に不便益を被っている人たちの状況を改善することはつねに必要であるし、僕は編集者という仕事柄「社会を変える」を仕事にしている人たちに伴走することも多い。 しかし、そもそも「変わる」とは何だろうか? (※

          「あなたの一票で社会が変わる」とは言うけれども、そもそも「変わる」ってなに?

          私たちは自分の身体について、こんなにも何も知らない──「身体というフロンティア」をめぐる冒険

          仕事柄、いわゆるデスクワークが大半を占めるので、油断するとすぐ肩を中心に身体に嫌な疲労が蓄積してしまう。 その疲労をやっつけるため、たまにマッサージに行ったり、運動したり、銭湯やサウナに出かけたりと、さまざまな手立てで抵抗を試みるのだが、未だ決定的な対処策を見出せていない。 そうした抵抗の一つとして、知人から紹介してもらった整体に行ってみたことがあった。 (※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑誌『モノノメ 創刊号』について、そのいち編集部員である僕が、個人

          私たちは自分の身体について、こんなにも何も知らない──「身体というフロンティア」をめぐる冒険

          シンプルなのに親しみやすい、無印良品の源流──民藝運動の「精神性」について

          無印良品に対しては、複雑な感情を抱いている。 記憶している限りでの最初の無印体験は、小学生の頃。当時通っていた塾の近くにあったファミリーマートに、無印良品のコーナーがあった(そういえば最近ファミマで見ないなと思って調べてみたら、ファミマでの無印良品の取り扱いは、2019年初頭をもって終了したらしい)。僕は当時、文房具にとても強い関心を抱いていて、街の文具屋さんやデパートの文房具売場を物色するのが大好きだった。そんな時、たまたまファミリーマートで、無印の文房具に出会った。それ

          シンプルなのに親しみやすい、無印良品の源流──民藝運動の「精神性」について