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「好きな食べ物は何ですか?」という、地獄の質問について

その質問が、昔からひどく苦手だった。

相手は深い意味もなく聞いているのだろう。何なら、会話を無難に運ぶための、潤滑油として口にしているのかもしれない。

でも、僕はそう聞かれると、しどろもどろになり、ついつい考え込んでしまう。結果として、相手のほうを「悪いことをしたかな」という気持ちにさせてしまい、何とも言えない空気が生まれるなんてことも、よくあった。






「好きな食べ物は何ですか?」。


これがその悪夢の質問だ。初めて一緒に食事に行くことになった人に、何てことのない気持ちで聞く人もいるかもしれない。おそらく、この世に無難な質問ランキングのようなものがあったら、上位10位くらいにはノミネートされるはずの、ありふれた質問だろう。はるか昔、平成という時代の初期に、主に小学生の間で流行った“プロフィール帳交換“という、もはや化石になったカルチャーがあったが、そこでも大抵、この類の質問は「まずはウォーミングアップ」とでも言わんばかりに序盤に配置されていた。


しかし、僕はこの質問をされるのが、とかく苦手だった。


好んで食べる物がない、というわけではない。むしろ、好物はたくさんあるほうだろうし、何ならわりと何でも美味しく食べられるほうだと思う。昔から好き嫌いは少なかった。稀代の名作『きのう何食べた?』では、料理上手の主人公のシロさんが、パートナーのケンジに対して「あいつは何を作っても『好き』か『超好き』しか言わないよな」と評するシーンがあったが、僕もまぁまぁケンジ寄りかもしれない。

苦手な食べ物なんて、パクチーとトムヤムクンくらいしか思い浮かばない。念のためことわっておくが、別に僕はパクチーやトムヤムクンが好きな人たちと敵対したいわけではない。ただ味を生理的に受け付けられないだけだ。むしろ、これらが苦手なことによって、人生の楽しみを機会損失してしまっている想いのほうが強いので、克服する方法があれば喜んでご教授願いたい。


少し言い方を変えて、「よく食べる物」なら、いくらでも挙げられる。それは高校生の頃ならマックポークやラーメン二郎藤沢店のラーメン、高校の最寄り駅にあった家系ラーメン屋、よく利用していた自習室の近くにあった松屋、富士そばだった。大学生のときなら安居酒屋の飲み放題コースで“1品”として出てくるえびせんや、大学の近くにあった人気さぬきうどん屋の鶏天うどんだった。

「最近はまっている食べ物」だって、ポンポン思い浮かぶ。最近だと、秋田に出かけた際に食べた「ふくたち」という季節限定、かつローカル限定の野菜にベタぼれしてしまった。秋田でしか食べられないので、厳密には「はまっている」というほど食べられてはいないのだけれど。それから、かぶの実と葉っぱを入れた味噌汁が簡単なのにおいしくて、ここ1年間くらいはよく作るようになった気がする。

ある程度、ジャンルを限定してもらえれば、これまたラクに答えられる。「好きな寿司ネタは?」と聞かれたら、即答で「いくら」だ(ちなみに「TOP3は?」と聞かれると2位はえんがわで、3位がいつも迷う)。ただの魚卵好きなのかもしれないが、「好きなおせち料理」は圧倒的に「数の子」。「好きなおにぎり」は、梅干しと塩にぎり、赤飯むすびがデッドヒートを繰り広げた挙げ句、たいていは梅干しが勝つ。







でも、「好きな食べ物」だけ、どうしてもだめなのだ。

なにか条件をつけることなく、特定の食べ物を「好きな食べ物」と一意に定めることが、僕にはなにか取り返しのつかないラベリングのように思えたのだ。たとえば、「好きな食べ物はカレーです」と言ったが最後、「あ、この人カレー好きな人なんだな」と未来永劫、その人に規定されてしまうのではないか……そんな恐れの感情が湧いてきてしまう。

僕はさっき寿司ネタのくだりで挙げたように、「いくら」は昔から寿司に限らずあらゆる形態のものが好きだが、それでも「好きな食べ物」の座に君臨させていいものか、いつも迷う。ほんとうに1位と言いきれるのかよくわからないのはもちろん、いくらが好きなんて、なんだか小学生から味覚が変わってない奴か、もしくは“あえて”そういうイノセントな嗜好を示すことで何らかの粋を演出している奴だと思われるかもしれない……なんて自意識が邪魔をする。

いくら意外で言えば、実はミョウガもかなり好きだ。でも、「目がない」と言っていいほど、いつも家に常備して食べているようなタイプではないし、ミョウガが好きなんて、なんだか庶民的だけどちょっと“わかっている“と見られたい奴だと思われるかもしれない……そんな自意識が頭をもたげる。





とはいえ、僕も大人になった。

30も近づいた最近は流石に、「別にここで正解を出す必要はないだろう」「どう思われたっていいや」とナチュラルに思えるようになってきていて、聞かれたときはとりあえず、いくらやミョウガなどを答えるようにはしている。むろん、完全な嘘ではない。でも、どこか少し、嘘も混じっていると思う。100%自信を持って、留保なしの「好きな食べ物」と言い切れるのか、正直自信がない。



だから、どうにかお願いだから、僕に「好きな食べ物は何ですか?」とあまり聞かないでほしい。僕はそのとき、どこか自分に少しだけ、嘘をつかなきゃいけなくなるから。


ましてや「最後の晩餐には何が食べたい?」なんて、絶対に聞かないでほしい。




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