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私たちは自分の身体について、こんなにも何も知らない──「身体というフロンティア」をめぐる冒険

仕事柄、いわゆるデスクワークが大半を占めるので、油断するとすぐ肩を中心に身体に嫌な疲労が蓄積してしまう。

その疲労をやっつけるため、たまにマッサージに行ったり、運動したり、銭湯やサウナに出かけたりと、さまざまな手立てで抵抗を試みるのだが、未だ決定的な対処策を見出せていない。

そうした抵抗の一つとして、知人から紹介してもらった整体に行ってみたことがあった。


(※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑誌『モノノメ 創刊号』について、そのいち編集部員である僕が、個人的な所感を綴ったものです。このブログを通じて、より多くの方に『モノノメ 創刊号』を手に取ってもらい、既に購入いただいた方にはより多角的に雑誌を読む一助としてもらいたいという目的で書いています。

結果から先に言うと、とても良い先生に巡り会えたものの、あらためて考えると少し自宅からのアクセスが悪く、そこに通うことにはならなかった。

ただ、疲労解消のヒント以上に、大きな発見のある時間になった。

何が驚いたかといえば、自分の身体について、こんなにも無知だったのかと気付かされたこと。脚の長さが左右で微妙に違い、それがもとになり疲労が溜まりやすいこと。背骨がしっかりと下から順番に重なりきっておらず、ややアンバランスになっていて、それも疲労の原因になっていること。

姿勢が良くない自覚はもともとあったが、左右の脚の長さの違いだとか、背骨の重なり方だとか、そんなことを意識したことは全くなかった。

人生を共に歩んできたはずの「身体」のことを、こんなにも知らなかったのか──そう気づいて愕然とした。


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PLANETSの新雑誌『モノノメ 創刊号』に収録されている、[エッセイ]最上和子「身体というフロンティア」では、舞踏家である著者が、まさにこの「身体」の深淵なる可能性に誘ってくれる。ここでは「重力」というキーワードを起点に、「身体というフロンティア」をめぐる冒険が追体験できる。

……重力につかまればつかまるほど社会的な自我は後退し、無意識世界や内在世界の強度が台頭してくる。頭ではなく身体が考える。気張って立つのではなくゆったりと柔らかく立つ。歩く。そうすることでトゲトゲした自意識は退いていく。自由とは大上段な外的なものではなく、内的な、あるかなきかの微細な領域にある。重力と仲良くなると日常生活が以前とは違って見えてくる。(P225)

よく「身体で考えることが大事」みたいな議論はあれども、だいたいが「身体」をマジックワード化して何も言っていないに等しい議論になりがちだが、このエッセイでは、舞踏家として培った感覚にもとづき、できる限り具体的にその神秘が追体験できるようになっている。読んだ後には、何かしら「身体」を冒険してみたくなる、そんなエッセイ。


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