夢についての三つの断章

誰しも一つや二つ、ほとんど誰とも共有してこなかった「思い出の曲」があるのではないかと思う。

わざわざ僕が繰り返すようなことではないが、音楽を聴くことの楽しみの一つに、その曲をよく聴いていた頃の記憶や感覚を追体験するというものがある。

その多くは、当時の家族や仲間、恋人、そして名前も顔も知らなくても、同時代を生きた人々と共通のものだろう。昭和歌謡バーのようなビジネスが成り立つのは、そうした記憶をともに味わうことの快楽に、僕たちは抗えない性質を持っているからだと思う。

余談だが、僕はずっと、2020年代くらいには、平成J-POPバーのような店がポツポツでき始めるのではないかと思ってきた。いま新宿あたりにあるような昭和歌謡バーよろしく、いわゆるミレニアル世代くらいを主要な客層として、宇多田ヒカルや椎名林檎、ラルクやGLAYを聴いたり歌ったりしながら飲める店。場所は新宿じゃなくて、渋谷のほうが合っているかもしれない。

もちろん、すでに事実上そうした性質を帯びているバーやスナックはあるとは思うが、明確に「平成J-POPバー」と打ち出しているお店はまだ見たことがない……と思って調べてみたら、どうやら福岡あたりにあるらしい。別に大して行ってみたいとは思わないが、そうしたお店の出現とともに、世代の移り変わりを感じられるのは純粋にたのしい。

話が逸れてしまった。何はともあれ、思い出の曲は、人と共有することで、簡単に共同性を立ち上げられるよすがとなる。

しかし、中にはそうした曲だけでなく、誰に共有するわけでもなく、自分一人でひっそりと聴いていて、その当時の記憶や感覚と結びついている音楽もある。おそらく、誰にでも。

僕にとっては、その一つがBOØWYだった。

僕が中高生だったのは、2000年代後半から2010年代前半にかけて。それまで心血を注いでいたテニスから離れ、見様見真似でギターを始めたのが、中学3年生のとき。

同世代でバンドに関心がある人たちの多くは、いわゆるロキノンやJ-Rockと呼ばれるようなジャンルの音楽を聴いていた。

いま思えば恥ずかしさしかないが、当時謎に尖り散らかしていた僕は、もともとX JAPANからロック的な音楽に興味を持ち始めたこともあり、周囲と同じようにそうした曲を聴くのがとにかく嫌で嫌で仕方なかった。

幸い、一緒にバンドをやっていた友達は似たような感覚を共有してくれていたので、彼らとも情報交換をしながら、X JAPANなどに加え、海外のヘヴィーメタルやハードロック、ブルースロックなどを聴いていた。いま思えばそれもめちゃくちゃ王道なので、そんなことでメインストリームに反抗する気持ちになっていたのが本当に恥ずかしいが、誰にでもある黒歴史の一つとして見過ごしてほしい。

そんな中で、一緒にバンドをやっていた友達にも言っていなかったけれど、一人で半ば自閉的に聴いていた音楽の一つがBOØWYだ。

布袋寅泰のギターがそこまで好きというわけではなかったけれど、ストイックで愚直な演奏と、キャッチーなメロディラインのアンバランスさに惹かれていたような気がする。

いま久しぶりに聴き返してみたけれど、なんというか、ほんとうに大げさな音楽だなと思う。でも、それが清々しくて気持ちいい。程よい節度を保つことが大人だとみなされがちなこの社会で、大げさであるということはそれだけで価値になる。

いくつか好きだった曲はあるけれど、ここでは「DREAMIN'」を挙げておきたい。






***

小学校低学年の頃、寝るのを恐れていた時期があった。

その理由は明白で、夢を見るのが怖かったのだ。

やたらと怖い夢ばかり見ていた。プロットはだいたい決まっていて、身近な人たちが実は鬼だった……という至極ありがちなのっぺらぼう的ホラーストーリー。それでも、幼い僕をビビらせるには十分だった。

あまりにも頻繁に見るものだから、だんだんと夢の中で「あ、これ夢だな」と認識できるようになっていった。

そんな中で、僕は夢から抜け出す方法を見出した。

夢の中で、思いっきり目をつむるのだ。長さはまちまちだけれど、だいたい数秒から10秒程度、力の限り目を閉じると、現実世界に戻ってくることができた。

この必殺技を身に着けてから、寝ることに対する怖さは徐々に薄まってゆき、いつしか怖い夢もあまり見なくなった。



同じくらいの時期、逆に寝るのが楽しみになっていたときもあった。

退屈な現実から、幸せな夢の世界へと、舞い戻れるからだ。当時、僕もまぁそれなりに好きな女の子とかがいたわけだけれど、それとはまったく関係なく、夢の中だけで出会える、現実の誰とも似ても似つかないように思える女性がいた。

具体的なストーリーラインはもう覚えていないのだけれど、僕は彼女と一緒に何かのミッションのようなものを遂行していて、それを通して僕らは仲を深めていった。いつしか僕の気持ちは、恋心に近いものとなっていた。

だから、目が覚めてこれが夢だと気づいたときの喪失感はすさまじかった。現実世界はおろか、アニメや小説の世界にもどこにも存在していない、一晩限りの妄想の中の彼女を失ってしまった絶望。いま思い返すだけでも、すさまじい悲しみに暮れていた。

しかし、奇跡が起こった。何日かに一度、夢の中で、その夢の世界にまた舞い戻れたのだ。後にも先にも、僕が「続きモノの夢」というものを経験したのは、その頃だけである。

おそらくこれが度を超すと、現実と夢の区別がつかない、胡蝶の夢のような状況に置かれてしまうのだろう。

幸い、当時の僕はそれが夢であることはわかっていたけれど、とにかくその架空の世界で彼女に会いたくて、毎日楽しみに床に就いていた時期があった。






***

記憶の許す限り、僕の人生の中で最初に興味を持った対象は「虫」だったと思う。

保育園の年少か年中、つまり4歳か5歳くらいのときの話だ。僕はとにかく昆虫に夢中で、世界に存在するあらゆる昆虫たちを宝物のように思っていた。

保育園の自由時間、他の男の子たちが園庭の真ん中でボール遊びやごっこ遊びに興じる中、僕は当時一番仲が良くて、のちに地元を代表するヤンキーになったマサトくんと一緒に、園庭の隅っこでただ虫と戯れていた。

もちろん、カブトムシやクワガタといったスター級の虫たちも大好きだったのだけれど、一介の保育園の園庭でそう出会える代物ではない。

今となっては、園庭でどんな虫と戯れていたのか、あまり思い出せないのだけれど、一つ覚えているのは「毛虫」遊びだ。

毒性がない(と思い込んでいた)黒くてフワフワとした毛虫を集めて、そうした一見「怖い」虫に触れる自分たちにささやかな優越感を覚えていた。いま思えば、人生初のマウンティング的な感覚だったのかもしれない。

そんな虫好きの子どもだったのだけれど、なぜか当時の将来の夢は「動物園の世話係」。これも覚えている限り、自分にとって最古の「将来の夢」の記憶だ。

たぶん、ほんとうは虫に関する夢を持ちたかったのだと思うけれど、当時の僕はまだ、昆虫学者のように、虫に関する仕事があることを知らなかった。その狭い見識の中で、「虫と戯れる」に最も近い現実的な選択肢として思い浮かんだのが、なぜか「動物園の世話係」だったのだ。

僕にも、同世代の男の子たちの多くがそうであったように、毎週日曜日の朝に放送される戦隊モノに夢中な一面はあった。しかし、なぜか「●●レンジャーになる!」といった夢は抱けず、やけに現実的な「動物園の世話係」という妥協案にたどり着いていた。

いま思えば、いわゆる「Will(やりたいこと)/Can(できること)/Must(すべきこと)」の交差点が、「動物員の世話係」だったのかもしれない。リクルート的な価値観を自然に身につけていた幼少期の自分が、少し空恐ろしくなる。

それでも、僕にとっては大切な、夢の記憶の一つだ。





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