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健康や記録のためでなく、「豊かさ」を享受するためのランニング

「朝早く走るなんてえらいね」

半年前に少し膝を痛めてしまって以降、習慣がなくなってしまい最近は中断中なのだが、ここ数年、ずっと朝にランニングをしていた。

大会への出場を目指すなども特になく、基本的には近所を5kmほど、週に数回ほど走っていただけなのだが、かなり習慣化していた(だからこそ、半年でも習慣が途切れてしまうと、生活リズムの中に再度組み込むのが難しいのだが)。

そのことを人に話すと、たいては冒頭のような反応をされた。しかし、僕自身は「えらい」という反応にとても違和感があった。


(※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑誌『モノノメ 創刊号』について、そのいち編集部員である僕が、個人的な所感を綴ったものです。このブログを通じて、より多くの方に『モノノメ 創刊号』を手に取ってもらい、既に購入いただいた方にはより多角的に雑誌を読む一助としてもらいたいという目的で書いています。

「えらい」というと、何らかの苦痛を感じるような営みを、無理して行っているかのような印象を受ける。

しかし、僕は単純に気持ちいいから走っていたのだ。もちろん、ダイエットにつながってほしいといった魂胆も多少はあったが、それだけでは続かない。朝日を浴びながら走ることの気持ちよさ、そして走った後にシャワーを浴びて一日を始めることがもたらしてくれる全能感や自己肯定感を求めて、いわばとても欲望に忠実に走っていた。

もっと言えば、走ることは一種のセルフケアにもなっていた。忙しくて疲れてきたり、悩み事があったりするときでも、走っていると心の中のモヤモヤが自然と整理されていく。乱暴に思われるかもしれないが、大体の悩みは走っていると良い方向に向かっていった。


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PLANETSの新雑誌『モノノメ 創刊号』に収録されている、[フォトエッセイ]高山都「走るひとり」では、そんな走ることそれ自体の豊かさを存分に味わえる。誰かと競うためでも、記録や健康のためでもなく、ただ純粋に生きることとして「走る」。モデル・タレントの著者が、ランニング体験から見える風景を語ってる。

……いつもなら、ちょっとした悩みや悶々は1時間ほど走ればだいたいスッキリする。だから、私は11年近く走っているんだと思う。自身を上手に消化させる術は持っていて損はない。(p305)

断っておきたいのが、「走ればすべてが解決する」という極端な論が展開されているわけではないということ。それでも解決しない問題との折り合いのつけ方も、生々しく描かれているエッセイだ。

やっぱりもう一度、走ってみよう──エッセイを読み、このブログを書きながら、僕自身そんな気持ちになった。


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