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【短編小説】たんぽぽは風にのって

あれはもう、長袖のセーターだけじゃ寒いような
小春日和の11月末のことだった。


「ねぇ、このオーディション受けてみようと思うの。」


と、ちょっとだけ興奮でしわくちゃになった
雑誌の切り抜きを片手に、
最高にワクワクしたような眼差しで
僕を見つめながら君は語った。


「へ~、いいじゃん!お前なら絶対大丈夫っしょ!」


なんて、強がって言ってみたけど、
内心僕の心は穏やかじゃなかった。


僕は、彼女のことが何よりもすきだった。
いや、”すき”なんて一言じゃ言い表せないほど、
好きだった。


ちょっとおっちょこちょいでドジだけれど、
芯がしっかりあるところや、
動物や弱い者いじめを絶対許せないなんていう、
見かけとはギャップのあるところ。


何かに夢中になると周りが見えなくなって
全然LINEが来ないなんて時もあるけど、
そんな僕が寂しく感じちゃうとこだって、
君が楽しんでると思うと、全然イヤなんかじゃなかった。



いつも元気で笑顔じゃないときなんて、
僕でさえほとんど知らない。


たぶん僕は、どちらかというと月のような存在で、
彼女はまさに太陽。


眩しくて明るくて、どんな人でも彼女にかかれば、
圧倒的な暖かさと包容力で、
いつのまにか陽なた色に染まっていく。


僕の彼女はそんな人。


もちろん、彼女の顔も大好きだし、
いつまでも見つめていられるっていうのは、
正にこんなことなんだろうなって思ったのが
君に出会った時の第一印象。


そんな君が今、
長年の夢を叶えるために東京へ旅立とうとしている。


もちろん、大好きな彼女だから応援してる。
応援したいし、合格して欲しい。


でも、なんだかもう僕だけの彼女じゃなくなってしまうようで、
心のなかに冷たい隙間風が入ってきて、
すごく寂しいような複雑な気分になった。




3月の終わり。
窓に入る日差しが低くて、
ベッドで寝ていた僕の目元を襲ってくる眩しい朝。


君は、東京へ旅立った。


ずっと僕の隣で咲いていた黄色いたんぽぽは、
春風にのって軽やかにゆらゆらと綿毛のダンスをしながら
大空へ飛んでいった。


僕のとなりに君はもういない。


日差しの暖かさが逆に虚しくなって、
ぼくはちょっとだけ泣いた。


僕は、きみがとばした小さな種が、
また美しい黄色いたんぽぽになるのを、
そっと心の中で願った。

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