#2000字のドラマ_小説『浅葱色ロングコート』

どうしてあのひとはいつも

あのコートを着てくるんだろう。

出会った頃、わたしは不思議に思った。

理由を尋ねてもあのひとは答えてくれなかった。

緑よりも明るいけど、きみどりよりは少し暗い。

太ももの真ん中ぐらいまで伸びたロングコート。

秋から春の間はいつもあのコートを着ている。

いつもおなじなのに、中の服の着回しがいいから

別人のように見えるし、おしゃれにちゃんと見える。

そこが、あのひとの好きなところだった。



わたしとデートするときも、必ず着ている。

ふたりで一緒にいるとき。決まってやることがある。

いつもわたしは、コートのひだりのポケットの

ふたを掴んで、手はつながないであのひとと歩く。

背の高いあのひとの横顔を、上向きで見つめる。

そしたら、あのひとは私の方を向いて、手を差し伸べる。

でも、わたしは手をつなぎたくないから首をよこにふる。

手に触れると、あのひとの感情とか生の感触とかが

伝わりすぎて怖くなる時がある。

だから、あのひとの手は触れないようにしている。

あのひとのからだに顔を寄せてみると、

いつもあのひとの匂いと、あのひとじゃない別の人の匂いがした。

それが、いつもわたしをチクチクとさせた。



あのひとは、職場では静かだ。

わたしの前ではちょっと静かだ。

みんなあのひとを信頼していて、

尊敬していて、すごい。

そりゃそうか。ドクターだもんな。

わたしはどう思われているのかわかんない。

というか、わたしのことを気にする余裕はみんなない。

だってしょうがない。看護師はみんな忙しすぎるから。

だから、ちゃんと仕事していれば誰にも何も言われない。

わたしもそれをわかっているから、ちゃんと仕事する。


皆の気もちなんて手に取るようにはっきりわかってる。あの人がいるから、だれも私に触れようとしないんだ。というか、わたしたちの関係には絶対に触れないしないんだ。ただ、みんなちょっと離れたところから、わたしたちのことを見ているんだ。好奇心とドロドロした感情をむき出しにして、見世物のように。それが本当にわたしたちにとって、いいことなのかわるいことなのかは私にはわからない。でも、それを正すにもどうしたらいいのかわからないから、とりあえずわたしたちは一緒にいるんだ。きっとそうなんだ。そうだと思うんだ。こんなことを考え出すと。嫌になる。なにも変えられない。怖い。怖い。苦しい。叫びだして逃げたい。

止まらなくなる後ろ向きの言葉。

わたしは、ぐっとつばを呑み込んだ。



ひさしぶりの休みの日。

このあいだ、あのひとの家に行った。

きれいな部屋だった。想像どおりだった。

勉強もできるから、分厚い本や難しい本が

たくさん並んでいた。私にはとても理解できなさそうだった。

黒い額縁のなかに、知らない女の人の写真があった。

整った顔だった。黒髪で、綺麗だった。私よりも。

線香の香りが、わたしの鼻に入ってくる。

あのひとが、線香をあげて、手を合わせていた。

わたしもいっしょに合わせた。


世界中が大騒ぎで、病院中も大騒ぎで、あのひとが家に帰れない間に、写真の中の人は亡くなったらしい。知らせを聞いても、あのひとは別れを告げに行けなかったらしい。たくさん泣いた。苦しくて死にそうだった。あのひとは私にだけ、弱音をたくさんはいてくれる。本音を聞かせてくれる。でも、私が同じように死んだら、こんなにかなしんでくれるんだろうか。どうだろう。でも、病院のひとはきっと悲しんでくれないだろうし、天罰だとでも思うんだろうな。ああ、そうだろう。きっと。


わたしは、ソファーでつかれて眠ったあの人に毛布をかぶせて

部屋から帰ろうとして、部屋のクローゼットがきになった。

クローゼットの中は、あの人の匂いと、

あの人じゃない別の人の匂いがした。

いつも着ているコートがあった。

ちゃんとホコリや毛玉はブラシで処理されていて

消臭殺菌スプレーで清潔にしてあった。

初めてわたしは、コートの内ポケットに手を入れた。

そこには、お守りが入っていた。

透明のビニールケースに入った

健康祈願のおまもりとちいさなプリクラ。

捨てたかったけど、あのひとが悲しみそうだし

私の仕業だってすぐにわかりそうだからやめた。



かれはきょうも、あのロングコートを着ている。

きっと、あの女の人をまだ忘れたくないのだろう。

でもいい。

いまはわたしを見つめてくれるから。

いまはそれでいいの。

それ以上も、それ以下も、私は欲しくない。

ただ、いまはあのひとのそばにいられれば。

ぎゅっ、と、いつもより強くポケットの蓋を引っ張る。

勢いがよすぎて、あの人がちょっとよろけた。

その姿に笑ってしまった。



わたしとあのひとは、そういう間柄なんだ。




[了]

ーこの小説は、タグ企画「#2000字のドラマ」応募作品です。ー