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お金による幸福か?それとも人間としての幸福か?

お金によってもたらされる喜びと、人間としての喜びとは全く別のものなんじゃないかだろうか?

お金によって作り出される幸せではなく、人間として創り出す喜び、これを私たちは、この人生に於いて追及していくべきなのではないかと思う。

お金によってもたらされる喜びは一時的なものにすぎず、自分の人生を永遠に保障してくれるものではない。

私たちは、自分の人生を永遠に保障してくれるものを見つけるべき。

お金は真の喜びを与えてはくれない。むしろ、お金は私たちから人生を搾取する。

私たち人間は、自分達の作り出したお金というものによって、自分の人生を搾取される。搾り取られる。お金によって、この身は何処までもきつく絞り上げられる。お金は私たちを絞り上げ、そしてそこから、生命そのものを、生きる力そのものを奪い取る。

よくよく考えてみれば、お金というものほど恐ろしいものはない。私たち人間は、このお金の出現によって、自分の人生の何もかもを奪われた。お金というシステムが、この社会に導入された事で、私たちは人間として本来持つその力を奪われた事になる。

お金が自分の人生を豊かにしてくれるというのは幻想。お金は一時的な幸福感を味合わせてくれるだけであり、本当の意味で私たちを満たしてくれる訳ではない。

お金とは、私たちのこの身をゆっくりと蝕んでいく。お金とは私たち人間から生きる力を搾取し、その力によってその身を増大させていく。

お金の意義、これを私たちは今一度見直すべきなのかも知れない。お金というものが私たちに日々どのような影響を与えているのか?そうした事に私たちはもっと意識を向けるべきなのかも知れない。

沢山のお金を稼いで、それで自分の好きなものを買ったり、好きな事をしたり、それで本当に自分の人生が満たされるんだろうか?私たちは人間としての幸福を追求すべきであって、お金による幸福を追求すべきではない、そんな気がしてならない。

あの有名なスティーブジョブズの言葉を最後にのせておく。

私たちは自分が死ぬときに、自分がいかに人間らしくこの人生を生きられたか?という事を回顧する様だ。

世間一般では、成功者と言われるジョブズでも、死を意識した時には、こうした事を思うのだ。

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「私はビジネスの世界で成功の頂点に君臨した他の人の目には私の人生は成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし今思えば喜びが少ない人生だった人生の終わりにはお金や財産など私が積み上げてきた単なる事実でしかない。病気でベッドに寝ていると人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持ってきた名声や財産も迫る死を目の前にすれば色あせて行き、何も意味をなさなくなっている。この暗闇の中で生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ機械的な音が耳に聞こえてくる死が段々と近づいている。今やっと理解したことがある人生において十分やっていけるだけのお金を積み上げた後は、金とは関係ない他のことを追い求めた方が良い。もっと大切な何か他のこと、終わりを知らないお金や財産の追求は人を歪ませてしまう私のようにね。物質的なものはなくなってもまた見つけられる。しかしひとつだけなくなってしまったら二度と見つけられないものがある。それは人生・命だよ」

これはスティーブジョブズの言葉。


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