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マスという名の闇

マスとは、集まり、集団、群衆、大衆、多数などを意味します。

このマスという言葉はあまりにも恐ろしい。

なぜなら、みんながいいと言っているものは、いいという押しつけを作るから。

人間ってのは、そもそも皆違う。なのに、この世界は本当におかしくて、薬一つとっても、だれかにとって有効なものは、別のだれかにも有効であるとそういう。

それってよくよく考えて見れば、おかしなことなんだけれど、それを皆気づかない。

皆にいいものなんてあるわけがない。それは薬もそうだし、いろいろな習慣もまた然り。

こういう習慣は身体にいい!とかって言うけれど、それが本当に誰にとってもいいものとは限らない。

だって、皆、それぞれ別の生活習慣をもっていて生きてきた過程も違う。と言うことは、その身体を作っているものも違う。

なのに、どうして同一のもの(習慣、思想)などが同じになるのか?それが私にはわからない。

人間っていうのは、意外に自分でなにも考えているようで考えていない。

これが本当のところじゃないかと思ったりする。

自分で考えているんじゃなくて、大衆、つまりマスによってただ誘導され、同じ道の上を歩いているだけ。その道こそが最善だという性善説に則って。

これほど恐ろしい事はない。

自分でなにもかも考える力を持たないと、これからはさらに、痛い目に遭うことになるのかもしれない。

よく誰を信じたらいいの?と言われるが、その信じる人は外部に求めるのではなく、自分の内部に求める事が大切なんじゃないかとおもったりする。

世界は今、私たちの意識を外に向けようと、必死。その目が、ここの内面に向かわない様にするのに必死だ。

大切なのは、内ではない。外だ!だから、その大切と思われるものを皆外の世界に向ける。

そうやって世界がひいた道に私たちはうまく乗せられ、そこを歩かされているだけ。

歩いている当人は自分で歩いているとそう思って居るかもしれないが、実際には違う。

わたしたちは歩いているのではなくて、歩かされている。これが真実なんじゃないかと思ったりする。

そろそろ、人間はいいものだ!という性善説を捨てる時代が来ているんじゃないかと思う。

きれいで美しく、そして慈悲深い。それが本当に人間の姿なのだろうか?私はどちらかと言うと、人間の性悪説にいつも重きを置いている。

そうでなければ、この世界の理不尽や不公平を私たちはいったいどうやって説明する事が出来るだろうか?


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