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自然に倣え

私たちは何かになろうと日々努力している。一生懸命自分というものを形作ろうと日々奮闘している。でも、よくよく考えてみたのなら、そんな事をする必要はないという事に気付かされる。

ただそのままにあればいい。でも、私たち人間からしたら、そのただそのままにあればいいという事がとても難しい。これがなかなか簡単にできない。

自然に倣えという尊いことばがある。この言葉に倣って自然を観察してみた。

私たち人間と自然の間にある差は一体何なのか?

私たちは日々何かになろうと奮闘している。でも、自然は何かになろうと私たち人間の様に奮闘はしてはいない。自然を眺めていると、人間とはいかに欲深い存在であるのか?という事を思い知らされ、人間である自分が嫌になる。

木を何時間眺めていたところで、木は木以上のものにはなろうとはしない。道端に咲く花を見ていても草を見ていても同じ。彼らは自分以上のものになろうとはしない。

道端に咲く花や草。それを踏みつけたり、自転車や車で引いたりしても、彼らはそのまま。向こうから車が来て引かれたくないから、ちょっと場所を移して咲こう!違う所に移ろう!などという事はしない。彼らはそこで人に、そして自転車や車に潰されようが、それを受け入れ潔く潰される。そういった姿を見ていると、彼らには欲というものがないのか?人間の様な恐怖や不安というものもないのか?とそう思えてくる。彼らの肝の据わった在り方に人間である私は感服させられる。

自然というものは、ただそこに在って自分の成すべき事をただ全うしているだけ。でも、その自分のすべきことも、時には全うする事が出来ずに命を落とす事もある。

この世に命を以って生まれてきたからには、もっと生きたい!もっと生きて、自分というものを全うしたい!!とそう思うはず。でも、それが出来ずに無残にも死んでいってしまう自然は数知れない。

人間やその時の環境によって、自然はいつその命を奪われるかわからない。そんな恐怖の中でも彼らは何も不平不満を言わずにただ自分の成すべき事を全うしている。なんという強さなのか?自然を見ていると、その力強さと腹の据わった生き方にもう何も言えなくなる。

生きるとはそのくらいの覚悟を以って成すべき事なのだろう!!生きるとは命がけの行為なのだ!!いつ自分の命が奪われるかもわからない。だから、懸命に自分を生きる。他のものになろうとなどしている暇などない!!そう自然に言われている気がする。

いつ何があるかわからない。だからこそ、この一瞬一瞬を精一杯生き切る。その時一番美しいという形で全力で生きる。それが自然。

何をされても、何も文句は言わない。何かをされて文句を言わなくていいように自然は毎日全力で生きている。生きるとはそのくらい命がけの行為なのだろう。

雨が降って、さっきまで美しく咲いていた花がその道端に落ちている。そういった花も拾い上げてみてみれば、その顔は自分は全力で生きたという誇りに満ちた顔をしている。彼らはどんな姿になったとしても、その顔は微笑んでいる。なんという強さだろう!!

ただ自分を全うする。ただありのままの自分を全うする。彼らに何故、その様な事が出来るのか?何故、精一杯自分自身を生ききる事が出来るのか?人間である私たちとの間に一体何の差があるというのか?

その答えはきっと、彼ら自然は自分の事をよく知り、自分自身を熟知しているという事に尽きるだろう!!自分が何であり、そしてその自分は何をするべきか?それをよく知っている。だから、毎日を全力で生きる事が出来る。

私たち人間は自分が何者であり、何をなすべき存在であるのか?という事を何も知らない。自分の外にあるものばかりを見て、自分そのものを何も見ようとも知ろうともしない。だから当然のことながら、自分を全うするなどという事は出来るはずもない。

何もかも受け入れ、そしてその全てをそれでいいと許し、それを与えられたままに成す。こうした自然の在り方に私たち人間が辿り着く事が出来るのは一体いつだろう?

今日もこうしてああだのこうだのといって、不平不満ばかり口にしている人間を見るとへどが出る。私もその一人なのだが。





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