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混沌は傲慢を生み、秩序は謙虚さを生む

私たち人間というのは皆、自分というものを過信していると最近思う。コロナの事もあるけれど、私たちは自分で自分の事をコントロールする事が出来るというそう言った強い思い込みみたいなものを持っている。

私たちは意外にも、自分で自分をコントロールする事など出来ていない。自分を制御する事が出来ているとそう思うのは、単なる幻想でしかない。実際問題、このコロナ禍にあっても自分の中にある誘惑に負けてしまうという人がわんさかいる。

自分でそれなりに感染対策していれば、それで大丈夫だ!なんてことをいっっている人をよく見かけるけれど、人間というのはそう簡単に自己制御する事は出来ない。

自分で自分を統制して生きる事が出来ているなら、今こんなことにもなっていないのかもしれない。

私たちは自分で自分の事を知り、そしてその自分を自分の意思によってコントロールする事が出来ているというそう言った幻想をそろそろ捨て去らないといけないのかも知れない。

自分はちゃんと自分というものを教育し、そしてその自分を上手く使いこなせているなんてのは、幻想の何ものでもない。私たちは、自分というこの道具を上手く使いこなす側ではなく、この自分という道具に毎日いい様に使われている存在であるという認識を持つべきなのではないだろうか?

自分の中にある制御する事の出来ない力の従者に私たちはなっている。でも、多くの人はこうした事にすら気づく事が出来ない。なのに、自分は自分でちゃんとこの自分というものを調教する事が出来ているとそう信じて疑わない。こうした在り方を見ているとつくづく人間とは不思議なものだと思わされる。

自分というものを何も乗りこなせていないのに、自分ではその自分を完璧に乗りこなす事が出来ているとそう私たちは信じて疑わない。私たちは一体何を見ているのだろう?何も出来てなどいないのに、自分では出来ていると思っている。こう思わせる脳の仕組みとはいかなるものなのだろうか?

自分で自分を制御する事が可能であるならば、今此処までコロナが世界中で広がる事もなかったのかも知れない。このコロナ禍において、私たちは今一度、この自分というものを過信した態度を此処に改めるべきなのかもしれない。

私たち人間というのは、自分の力というものをあまりにも過信しすぎている。何故、私たちは自らの持つ力をここまで過信するのか?それは、個々の人間が自分の事を全く何も知らないからなのではないだろうか?自分の事を何もわかっていない。何も理解していない。だから、私たちは容易に自分の力を過信するという事が出来てしまう。

知らないからこそ、私たちは過信する。自分というものをよく知っていれば、自分の力を過信するのではなく、人間というのはより謙虚になることが可能であると考える。

今の私たちに足りないのは、この自分の身の丈を知り、そして謙虚な心を持つ事なのではないだろうか?

今のこの世界を生きる私たちは、自分の事を知っている様で何も知らない。ただ知った気になっているだけで、ただコントロール出来ているとそう思い込んでいるだけで、実際は何もコントロール出来ていない。調教出来ていない。ここにある自分というものは、めちゃくちゃでバラバラ。何の統制も取れていない。そんなごちゃ混ぜなものが一塊になって、それが私というものを形成している。このめちゃくちゃでごちゃ混ぜに結びついたものが、私たちの持つ傲慢さを形成している。

何も自分の事を知らないから、全てがめちゃくちゃ。そのめちゃくちゃさが、その混沌が傲慢を生む種になる。

私たち人間にはいつの時も秩序というものが必要。この秩序が私たち人間から傲慢さを取り除き、そして謙虚さを与えてくれる。

混沌は傲慢を生む。秩序は謙虚さを与えてくれる。

自分の事を何も知ろうとせずに、ずっとその自分を混沌という闇の中に置き続ければ、必ずその混沌の中から傲慢が生まれてくる。傲慢とは、ごちゃ混ぜにしたごみの中から生まれてくるものなのだ。

何もかも知っているという幻想を私たちは、今こそ捨てしっかりと自分自身と向き合い、その自分に今こそ光を当て、自分の本当のその姿に焦点を当て生き始めないといけないのかも知れない。

もうこれからは、自分というものを誤魔化し生きていける時代ではなくなる。何もかも自分を明らかにして、そして誰が見てもはっきり私という存在が何であるのか?という事が明晰にわかる様になっていなければならないのかも知れない。

自分というものがクリアーになっていなければ、これから先の未来でこの世界を生きるのは難しいのかも知れない。

自分を知ろうとせずに、ずっとダークなままで放置しておけば、そのダークさに自分が汚され、そのダークさが自分の中を貪り食い、そしてそのものは傲慢な人間として墜ちていく。

今此処がクリアーな人間になるのか?それとも傲慢でダークな人間になるかの分かれ道なのではないだろうか?

自分を知ろうとせず過信すれば、私たちはその心に悪の種(傲慢さ)を育む事になる。

何度も言うが、自分を知っている、そしてその自分をちゃんと制御する事が出来ているとそう思うのは、幻想であるという事をどうか多くの人に知ってもらいたい。

人間という存在がこの世に生まれてからずっと、私たちはこの自分たちの中にある傲慢さというものに、幾度となく滅ぼされてきた。私たちはその時から何も変わっていない。

何も知らない。自分の事など何もわかっていない。だからこそ、この世界はその完全に無知である私たち人間によって幾度となく滅ぼされてきた。

今回のコロナでも、もしかしたら、私たちは又再び、自分たちの無知によってこの世界を滅ぼしてしまうのかもしれない。

この世で一番恐ろしいものそれは、無知だ。自分自身に対する認識の甘さだ。



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