無気力の正体

ねえ見て!!という自分に何の反応も示してくれない親。

ねえ聞いて!!という自分に何も耳を傾けてくれない親。

そんな親の元にずっとあると、だんだんと生きているという事がしんどくなっていく。ここに自分は在るけれど、その自分が誰にも認識されない。

これ程に苦しい事はない。ねえ見て!といったときに自分に関心を以って見てくれなければ、子供は当然親に対して、この人は自分に何の興味もないんだ!とそう思う。

ねえ聞いて!といったときに、その話をじっくりと聞いてくれなければやはり、子供は自分の話なんて何も面白くないんだとそう認識してしまう。

こうした親との接触により、子供はその後の自分の人格形成をしていく。

親に関心を持たれずに育った子供というのは、自分の事を何も面白みのない人間だとそう思い込んでしまう。自分とはそういうものだと自分でそうしたことにしてしまう。そしてその負のスパイラルの中に落ちていく。

結果こうした経験を少なからず持つ子供というのは、何に対しても消極的になっていってしまう。

自分は何をしても人の関心も引けなければ、何も面白い事も言えない人間。自分は誰も振り向かせる事など出来る人間ではないとそう思ってしまう。

最愛の親ですら自分は自分に振り向かせる事が出来なかった。これは、幼い子供の心に相当なダメージをあたえ、その後の人生に於いても大きな影響を与え続ける。

自分が見て!といったときに親が振り向いて自分の事を見てくれれば、その子供は自分には親を振り向かせる事が出来るそう言った魅力が自分には在るとそう認識出来る。でも、こうした事に失敗してしまった子供は、自分には親を振り向かせる魅力がないとそう思ってしまう。自分には人間的な魅力がないとそう思ってしまう。

親というのは、子供が生まれて一番最初に出会う存在であるために、この存在を振り向かせるという事が出来ないという事は、その後に出会う誰も自分は振り向かせる事が出来ないという事に等しいものとなる。

ねえ見て!ねえ聞いて!という事を上手く親に受け入れてもらえなかった子供は、最愛の親ですら自分は振り向かせる事が出来ないとそんな自分に嫌気が指す。

そうなると、もう何ものも自分は振り向かせる事など出来ないという思いにとらわれてしまう。そうなると、その後の人生に於いて全てが消極的になっていく。

本当は誰も魅了出来ない訳ではない。でも、こうした事が上手くいかなかった子供というのは、親の視線を独占する事が出来なかったその魅力のない自分が嫌で嫌で仕方がなくなり、その自分がだんだんと許せなくなっていく。

何故、自分にはこうも人間としての魅力がないのだろう?とこうした子供は大人になるにつれてこうした疑問を自分の心の中に抱く。

親に関心を以ってもらえなかったという事が、大人になってもずっと尾を引き、それがじわじわと自分の心を食い尽くしていく。

自分は何もない。つまらない人間だ!!とそういう人があまりにも多すぎる。こうした事の根底にはやはり、生まれてきて一番最初に関係を持つ親を自身に振り向かせる事が出来なかったという事が関係する気がする。

最愛の親を自身に振り向かせる事が出来ないという体験は、その後の人生に於いて強烈な劣等感を抱かせる事にもなる。

自分は何も出来ない。でも、出来ている人を見ると羨ましくて仕方ない。そうなると、こうした者たちは更に出来ない自分を追い込んでいく。そしてその自分に更に絶望していく。こうなるともう自己否定まっしぐらな状態になっていってしまう。

自分は駄目な人間であり、何もする事など出来るはずがない。だって自分の親ですら自分は魅了する事が出来なかったんだ!!そんな自分が一体どこのだれを魅了する事が出来るんだ!

自分には誰も振り向かせる事など出来ない。そういった人間的な魅力など何処にもない。そういい、こうしたものは自分から積極的に何かをしようという事もしなくなる。

こうした子供にとっては、何をしたところで誰も自分に関心など向けてくれないとそう思ってしまっているので、何かを自分がするという意味すら見つけられなくなる。

誰も自分に何の興味も関心もない。そんな自分が何をしたところで何の意味もない。そう思ってしまうのだろう。

こうした子供が大人になると、何もかもその全てに無気力になって行ってしまう。何かをしたところで何の意味もない。やればやるだけ自分の中で意味がないように感じて空しくなっていく。だったら、何もしないでいるという事が一番だ!!という結論に結果辿り着く。

積極的に、アクティブに色々な事を出来る人はいい。でも、それを出来ない人も世の中にはいる。すればするだけ、空回りして、自分がすり減っていく。そして生きる意味すらもよくわからなくなっていく。そういう人は少なくない。

頑張れ!!と言われるから一生懸命頑張ってみる。生きる意味が見つからないから一生懸命何かに取り組んでみる。でも、そうした事が逆に自分を生きるという事から遠ざけていく。

頑張れば、空しくなり、自分の心が空虚なものになっていく。何故、皆と同じように一生懸命に頑張っているのに、自分だけが生きるという事から遠ざかっていくのか?それはやはり、親を魅了する事が出来なかったという体験がそこには絡んでいるそんな気がする。

何でもかんでも頑張ればいいってものではない。頑張る事で更に苦しくなってしまう人はたくさんいる。自分の中にある問題の根っこの部分にあるものを見なければ、それが一体何であるのか?を知る事が出来なければ、こうした人が癒される事はないのではないかとおもう。

幼い頃にどれだけ、自分という存在に関心をもってもらったか?どれだけ自分の話を真剣に聞いてその自分と親が向き合ってくれたかでその後の人生には大きな差が出る。

今はどことなくぼんやりとしていて、何をしていても、何処か熱を持つ事の出来ない人たちが増えている様に見える。やってはいる。でも、何処か無気力。ただ物事を惰性で流しているだけ。何とかこの日々の生活を惰性で回しているだけの人。何をしてもこれといった意味を感じる事が出来ずにやればやるだけ、自分が虚しく思えてきてしまう人。そういう人がこの世の中には多く溢れてしまっているそんな気がする。無気力というものがこの世界に萬栄している様にも見えてくる。

今一度、自分の根底に立ち返ってみて欲しい。自分の中で何かできなかった事を悔いているそんなふしはないだろうか?どこかで、自分の事を否定してしまっている部分はないだろうか?

もし今が上手く生きられていないという人がいるのなら、まずは親との関係が幼い頃どうであったのか?それをよく思いだしてほしい。

そして正しく自分を認識して欲しい。親が自分のねえ見て!ねえ聞いて!に反応してくれなかったのは、自分に親を引き付けるだけの魅力がなかったからではないのである。自分がだめだったからではないのである。

幼い頃にそう思ってしまったその認識は間違いであるという事を知って欲しい。決してあなたに人間的な魅力がなかったわけではないのである。

この呪縛から抜ける事が出来れば、必ずもっと色々な事に積極的になれる。そしてずっとつまらないと否定してみていたこの世界を、何よりも素晴らしく美しい世界であるとそう認識する事は必ず出来るはずである。











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