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社会

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2020年5月の記事一覧

リアルとバーチャルの混同が生む悲劇

今現代に生きる私たちは、形がきれいに整ったものしか愛せなくなっている。そんな気がする。何もかもがきれいに整っているもの。それを賛美する傾向が強い。形が崩れたものや、自分達に都合のいい形を取らないものを私たちは排斥する。 何でもかんでも自分の思い通りになどならない。でも、私たちは何でもかんでも自分の思う様に出来るとそう思っている。私たち人間は、同じ人間である他者を自分の思う通りに出来るとそう信じている。自分の思う形に相手をする事が出来るとそう思っている。何でもかんでも、自分の

混血殺しの純血主義

今、世界のあちこちでこの純血主義による混血殺しが多発している。 我らこそが、唯一なる者。そう言った純血主義者が、そうでないものを選別し、そして排斥し始めた。これはとても危険な兆候。 純血主義とは、自分たちは、唯一なる存在だとそう思っている。そして、その自分たちは、混血の人たちを支配し、そして教育する必要があるとそ思っている。 純血主義とは、その例えで一番わかりやすいのは、アメリカ大統領のドナルドトランプ。彼は自分こそが唯一なるものだといった思考を持っている。 今アメリ

価値観の崩壊

私たち人間が今何疑う事のなく信じている多くの事柄は、本当に確かな事なのだろうか?ただ漠然とこういうものだ!とそう思っている多くの事は、本当にその通りなのだろうか? 何が真実なのかがわからないそんな世界で何故、私たちは、何も疑う事無く生きているのだろうか? 毎日の生活の中で、私たちは、自分たちの在り方、生き方そのものに何も疑問を持つ事がない。こう言われれば、こういうものだと納得し、それに異議を立てる事はない。 私たちは、何もかも信じてはいないようで、意外に、何もかも信じて

強権的思い込み (この世界のDeath Etaer)

これこそが正しいというその絶対感が悪を作る。こうしたあり方こそ全てというそうした考えが、社会的悪を作る。 これこそ全て、これこそ絶対。こうした考え、思い込みは非常に危うい。この世界には絶対的なものなどない。でも、私たちは何かとこれが絶対的だとか、これが正しいものだと決めたがる。 そういったものを決めそれにすがり、自分の正しさを証明したがる。正しさなんてものは、相対的なものであり、その都度変わる。 絶対的だと言われるものを信奉し、そしてそれに依存する事程恐ろしい事はない。

教育とは果たして私たちを幸福にしたのだろうか?

私たち人間というのは、新大陸を発見する為に、皆海へと出た。そしてそこで次々と新しい大陸を発見してきた。未踏の地に踏み入り、そして、その地を次々と開拓していった。 私たち人間というのは、新しいものを発見し、そして拡大する為に、多くの犠牲を出してきた。 自分達が望むものを手にするために、私たち人間とは今では考えられないほどに簡単に人を殺してきた。私たち人間は、本当に残忍な生き物なのだ。 何もかも殺して、そしてそこにあるものを何もかも奪う。そこに生きている人間たちの大切にして

フィクション疲れ

私たちは一体何を信じてこれからの時代を生きて行ったらいいのだろうか? 私たちが信じている何もかもがフィクションであり、そのフィクションは常に作り変えられる。常にアップグレードされて行く。昨日まで信じていたストーリーが、今日になったら全く違ったものに書き変えられる。こういった世の中で一体私たち人間は何を信じて生きて行けばいいのだろうか? 私たち人間というのは、いつも自分の信じる事の出来るストーリーというものを常に追い求めている。そしてその自分の信じるストーリーの元に私たち人

シャープでスマートな世界が本当に人間としての幸せか?

何でもかんでも合理化して、不必要なものは、切り捨てていく。そう言った生き方は、ビジネスという観点に立てば有効かもしれない。でも、人間という観点に立った時には、こうした考え方は果たして本当に有効なのだろうか? ビジネスにおいては、いらないものは確かに潔く切り捨てていくというそう言った考えが出来なくてはいけないと思う。でも、この考え方をこの社会や、私たちの生活に組み込むとなると、それは別の話の様な気がする。 何でもかんでも、合理的に考えて、理知的に考え、判断し、そして排除して

足るを知らない肥大化した自我によって奪われる私たち人間の在り方

これから、私たち人間が得ようとしている永遠の命について考えてみた。 色々なテクノロジーが進化して、人間はこれからどうやら不老不死を手にしてホモデウス、つまり神の人になるらしい。 何でもかんでも全てを自分達で支配し、そしてコントロールする。何もかも自分達で作り出そうってことらしい。 人間というのは、本当に欲深くて、足るという事を知らない。次から次へと目的を変えて、それを達成させていこうとする。そうやって、人間というのは、自分たちがいかに素晴らしい存在であるのか?を見せつけ

社会的タブー

いい大学に入って、いい会社に入って、良いパートナーと出会って、結婚して、子供を産んで、子育てをして、我が子を立派に育て上げて、その我が子が、孫を生んで自分は年寄りになって、皆に見守られながら最後を遂げる。 こうした形というかスタイルは一体誰が作ったんだろう?こうした生き方こそが、人間として最良の在り方だとそう提唱した人は誰なんだろう?もっといえば、こうした日本人共通というか、世界共通の意識を作ったのは誰なんだろう? 良きパートナーに出会って、そのパートナーとの間に子供をも

アニメに学ぶ私たちの在り方

正義感もあまり強くなりすぎると、悪になる。 何が正しい行為なのか?なんてことは人それぞれ違う。でも、この社会は、こうする事が正解だ!という答えをいつも明確にして、それに従わない人をまるで犯罪人の様に扱う。 この社会というのは、自分たちの言う事を聞かない者たちを悪者にしたてあげて、その者たちをこの社会のスケープゴートにしている。彼らに国民の不満や、怒りが向くように全て仕向けられている。 私たちが今抱えている不満や、怒り、それが国家に向かない様に、私たちは今自粛しない人に意

絶対的価値の崩壊

何が正しいかなんてわからない。なのにどうしてこれが正しいものだ!といって、それを国は、世界は私たちに押し付けてくるんだろう? 人はそれぞれ皆、その持っている価値観は違う。なのに、どうして、この価値観は絶対的なものだなんて言えるんだろう? 一体誰が決めたんだろう?神か仏か? 人間ってのは、皆それぞれ自分の中にこれってものを持っている。それは皆それぞれ違う。なのに、そこに手を入れ、大人たちは私たちを操作しようとする。自分の中にある大切な物を大人は追い出し、そこに大人が良いと

私が悪なのか?それとも私を悪としたものが悪なのだろうか?

世界にはいいも悪いもない。サイコパスという特殊な人間を除き、世界には、善も悪もない。 この善や悪というものを作り出しているのは、私たち。 私たちがいいとか、悪いとか言った概念を作り出して、それをもとに人を判断し始めた。 そのせいで、悪だと判断された者が、その理解力に乏しい人間たちによって悪にされた。彼らを悪にしたのは、想像力を持って相手を理解しようと努めない人間たちによってもたらされた悲しみだ。 私たちは自分達で悪を作っておいて、その悪を自分たちの力で罰しなければいけ

いつになったらわかるんだ?人間は!(非難と排除の至上主義世界)

人は自分のわかる事、理解出来る事には強い共感を示し、自分の理解できない事には一切共感しない。 わからないという事を素直に認める事が出来ない人は、その自分のわからない事を徹底的に非難して潰そうとする。 わからない事を言えば、意味の分からない事を言うな!とそう言い、その理解を自分たちのレベルに合わせる事を強要するか、わからない事をいうこの口を閉じる。 この世界には、理解しようと努める事が出来る人が少ない。何でもかんでもいいか、悪いか?とにかく色々な事を間違いか?正解か?でジ

織田信長、徳川家康、豊臣秀吉に見るビジネスリーダーに必要とされる力 Vol 2

前回に続き、今回は秀吉について書いて行こうと思います。 豊臣秀吉は、人たらしと言われて有名ですが、その他の事について考えてみるならば、彼は自分の見せ方というのがとても上手だったのではないかと感じます。自分をどういった場面で、どのように見せたら、相手に自分という存在が効果的に映るのか?相手の印象に強く残るには、いつどのようなタイミングで自分を見せたらいいのか?それを彼は熟知していたのではないかと思います。 彼は自分の一番効果的な見せ方をよく知っていた。だから、いつ何をどのよ