見出し画像

『発達障害の特性のある子どもへの教育』ー「能力を伸ばす」という夢想とメンタルヘルスの現実 本田秀夫先生の講演の感想

早期発見・早期介入を考える


 noteを始めて間もない頃…ESDMについて書きました「なんだか、イマイチ信用できないなぁ〜」という思いがにじみ出ていたと思います。
 本田先生のお話によると、1歳からESDMで介入した子のその後の調査では、強迫症の出現率が多いそうです…。そうなんですよね、そうなるんですよ。ESDMなどのEIBIは〈正常化志向〉つまり、自閉症でなくなればなくなるほど介入成功とみなす…そうです。ん〜、たしかに、自閉症っぽくなくなる子はいます…でも、私の経験則では、仲間とともに自然の中でたくさん遊んだ子はASDが薄まる感じはあります。EIBIでの介入で、本当の意味での〈正常化志向〉をめざすことは可能なのかな?難しそうだな〜。

カモフラージュする

 ASDの方の中には〈カモフラージュ〉する人がいるそうです。当事者の方は〈擬態〉と呼ぶそう。つまり、社会に溶け込みやすいように〈ASDっぽく、ふるまわない〉ということ。そして、カモフラージュする人ほど、鬱や不安症になりやすいとのことでした。本田先生によるとASDは心の中の問題だが、ASDの判断は行動でされるということ。そう、「行動」だけを変えれば〈カモフラージュ〉できるのですね。心を置いてきぼりにして…。

神経発達症の「症状」は、自然経過で悪化しない

 神経発達症は年齢と共に、悪化することはないそうです。〈感情・情緒の変動〉〈睡眠の異常〉は本来の発達特性ではなく、ましてや本人の問題でもなく、ほとんどの場合の悪化の原因は〈環境との相性〉だということです。

こう考えると…

支援の方向性がみえてくる

・ 生来性の生物学的変異
・ 社会的マイノリティ
「神経発達症の対策には、人権問題やSOGI〈性的指向・性自認〉などと共通点がある」

大切なのは、心の健康増進

 ASDの中には、過剰適応する方も多いそう。
みんなは、神経発達症の人たちほどにはがまんしていない。集団での指導で使われがちな【みんなも我慢している】は虚構であることを知ること。

では、我慢ではない自立とはどういうことでしょう?

本当の意味での自立とは?

【自己決定力(自律スキル)】
自分でできることとできないことを判断できる

【相談力(ソーシャルスキル)】
できないことについて他の人に援助を求める

これって、みんなにとって大切なスキルですよね。
そして…

視覚的構造化は自己決定と相談のため

・ 「見える化」でわかりやすく
・ 十分な情報をもとに自己決定
・ 同意、拒否の自由を保障
・ 拒否の場合、別の選択肢を相談

こちらもASDの支援だけでなく、みんなに保障されるべきことですね。

神経発達症支援からみた義務教育の問題点


・ 平均周辺7割向けのカリキュラム
平均的ではない子どもは、通常学級のカリキ     ュラムになじみにくい
・ 子ども自身による選択肢がほとんどない
・ マイノリティの権利保障が不十分である

たとえば、マイノリティの子どもの宿題を減らすとすると…周りの子から「ズルイ」と言われるのが嫌で、【がんばって、同じ宿題をする】という構図ができあがります。「あの子だけずるい」になるのはどうしてなのでしょう?よくよく考えたい問題ですね。

やりたくないこと、苦手なことを避ける

そのためには、
・ 「本当にやりたいことは何か」を意識する
・ 避けることによって失うものが、自分にとってどの程度大切かを考える。
…多くの場合、そんなに大切なものはない。(学歴、儲け話、友達の数、地位、名誉など)

能力を活用しても、収入につながらない人は、ためらわずに福祉制度を利用しよう!

と、いうことでした。本田先生は「楽しいほうに行けばいい!」とおっしゃっていて、これが多くの発達障害、神経発達症の方と出会われてきた経験から感じられることなのだなぁ〜と思いました。

日本はどうしても、為せば成る!がんばれ!のような根性論が根強く残っています。

では、最初の早期発見・早期介入にもどります

早期発見は大事!では何をする?

早期発見、早期訓練→✗
ではなく
早期発見、早期ブレーキ→◯
とのことでした。

早期ブレーキには、いろいろなブレーキがありそうです。私は「ちょっと、待てよ…」と大人が考えることが大切なのかと思います。一般的な教育、子育てに対する考えに、ブレーキをかけるということなのではないでしょうか?

本田先生は

すべての保護者に対する、これからの支援の考え方

「発達は一律ではなく多様であること」
「発達の里程表をノルマにせず、個々の特性に応じた育て方をするべきであること」
をすべての親に啓発する必要があるといわれています。

支援者の役割

少数派である神経発達症の人たちと
多数派向けに構成された社会との
インターフェイス

だと最後に伝えていただきました。

少数派に合わせることは、多数派にとっても生きやすい社会になる。
そのために、できることは何なのか?
支援者は、少数派も多数派もどちらも知っているからこそ、両者をつなぐ役割を担うことができるのだということを、その責任と役割もあることを心の中で大切に育てていきたいと思いました。

最後に…もういちど

・ 生来性の生物学的変異
・ 社会的マイノリティ
「神経発達症の対策には、人権問題やSOGI〈性的指向・性自認〉などと共通点がある」

わたしも、似てると感じているところがありました。
「ひとはそもそも、多様である」
このあたりまえのことを学ぶことの大切さ。
家庭で、保育で、教育で〈そもそも〉を土台にして育っていってほしいなぁと思います。

本田先生、大切な気づきをありがとうございました。
必要な方に届きますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?