「受け身」ではなく、「積極的な受け身」を
宮田が30代で入学した写真専門学校。そこの校長に入学前から言われていた「積極的な受け身」。
「最初から引いて与えられるのを待つだけの『受け身』とはちょっと違うんだよね。一度、スッと入って、スススッと引いて、スッと撮るんだよ。
この、スッという感覚、距離感、、、宮田くん、分かる?分かるよね?? スッ、なんだよ。スッ……スス、スススッ……ね、はっはっはっ」
と、宮田の内側にスッと入り込みながら長嶋茂雄さんばりの言葉を残してススス~ッと風のように去っていく校長
「分かるよね??」って押し切られてしまったが(笑)、、、スッと1歩入り込んで、スススッと2~3歩くらい引く、、、って言われても宮田のような凡人には感覚的に何となく分かったような分からんような笑
これに限らず、「宇宙の言語」的な斜め上の言語で解説してくれた。理解が及ばなかったことも多々だが、廊下でする5分くらいの立ち話でも本当に面白かった。
ある種の「写真の面白さ」を教えてくれたのは校長とのコミュニケーションだったような気がする。
僕は、受け取ったモヤンモヤンとしたものでも咀嚼して自分の血肉にする過程が好きなので、入学前から校長とはソリが合った。
「もっとハッキリとストレートに言ってくれよ!」と言う人には絶対に合わないのもしゃーない笑
「街」を撮るスナップでも、スタジオでの「人」や「ブツ」の撮影でも、結局のところコミュニケーションと自分の立ち位置。
「失礼しますよー」と内側にスッとお邪魔しながら、黒子として俯瞰するためにスススッと2~3歩下がって、冷静に客観的に撮るイメージ、、、かな。
んまぁ何にせよ、写真は一人じゃ撮れない。
コミュニケーションは死ぬまでの正解のない課題。
普段から文句ぶーぶー、ねちねち言う人間に撮られたいだろうか?
写真を撮るよりマウントを取るのが好きな人間に撮られたいだろうか??
そんな人間に一歩踏み込まれたいだろうか???
仕上がりがどんなに素晴らしくても、僕はちょっとイヤ!笑
街だって、花だって、嫌がるかもしれない。
そういえば、地図や道にも例えられた。
「受け身」の気持ちで地図を開いて道を歩いた感じになるだけか
「積極的な受け身」で実際にその道を自分の足で歩いたかどうか
だいぶ違うよね、と。
「地図」の種類は色々とある。地図を開いているだけじゃ見えないモノがいっぱいある。
「道」を歩くための「筋肉」も個々で量や付き方が違う。
「筋トレ」だって色んな方法がある。
僕は運よく、校長をはじめ合う先生方や、先生の作る「地図」に出会えた。
出会うために「積極的な受け身」を無意識に使っていたのかも知れない。
先生や先生の作る「地図」には様々なタイプがあり、合う・合わないも。
「コレを撮りなさい」「こう撮るとこうなる」とスタートからゴールまで道筋をハッキリと書いているモノから、要所要所の道しるべしか書いていないモノ、感覚的な歩き方しか書いていないモノもあるだろう。
合わない地図を開きながら「なんだよこんな道!」「分かりにくい!」「もっとわかりやすく表記しろ!」「この地図が悪い!」「この地図を作った人間が悪い!」と文句をぶーぶー言うのは自由。
自由なんだけど、ちょっと冷静になって、とりあえずいったん地図を閉じて道に立ってみよう!
ほら、ネガティブな言葉って自分自身も負に引っ張られるし、周りにも影響を及ぼすし、何よりそんなのを発信する時間がモッタイナイ!
その貴重な時間を使って、道に立ってみよう!
一歩道に立てば被写体なんてそこらじゅうに転がっているし、アナタに撮ってほしいと光っている、はず。
現実の道から目をそらして地図を見続けるのも、地図に文句ぶーぶー言うのも自由。
優れた被写体を観るか観ないか、撮るか撮らないかも、すべてアナタの自由!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?