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みやまる
2019年11月16日 08:32
講談師の神田松之丞の子供は「この子の性別は、この子が決めること」として、自らの赤ちゃんの性別をメディアに公表していない。このジェンダーのダイバーシティが叫ばれる昨今に置いて、とても革新的な発想と言えるだろう。米津玄師が2018年に発表した『lemon』にも似たようなことが言える。この曲の歌詞には役割語、つまり言葉だけで男性か女性かがわかる言葉が入ってないのだ。一人称も「僕」や「俺」で無く〈
2019年8月24日 14:48
(初出:旧ブログ2019/02/26) 不良・ヤンキーになんとなく憧れつつも、特に社会に反抗的な態度を示さない奴も大勢いる。暴走族のような徒党を組んだりしない、タバコも吸わない、親や教師とも仲良くする。むしろツッパリな野郎たちより、というかクラスの平均よりマジメな学生生活を送っていたりする。マジメだからこそ自由奔放に見える不良に憧れるのだ。なんで断言できるかって、実際にこれを書いてる俺がそうだ
2019年8月24日 14:47
(初出:旧ブログ2019/02/21) 疾走感とエッジの立ったギターサウンドで、NUMBER GIRLを伝説にした『透明少女』は子音による音の粒立て方でも他の追随を許さない部分がある。1連目だけでも<赤いキセツ>、<軋轢>、<加速>、<風景>、<記憶>、<変わる>、<気付いたら>、<赫い髪>、<ひかれ>、<うそっぽく>、<風>、<彼女>とカ音キ音を中心にK音が執拗なまでに繰り返される。Perf
2019年8月24日 14:43
(初出:旧ブログ2019/02/16) 『HOW TO GO』はお別れの曲なのだろう。<昨日の今日からは一味二味違うんだぜ>と、過去との差異を冒頭にぶつけつつ、<しゃれこうべ>、<意識は遠のく>、<灰になる>、<離ればなれ>と死や離別のイメージを想起させる歌詞が並ぶ。それを「まあ人間いつかは死ぬし」というような、ある種の「諦観」として気だるく受け入れているように読めるのは、<昨日>、<毎日>
2019年8月24日 14:42
(初出:旧ブログ2019/02/15) 『レーザービーム』同様に、恋の駆け引きを野球になぞらえた作品に、ピンク・レディーの『サウスポー』があげられるだろう。<背番号1のすごい奴>、<フラミンゴみたい ひょいと一本足で>と、野球を知らない人でもこの選手が誰か日本国民全員が正解をだせる。「西武に居た頃の佐々木誠」!……いやいやいや、世界のホームランキング・王貞治である。もはや名前を出さずとも「一本
2019年8月24日 14:39
(初出:旧ブログ2019/02/11) 『粗忽長屋』という古典落語がある。行き倒れになっている身元不明の死体を見た八五郎は弟分である熊五郎だと断言する。しかし話を聞いてみるとどうも人違いらしい。というのも死体は昨晩から行き倒れになっているのに対して、八五郎は「今朝は元気だったのに」と語る。粗忽者の八五郎は聞く耳も持たずに「じゃあ本人を連れて確認させよう」(!)と熊五郎を連れてくる。八五郎に負け
2019年8月24日 14:38
(初出:旧ブログ2019/02/09) 『中央フリーウェイ』が『やさしさに包まれたなら』、『春よ、来い』などと並ぶ松任谷由実の代表曲であることには異論が無いはずである。しかし『中央フリーウェイ』が唯一無二である理由は、「高速道路でドライブするだけの歌詞」という点にある。ニューミュージックを標榜し、それまでのフォーク的邦楽歌詞を変えたユーミンからの、「私は壮大な愛だの恋だのを歌わなくたって、ヒット
2019年8月24日 13:55
(初出:旧ブログ2018/01/09) 大森靖子を初めて見たのはいつだったであろうか。「ナース服時代の椎名林檎のようなミュージシャンがいる」と、何となく話題になっているのを見て(もっとも大森自身は、安易に先人に例える音楽業界の風潮を良しとしていないようであるが)東京事変の大ファンである自分はyoutubeで聴き始めた(しばらく”オオモリヤスコ”だと思っていた)。ショッキングピンクの似合う、