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岸田繁の「メメント・モリ」・くるり『HOW TO GO』論:この歌詞がすごい!5曲目

(初出:旧ブログ2019/02/16)

 『HOW TO GO』はお別れの曲なのだろう。<昨日の今日からは一味二味違うんだぜ>と、過去との差異を冒頭にぶつけつつ、<しゃれこうべ>、<意識は遠のく>、<灰になる>、<離ればなれ>と死や離別のイメージを想起させる歌詞が並ぶ。それを「まあ人間いつかは死ぬし」
というような、ある種の「諦観」として気だるく受け入れているように読めるのは、<昨日>、<毎日>、<想像を超える日>が2回ずつ登場し、「愛別離苦」を受け入れた「日々」をそれぞれ過去(=<昨日>)、現在(=<毎日>)、未来(=<想像を超える日>)と横断的に表現しているからと考えられる。「日」と付く語を抜き出すと

・1連目=<昨日><今日><昨日><毎日>
・2連目=(無し)
・3連目=<想像を超える日><想像を超える日><毎日>

と過去から始まって、未来へ向かうのがわかる。「日」が登場しない1連目の終わりから2連目にかけても、<朝になる>、<真夏の太陽>、<夕暮れ>と太陽の変化で「日」と結び付けている。逆らえない時の流れに身を任せ、太陽の眩しさを憂い、旅に出たいと思いつつ、<何だかな まったり>してしまっている。まだ曲の主人公は「離別」を受け入れられない。だが<待ったり するなよ>とマッタリを「変換して」、着実に「決意」、「変化」を示して3連目に入る。

 <いつかは想像を超える日が待っているのだろう>が2回繰り返される。(シングルにオリジナルバージョンが収録されているが、こちらは<超える日”を”待っているのだろう>になっている)。ようやくここで過ぎ去った日々から未来に目を向け、<毎日は過ぎてく でも僕は君の味方だよ>と、ポジティブなメッセージを産み出し、<今でも小さな言葉や吐息が聴こえるよ>と死・離別のイメージで始まった曲を生命、生きることのイメージで閉じている。「メメント・モリ」というラテン語の警句があるが、この曲も岸田繁なりの「人間はいつか死ぬ」(=転じて、だからこそ生きるている今を大事にせよという意味)という意識が現れている曲に思う。おそらく曲の主人公である<僕達>は友人や恋人の死、あるいは死と同じくらいショッキングな出来事に直面した。受け入れられずに落ち込んだりもした。でも未来に向かって歩むことを決めた。そして別れにも必ず意味があると信じることにした。生と死という重いテーマをくるりらしく、重厚にではなく<スマート>に表現出来るところこそ、くるりがジャパニーズ・オルタナティブロックの頂点に立っている所以かもしれない。

#音楽 #歌詞 #くるり

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