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「ありがとう」は、もっと個人的なことなんじゃないか

息子の中学校の運動会で感じたことを書いた記事に、丁寧なコメントを沢山いただいて、さらに色々と考えました。スキやコメントをくださった方、読んでくださった方、本当にありがとうございます!とても嬉しいです。


感謝の心を持ち、時には相手に「ありがとう」ときちんと伝えるのは大切だと思っています。当然、息子にも感謝の気持ちを持てる人間であって欲しいと願っていますし、それ以前に、自らがそうありたいと日々自戒しています。

だから、学校や家庭において大人が子供にする「感謝の気持ちは大切に」「周りの人に感謝を」という示唆はもちろん否定しません。

また、今回のように、生徒が親や先生への感謝を述べるという自分の役目を、感極まって声をつまらせながらも一生懸命果たそうとする姿には、彼女彼らが幼い頃からよく知っている子だという点を差し引いても、心を揺すられもらい泣きしてしまいました。私は圧倒的に涙もろくて、ちょろい人間です。


では何故、強烈な違和感を抱いたのか。

運動会は学校行事なので、3年生が行った”先生や保護者への感謝を伝えるプログラム”は、台本を生徒に委ねているとしても、「○分程度で、これこれこういう趣旨(例えば、担任の先生への感謝を伝えるため)のプログラムをつくって練習するように」という指示が(運動会ならば体育の)先生からあるのではと考えています。学芸会、卒業式などその他の行事でも同様だと考えます。

クラス全員で行う公式プログラムに指定されてしまえば、否が応でも「親には感謝しかない」「先生はいつも自分のことを理解し助けてもらっている」「クラスメイトは全員信頼できる仲間になった」という正しく美しいポジティブな内容が統一見解とされます。それを練習し、本番で声を揃えて発するよう求められるでしょう。

なぜそうするかというと、皆でそれをやれば、親や先生やクラスメイト、もしかしたら生徒本人も喜び感動するに違いないから。

でも皆が等しくこのようなポジティブな気持ちでいるなんてありえるでしょうか。今現在、親を憎いと思っているかもしれない。先生の理不尽さに苦しんでいるかもしれない。消えてほしいくらい嫌いなクラスメイトがいるかも知れない。そんな葛藤を抱えている生徒は本当にいないんでしょうか。

自分の中のドロドロした感情に蓋をして、清々しく健全であるように全員大きな声で「ありがとう」「大好きです」「感謝します」と言わなければならない。圧倒的な正しさの前に個々の葛藤など、為す術はありません。これはネガティブな感情を抱え、ごまかせない生徒とって、かなり辛い状況だと思います。

私は、この、声なき声を、あたかも存在していないかのごとく聞こえないふりをし、皆で清く正しく盛り上がる、そして見てくれる人を感動させる。そんな空気に貫かれた彼らのパフォーマンスを、直視することが出来なくなりました。

そしてもう一つ。

私は先述したように、涙もろくて、ちょろい人間です。だから今回のプログラムの一部でしっかりもらい泣きしたのは事実です。けれど、同時に子供たちの「ありがとう」「感謝します」が騒がしく安売りされているように見えてしまい、それをする子供たちと、させる先生たちに、ほんの少し憤りを覚えました。本当に勝手な思いではあるのですが。

なんだか、感動を与える感動をもらえるひとつのエンターテインメント的コンテンツとして、みんなで「ありがとう」「感謝してます」と、感謝をつたえるということが、安易に世の中に氾濫してる気がしてならないのです。

感動的なコンテンツを作りたい。そう思ったときに、苦労話と恩返しは非常にわかりやすく泣かせられるものだと思います。そこに子供が絡めば、大抵の親はイチコロです。

感動させようと言葉やパフォーマンスの中に安易に”感謝”を盛り込んでいませんか?そしてそれは中学校の運動会で本当に必要なことでしょうか?

私は「ありがとう」って言葉はもっと個人的な感情だと思っていました。そして、その感謝から生まれる感動も、世の中とは切り離された自分だけの静かなものであってほしかったのです。

皆さんはどう思われますか?

◇◇◇


私が15歳だったのはもう30年も前です。

当時とは社会や教育が大きく変化していて、ひょっとしたら当事者である今の生徒たちの多くは私が感じるような違和感を持っていないのでは?という気もしています。

運動会などで、苦労や葛藤を乗り越えて成果を発表できた喜び。その裏で、心から生じた感謝の気持ちそのものまでを「ありがとう」と言葉にして発表することで、お互いがwin-winだと感じる人も多いでしょう。

また、そういう表現をすることに違和感がない程、生徒にとって、教師、保護者の距離が近くなっているのかも?とも思います。

15歳の息子に、いろいろ尋ねてみようかとも思いました。けれど、息子の意思や言葉はきっと両親の感情を少なからず反映してしまう可能性があります。

なので、実際に、学校行事やセレモニーで感謝を伝える当事者になったことがあり、かけがえのない経験だったという(若い)方のご意見を、ぜひきかせていただけないでしょうか。

さらに、このような行事を企画、運営、指導する立場である、現場の教員の方々の思い、努力、願いも、もし可能ならば、きかせていただきたいと思うのです。


◇◇◇


私が今までの人生で受け取った最高の「ありがとう」について。

息子のその時の喜びを、ただただ心のままに「ありがとう」という言葉で伝えてもらえたことは一生の宝物です。


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