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天才を活かしきれなかった過去:#46:フラット型組織になれるか!?〜デイサービスの挑戦〜

このシリーズ、久しぶりの投稿かもしれません。w

最近は、地域についてや、新しい事業関連のことが脳内シェアの多くを占めていて、なかなかチームのことに向き合う時間を取れていませんでした。
それもこれも、いい状態を保ちつつ、少しの変化と成長を途切れることなく続けてくれているメンバーのおかげです。

さて、チームを考える上で度々話題にしてきた「採用」について考えてみました。

採用するときには、長い時間をかけて、たくさんの時間を使って、厳正に行ってきました。
”エントリーマネジメント”を業界としては珍しくゴリゴリに実施し、その時点でのチーム状態を見つつ、最適なメンバーを市場から一本釣りしてきました。

現時点では状況も落ち着き、強く柔軟な船になっています。

そんなとき、ふと考えることがあります。

「あのメンバーがいたら、今どうなっているんだろう?」

その人は、かつてウチにいたスタッフです。
小さい組織ですので、あまり詳細に業務内容や肩書きを書くのは遠慮させていただきたいですが、その人への”想い”も込めて、当時を思い出しながら書きたいと思います。

仰天行動

業界歴も当時のメンバーの中では一番長く、チームの中でも重要な役割の一端を担ってくれていたAさん。

Aさんは、とにかく優しかったです。

僕が新人の時は、思う存分に甘えさせてもらっていました。

配属初日に1時間の遅刻をしてしまった僕に(しかも飲み過ぎというおまけ付)、”一緒にランチ行こうよ!”と誘ってくださって、”二日酔いだよね〜、何がいいなかあ〜?あ!このスープとかいいじゃん!”と、まるで親戚のお姉ちゃんみたいに優しくしてくれました。

ランチの間、Aさんから遅刻についての話を切り出すそぶりも見せず、恐る恐る僕から切り出すと、”ねえ〜wでも、ミヤケくんが反省してるのわかるからね〜まあ、いい記念ってことでw”

上司・先輩、というより、優しいお姉さんって感じでしたね。

そんなAさんですが、ちょっぴり感覚が不思議な人でした。

非公式で施設のメインキャラクターをデザインしたり、イベントを月一以上のペースで開催したり(しかも1人夜中まで残って準備してました)、歌のイベントでは誰よりも大きな声で歌うし。

”おいおいw”って思いつつも、正直少しだけ羨ましかったです。
なんか楽しそうだし。

Aさんのエピソードで印象に残っているものは数知れませんが、心臓が飛び出るくらい驚いたことを思い出しました。

ある男性利用者さんの利用日、その方は喉を切開されていて声が出せない方でした。
末期の癌で、この後数ヶ月後に亡くなることになります。

その方は、声が出せないこともあり、寡黙で少々仏頂面。
お声掛けをしても小さく頷くだけで、目を合わすこともありませんでした。

面構えも、なんというか、迫力があり、任侠映画に出てきてもおかしくないような方でした。

Aさんはその日、フロア対応で利用者さん一人一人にお茶だしやおやつの提供などをしていました。
事務作業の傍らその様子を僕は眺めていました。

すると、当時施設に置いてあった「リラックマ」のぬいぐるみをAさんがおもむろに持ち、フロアを歩き回っていました。

”これ可愛くないですか〜!!”

おばあちゃん達は一様に喜び、おじいちゃん達は苦笑いしつつ付き合って下さっていました。

あの男性利用者さんはというと、テレビに目をやったままAさんの方を見ようとしません。

何を思ったのか、Aさん。
ぬいぐるみを持ったまま、その男性利用者さんの元へ、すると・・・

”うぃ〜〜!!!!!!”

と言いながら、その男性利用者さんの前でぬいぐるみをふるふるしていました。

何やってんだよーーー!!!
と思った次の瞬間、ほんの一瞬、その方の口角が上がりました。

Aさんは、”えへへへ”と笑いながらベットの上にぬいぐるみをポンと置き、満足そうに給湯スペースへと消え、通常業務を再開しました。

「主観=常識」の盲目さ

Aさんは、度々こんな”奇妙な行動”を取っては、利用者さんと僕らを驚かせてくれていました。

でも、僕らは当時その行動を両手を広げて受け入れることは出来ませんでした。

その行動によって作業が増えたり、たまーにクレームになったり。
僕や僕の仲間は次第にAさんを咎めるようになっていきました。

当時僕たちが良く言っていたことがあります。

「Aさんは長くこの業界にいるから、業界にどっぷり浸かっていて、自分の主観を常識だと思い込んでるんですよねえ。」

確かにAさんは、業界歴がどのメンバーよりも長く、ミーティングなどでは事あるごとに「それは介護じゃないよ」「それは普通じゃないよ」「前にいたデイサービスではね・・・」と口癖のように言っていました。

正直ムカついた時もありました。

話し合いを重ねても平行線になることの方が多くなりました。

そしてAさんは退職していきました。

僕が過ごしたのは一年半くらいでした。

もちろん退職の最後の最後まで仲良くしてくれていたし、退職してから少しの間は連絡もきていました。

ーー

今はもう連絡を取れていません。

どこで何をしてるんだろう、と考えることがあります。

今から一年前くらいでしょうか。
Aさんが退職してから一年半が経過したくらいのとき、管理者のキヅカさんと話したことを覚えています。

Aさんのあの”ぬいぐるみふるふる事件”です。

キ:あれはびっくりしたなあ〜
僕:あんなことAさんにしか出来ないですよw
キ:そうだよね〜ふるふる〜ってw
僕:ある意味才能ですけどね。
キ:才能か、確かにイベントとかいつも率先してやってたもんね。
僕:もしかすると、もしかするとですよ。僕たちがそれを活かしきれていなかったのかも。
キ:うーん、確かに、「今」いたらどうなってるんだろうとは思うよね。

ーー

その時、僕の頭の中にある言葉が降ってきました。

「Aさんは長くこの業界にいるから、業界にどっぷり浸かっていて、自分の主観を常識だと思い込んでるんですよねえ。」

「自分の主観を常識だと思い込んでるんですよねえ。」

それは見方によっては、Aさんではなく、僕たちの方だったのかもしれません。

結局はどちらの言い分もあり、二項対立になっていただけ。
僕たちも歩み寄ったり、Aさんの深い感情を理解しようとしなかっただけなのかもしれません。

当時Aさんに真剣に向き合っていたからこそ、真実を見えなくさせていただけだったのかもしれません。

今、仲間でいられていたら

今のメンバーを見るにつけて、「Aさんがいたから」と思い、また、「今Aさんがいないから」と感じます。

間違いなく、今、僕たちは史上最高の状態です。

過去を綺麗事にして話すつもりはありません。

ただ、Aさんという「天才」がいたという事実、そして、それを活かせなかった僕自身や会社としてのあり方は反省しなければなりません。

うちのチームにかつていた「天才」。

採用の面接のたびに思います。

”次にもし、天才が来たら、採用して、いきいき働いてもらいたい。仲間でいたい。”

Aさんがいなくなってから今月で3年になります。

3年間で数十人以上の面接をしました。

まだ、「天才」には出会えていません。

チーム作り。

これからも僕のライフワークになることでしょう。



いつか「天才」と一緒に働けるその日まで。



<終わり>




シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。