M.M
女性の揺れ動く気持ちを丁寧に表現できたらと書き始めました。 少々R-18です。
過去から続いている扉。現在開かれようとする扉。未来へ続く扉。どこでいつ開くのか、心の扉。
外は肌寒いくらいで、わたしは一枚羽織ってくれば良かった、と思いながら、Dが近くの自販機で買ってくれたペットボトルの水を飲んでいた。 「皆さんまだ盛り上がっているので、少し休んでて大丈夫ですよ」 Dはそう言って、わたしの横に立つ。 「寒くないですか」 「ちょっと…。でも、酔い覚ましにはちょうど良いかも」 「そうですね」 風が心地よい。大きく深呼吸をするわたし。 静かに立っているD。会話をしなくても、こうして自然と一緒にいられることが、ただ純粋に嬉しい。
歓迎会は思いのほか楽しくて、いつもより飲んでしまった。 あんなことをトイレでしてしまった後、何事もなかったように席についたわたしのもとへ、暫くしてDが来る。 「気分、大丈夫ですか」 「あ、はい、全然大丈夫。楽しくて、たくさん飲んじゃいました」 Dも程よく赤ら顔。 「この部署、ほんと良い人ばかりで、仕事もやりがいあると思いますよ」 「ほんとに…何から何までありがとうございます。いつかちゃんとDさんに恩返ししたいです」 「ははは、恩返しですかー。そんな、気に
Dからの申し出に応えたのち、物事がスムーズに進んで、わたしは新しい部署で働き始めた。同じフロアで顔を合わせる毎日が過ぎて二週間が経つ。 当然のことながら、その分、ふたりだけの「カフェの時間」は無くなった。ちょっとした密会気分だったあのカフェでの待ち合わせが、今となっては懐かしい。 全ては変わっていくのだ。生じたもの全ては、変化し、消えてゆくのだ。 新しい部署でわたしの歓迎会が開かれたのは、移ってきて三週目の金曜日だった。秋の気配を感じる涼しい日。ちょうど、出張
週末、久しぶりに女友達と集まった。みんなそれぞれ仕事に家庭に忙しいが、年に数回、会えばなんでも話せる高校時代からの親友三人組だ。 「最近どうよー」 気だるい感じでいつもそう聞くFは、二年前に離婚。子どもはいないから、シングルライフを満喫中だ。 「相変わらずかなー。Fは今カレシいるの?」 わたしと同じ、夫と子どもと暮らすYが尋ねる。 「こないだまではね。しつこいから飽きちゃった。わたしもう、一人としっかりって無理」 「わかるー」とY。 「え〜!Y、旦那さ
「やったね!良かったじゃん」 夜、異動の話を伝えると、夫はそう言って嬉しそうな顔をした。 「やっぱりさ、仕事内容が好きっていうのは大事だよね。俺も転職しちゃおうかな」 「転職?」 「なーんてね、今の仕事まあまあ好きだし、必要ないか、ははは。乾杯!」 美味しそうにビールを飲みはじめる夫。 気楽な人はいいな。夫といるとよくそう思う。細かいことを気にしない夫は、絶えず騒がしい声で埋まっている私の頭の中のことなど、想像もしていないだろう。かといってマメに子ども
「早速なんですが…」 いつものカフェで、いつも頼むブレンドコーヒーを前にDが口を開いた。 「はい…」 なに、この緊張感。 「Mさん、ウチに来ませんか?」 「え!?ウチって…。Dさんのお宅ですか?」 「あ、いやいや。すみません。ウチって、デザイン部のことです。会社です」 「ああ。…えっ!?」 「いや、あの、色々と僕も考えていたのですが、いい機会かなと思いまして。Mさんの、本当にしたいことが出来るんじゃないかなって」 たしかに、今の部署のことで相談に乗っ
翌朝。9時半頃起きたDは、濃く淹れた珈琲を飲んで、自宅に帰って行った。 帰って行く後ろ姿を、見送る。 なんだか、へんなきもち。 夫はまだ寝ている。 息子も出かけたがっているし、公園にでも行くか。 「サンドイッチつくって、ピクニックいこっか」 「わーい!ママだいすき」 「わーい!いこういこう」 色々と、心が疲れた昨日のことはひとまず忘れよう。 支度を済ませ、半目を開けた夫に息子と出かける旨を伝えて靴を履く。 あっ。 Dからのメッセージ。
「ホント、お気遣いなく」 酔っ払って、半分寝そうになっているのを夜中に帰らせるわけにもいかず、わたしはリビングルームでDの眠れそうなスペースを確保しようと、テーブルを移動させていた。ソファーの上では、一向に起きる気配のない夫がガーガーいびきをかいている。 客用の布団を運び、テーブルをどかしてできたスペースに置く。 「すみません、ソファー動かせなくて、こんな感じになっちゃって…」 「とんでもないとんでもない、ありがとうございます」 「お水、たくさん飲んでください
マンガの世界だったら、赤らんでいた顔が次の瞬間真っ青に描かれていただろう。 「え? あ、えーと、ですね…」 さっき洗面所で、何をしていたかなんて…。言えない。口が裂けても、言えない。 「どうして、ですか?」 「いやね、トイレどこかなーと探しているときに洗面所の前を通って、ここかなーと開けようとしたんですけど…」 !! もしかして、見られた!? 「…いや、リビング出て右だったかな、と思い直してまたリビングに戻ったんですね」 ホッ。 酔っ払った人という
濡れた指をしっかり石鹸で洗い、鏡に写る自分を見つめる。 はぁ… 羞恥心と、まだ紅潮した頬。 寝よ。 洗面所をでて、階段へ向かおうとしたその時だった。 「…Mさん」 なんと、リビングからつながる廊下に、Dが立っていた。 「ど、うしました?」 慌てて、髪に手をやる。何だか、乱れている気がして。 「あの…。トイレ、どちらでしょう。Kさん、寝ちゃって…」 「え!?」 飲んで話している間に、夫はソファーで眠ってしまったようだ。 「あ、こちらです」 「どう
盛り上がった夜だったらしく、お酒の入った夫もDも、上機嫌で話している。 男同士楽しく飲んだあとだし、今日はわたしがいたら邪魔かな。 お茶だけ淹れて、その場を去ることにした。安全地帯であるキッチンでお湯をわかし、リビングに背を向けて茶葉を用意する。 安全地帯…? もしかして、Dの妻がキッチンから出て来なかったのも、そこが彼女の安全地帯だったから? 「そうなんだよーワハハ」 「で、ですね…」 夫もDも、わたしがお茶をテーブルに置いたことにすら気づいていない
「じゃ、行ってくるねー。帰るときにメッセージするよ」 土曜日。今夜は夫がDを含む男友達と飲みに行くことになっている。 「はいはーい。気をつけてね」 なんて送り出したものの、気が気じゃないわたし。なにもやましいことがあるわけではないのに、夫とDとの間で交わされる会話が気になってしまう。まあでも、男4人だし、とくにわたしの話題もしないでしょう。 息子を寝かしつけ、ソファーでゴロゴロしながらも、あれこれ想像しては、違うことを考えようと脳を使っていた。 夜10時
「土曜日さ、最近仲良くなった数人と飲みに行こうかと考えてるんだ。男だけで」 夫がそんなことを言ったのは、木曜日の夕食後のことだった。 「最近仲良くなった数人?」 人と話すのが好きな夫は、時折こうして幹事になって飲み会を開く。 「うん、こないだほら、運動会で会ったSくんのお父さん、話面白いんだよね。あと、Kちゃんのお父さん、あとは…」 ママ会、ならぬパパ会か。ママ会にすら参加しないわたしは、社交的な夫が仕入れてくる情報をありがたいと思って聞いている。 「あ
いつものカフェで久しぶりに再会したわたしたちは、他愛もない話をした。お互いの家族を知った今は、少しプライベートの話題もしやすい。出会ってからの時間は親密度と比例するということか。親密度、と言っていいのかしら。 そもそも、わたしたちは「友だち」なのだろうか。でも… 「妻が…」という言葉を聞くと、やっぱりちょっとだけ心に雲がかかるのは何故だろう。 いまは、ふたりでいるのだから聞きたくない。他の女の、はなし。 そんなふうに思うわたしは、ヘン? わたしが口に運
お茶会からしばらく、Dとは会わない日々がつづいた。これまでの経緯から、何となく、もうふたりで会ってはいけないような気がしていたし、お互いに仕事が忙しかったのもあって、あっという間に一ヶ月が経っていた。 ふたりきりで会ったら、未知の一歩が始まってしまうんじゃないか。少なくともわたしの心の中で未知の、キケンな一歩が…。 考えすぎかな。 矛盾した気持ちに振り回されているわたし。 追われていたプレゼン資料の作成も一段落し、少しだけ脳裏にDの姿がちらつく、ある夕方のこと
「おー、サンキュ。」 妻が用意した紅茶を運んでくると、Dは立ち上がり、お盆を受け取り、ティーカップを一つひとつテーブルに置いた。 そして、何事もなかったかのように、皆は紅茶を飲み始める。 そしてわたしも、何事もなかったかのように、カップに口をつけ、カステラを飲み込んだ。 たまに、右手で右膝を触って感触を確認しているわたしが今ここにいる以外に、きっと、何事も、なかったんだ。 でもそこに確実に残る、温かな、感触。 たしかにあのとき、当っていた、よね? もしかする