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わたしが「怒らない人」と周囲に認知されている理由

自慢ではありませんが、
わたしは怒りません。

いや、周囲から「怒らない人」と
認知されています。


友達からは
「Shogoの怒るところを想像できないw」
と言われたり…

家族からは
「Shogoは優しいね。
 ぜんぜん怒らないもん」と言われたり

挙句の果てに上司からは
「お前はブッダか!」と言われる始末。

すっかり、「怒らない人」という
レッテルを貼られています。

もちろん、”名誉なこと”として
わたし自身はとらえています😌


今回のテーマは
わたしが「怒らない人」と
周囲に認知されている理由
です。


どうして、わたしは怒らないのか。

怒らない人として認知されるには、
どうすればいいのか。

日常のあらゆる怒りにたいして
どのように対処しているのか。

ぜひとも、ご自身の立場で共感しながら
読み進めていただけると幸いです。

では、いってみましょう(^^♪




✔わたしも怒る

まず、大前提です。

わたしも怒ります(笑)

理不尽な状況、
結果のともわない状態などに直面すると
”怒り”は瞬間湯沸かし器のごとく
ボッと生まれます。

そりゃ、わたしも人間なので
感じるモノはいくらでもありますよ😅

けして、
仏のような神様ではないことを
ご理解ください。


では、なぜ
わたしは「怒らない人」として
認知されているのでしょうか。


わたしの場合
”怒り”が生まれた瞬間に
感情として表に出しません。

表現しないからこそ
「怒らない人」と認定されています。

わたしは「怒る=感情にする」ではなく、
「怒る=○○=感情にする」と
一旦、あいだに”あること”
はさめる工夫をしています。


”あること”とは…


ズバリ!


一呼吸ひとこきゅう、置く」

です。




✔イラっとしたら
 を空ける

カッとなって「怒る」とき
わたしは一呼吸ひとこきゅう置きます。

ゆっくり大きく息を吸って、
フッーー!と息を吐く。

時間では、2~3秒ほどです。

もちろん、
まわりに悟られないように。

すると、
不思議とムカムカした感情は薄れ
理性を取り戻せます。


「怒り」とは、
その出来事に遭遇した瞬間が
もっとも発生しやすいと言われます。

だからこそ、その一瞬を回避するために
一呼吸ひとこきゅう置くことを徹底しました。


おかげで「怒り」という感情を
周囲に振り回さないようになりました。

オススメです♬




✔怒ってから
 どうしたい?

「怒らない人」として行動できる理由に
日頃のマインドが大切だと感じます。


わたしは
「怒ってから、どうしたい?」と
考えるようになりました。


わたしの周囲に「怒る人」はいます。

もちろん、
「怒られる人」も存在します。

わたしは客観的に見て
怒ったことによって起きる
”その後の怒られた人の行動”に
「あまり良い結果につながらない」状態
よく目にしていました。


怒られた人は、ほぼほぼ不満を伝えます。

「なんで、
 こんなことで怒るんだ!」

「そこまで
 言わなくていいじゃないか!」

「もう十分に反省してるよ…
 勘弁してくれ」

そうした「怒られた人」の愚痴を
よく耳にしていました。

怒った人は相手を怒ったことで
「自分を意思を伝えられた」と
スッキリするかもしれません。

しかし、
怒られた人はストレスを抱えます。

こういった状態は人間関係に歪みを生み、
その後の関係性にも大きな問題点として
尾を引きずるカタチになりやすいでしょう。


だからこそ、重要なのは
安易に「怒る」感情に身を任せないこと。

もちろん、
「危険だ!」「危ない!」といった
瞬間的な状況では相手を怒る行為は
相手のためになります。

わたしが言いたいのは、
「怒ってから、どうしたい?」です。

怒ってから、相手に
どういうふうに行動してほしいのか。

相手へ気持ちよく行動してほしいときに
「怒る」という手段は適切なのか。

いま一度、長考してほしいと感じます。




✔怒らないと
 なめられない?

よく「怒る」を感情表現として
選択する人の言い分としては…

「怒らないと相手からなめられる」
といった理由があげられます。


「なめられる」とは
相手から見下される状態。

自分の実力を過小評価されて
屈辱を受けている状態を指します。


たしかに、
主従関係をハッキリさせるために
怒って「あなたはわたしのしただ」
位置関係を示す必要はあります。


ただ、多くの場合
それは”あなたのプライド”によります。

「おれは偉い、スゴイ、賢い」

そういったプライドを守るために
他者の評価を気にする人ほど
”なめられたくない”と考えます。


わたしはプライドは最低限に留め
むしろ相手にたいして
リスペクトを提供します。

「ありがとう」
「すごいね!」
「さすが!!」

というように、
相手の行動や考えにたいし共感して
プラスな想いを伝えるように徹底します。


また、あきらかに
なめてくる人にたいして
このように考えます。

「なめてくれて、ありがとう!
 おかげで気楽に生きれるよ」

どういう意味かと言いますと…

なめてくれて、ありがとう!
=感謝の意を想う

おかげで気楽に生きれるよ
=あなたの承認欲求に
 こたえる必要がなくてラク♪
 

「なめてくる人は、
 どうぞ なめてください」

そういうふうに考えると
余計な「怒り」は起こらず
心穏やかに過ごせます。



* * * * *




「怒る」ことは、人の持つ一種の感情です。

理不尽な状態や環境、出来事にたいして
”その人の存在価値”を無下に扱われれば
誰でも怒りたくなるでしょう。

ただ、それ以外で
必要以上に「怒る」という感情に
頼りすぎるのも考えものです。


「怒る人」を客観的に見ると
どうしても幼稚に見えます。

子供のように見えて
しょうがないのです。


せっかく良い大人が
声を張り上げて、暴言を吐いて
ビビる相手にマウントを取って…

「それは大人のすることですか?」

と思えるのは、
わたしだけではないはずです。


社会の場をより良く回すためにも
建設的な考えで物事をとらえるべきです。

だとすれば、カンタンに
「怒る」という感情を
引き合いに出してはいけない。

賢い人ほど、「怒る」を選択せず
ほかの方法で相手を納得させます。

相手に気持ちよく動いてもらうよう
上手に誘導します。

だからこそ、信頼されて
余計に”その人”の話に
耳を傾けることでしょう。


良質な人間関係を築くために…


個人的な事例ではありますが、
ひとつのアンガーマネジメントとして
ぜひとも参考にしていただければ幸いです。



一部、補足です。
お子さんへの「怒る」行動は
「怒る」ではなく、「叱る」です。

けして、
今回の記事で取り上げた意味とは
同じではありませんので
お間違いのないようにお願い致します。


では、また。
失礼します。


サポートしていただければ、あなたの習慣活動を全力で応援します!!