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アルメニア難民100人取材記事を読んで

かつて住んでいた村にはすべてがあった・・家、菜園、手塩にかけて育ててきた牛馬や鶏、暖房器具、冷蔵庫、洗濯機、ベッドなどの家具、祖父母や親の眠る墓。

必要なものは何でもあった幸せな暮らしから一転して、すべてを失ってしまうとはどういうことなのか⁉︎ 

メディアによる難民報道ニュースとは一味違う、難民100人と現地で個別インタビューをした貴重な記録です。

それなのにこの方、今日時点で私を入れてフォロワーが3人、スキ数が数個しかないのはどういうこっちゃ、応援📣せずにはいられません。

#ナゴルノ=カラバフ  #アルメニア  #紛争  #難民 #戦争 #アゼルバイジャン・・なるほど、付いてるハッシュタグを見る限りムリもないかぁ~。それにnoteデビュー後まもない(ので、先輩風を吹かせて)せめて「#スキしてみて」を貼ってあげちゃいたい。

島国日本人にとって難民問題は対岸の火事なのよ。私も難民記事を出すと途端にスキ数がぐんと減りますからネ。タイトルを工夫せずに「難民」って言葉でそのまま出すと読んでもらえないのが実情です。

しかし平和ぼけしてる我ら日本人、それでいいのか。東日本大震災後に旅した米国や東欧で出会った人たちは異口同音に「地震大丈夫だったの?」と心配してくれたけどね。

2020年9月末に起きた、6千人以上が亡くなった44日間戦争のことを知っている日本人がどれだけいるでしょうか。とかく報道に偏りのある日本の大手メディアが報道しないのでしかたないが。

アバルゼイジヤンの領域内に住むアルメニア人たちが独立国を作った以前から火種はあったらしい。44日間戦争前までは戦争最前線近くの村に暮していた約300の家族の多くは本土アルメニアのゴリス市に逃れ、居候や窮屈なアパートでかろうじて暮らしています。

この難民たちの特徴の1つは、44日間戦争が終われば自宅へは戻れるだろうと思っていたのがどっこい、村へはまったく帰れなくなったこと。

原発事故後の福島の方たちがそうでしたね。

さらにアルメニア難民たちの場合は、危険な停戦合意区域に今も息子たちが兵士として残っています。

彼らが日本に頼みたいことは、お金をもらうのではなく、奪われた土地を以前のように独立国として承認してほしいことなのだそうです。

しかし日本は外交戦略上、親しいトルコや産油国アゼルバイジャンを敵に回してまでアルメニア支持を表明する事はあり得ないだろうと小野寺さんは考え、難民たちに深く共感しつつも「SNS(noteを含め?)でアルメニア支持を表明する勇気はない」と率直に述べています。

家族4人で1つしかないベッドに眠る難民一家に自分の宿泊先の空きベッドをあえて提供しないことや、日本人にとってはわずかの金額で助かる難民たちにキリがないからと支援できないことが心苦しい等々、心中の葛藤を率直に書き足していることにも共感できます。

途中からだと話の背景がよくわからなくなるので、この戦争の経緯がわかる初稿から古い順番に読むようおススメいたします。

https://note.com/seantheworld/n/ne0db117cbdec

1作ごとにどれも書くのが大変だったろう長編記事ですが、私の記事なんかよりもはるかに読み甲斐があると思います。

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