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急性骨髄性白血病との8ヶ月に及ぶ暮らしから見えた景色

 書こうとは思っていたのですが、何を書けば良いのか分からなくなってきたため時間が空いてしまいました。まだ記憶が鮮明なうちに書いておけばよかった。と今更ながら後悔してます。

 色々考えたんだけど、辛い辛いって内容ばかりだったから、今回は入院中の楽しかった思い出について、語っていこうと思います。

それでは〜


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 病院にもよると思うが僕の入院した病院は、かなり良い所だった。間取りの良い施設は常に綺麗で、大きな病院だから設備も充実しており、患者が趣味や気を紛らわすのに使えるスペースがあり、そして何より医師も看護師も他の職員も良い人たちばかりだった。実際に全員が全員本当に優しさ溢れる善人だったかどうかは分からないけど、患者の前では必ず良き理解者としていてくれた。


 僕の入院生活で最も幸運だった事は、治療期間であっても音楽ができる環境だったことだ。現在、音楽が僕の生活において欠かせない存在になっているのは、この時の経験が大きい。体調が悪くてできない時もあったが、ほぼ毎日バイオリンを弾いていた。今から思えば、バイオリンを持つことで痛みとか?受験に対する焦りとか?迷惑をかけてしまう申し訳なさとか........?そういうものから目を背けて平気そうな自分を客観視して、自分は病気なんか平気である。何も気にする事はない。そう思い込んで生きていた。気がする。

 本当のところは自分でもわからないが、バイオリンが音楽が救いであり、生きがいの一部になっていったのは確かだ。先生とか病院にいる人達と沢山セッションをできた事もあって、本当に色んな人に助けられた。こんな事していいいのか悩んだりもしたけど、多分、音楽ができてなかったら本当に立ち直れないとこまで落っこちてた。


 バイオリン以外に入院中にハンドパンという楽器がやってきた。昔から欲しかったもので、当時は今よりもまだ入手困難だったものだから、両親は探すのに苦労したと思う。ハンドパンは見た目はUFOで、スティールパンのような音がでる楽器。最近知っている人が増えつつある。公園や駅での演奏を何気なく聴いている人も多いのではないだろうか。

そんな訳で退院するその日まで、バイオリンとハンドパンの演奏に明け暮れた。全然上手くはならなかったけど、ただ弾ける事がいかに幸せな環境であるかを実感した。いつのまにか入院生活=音楽生活みたいになっていた。


 音楽以外でも、もちろん楽しい事はあって一時退院と食事は音楽に次いで重要なものである。特に食事は病院食があまり体に合わず、調子のいい日はコンビニまで買いに行って食べたりなんかしてた。そもそも抗がん剤が投与された後は、空腹もあまり感じなくなるのだが、やっぱり美味しい食事ができるかどうかは健康的な面から見ても大きいと思う。
 一時退院の安心かと言うか?安堵というか?とにかく精神的にも肉体的にもかなりの幸福感だった。なくても大丈夫だろうが、一回その感覚を味わってしまうともう戻れない。狭い家の中だけでも自由に生活できるというのは本当に素晴らしい。

 最後に、精神衛生上の面で自らに課したルールがある。内容はシンプルで「退院まで自分の一番好きな食べ物を口にしない」ただそれだけである。これが意外にも良かった事で、気力を保てるというか、自暴自棄になりそうなメンタルを止めてくれていた気がする。それでも相当なストレスがかかっていたことを元の生活に戻ってから知った。

因みに僕の一番好きな食べ物は“餃子である”



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