みすゞのひとり旅 in 大阪
趣味、ひとり旅。今回の舞台は大阪です。
お盆休みの新幹線は、完全自由席なしの全席指定席のみでの販売。東京駅は始発で改札前の人が多いことを想定して品川駅から乗りましたが、それでも混んでいました。
南海トラフ地震の警報が出ていた影響からか、大阪には12:30頃、予定時間より8分遅れで到着。
今回の旅は、前々から行きたいところをリストアップしていたので、結構過密スケジュール。さっそく1つ目の目的地へ向かいます。
【大阪万博記念公園】
新大阪駅から御堂筋線に乗り、千里中央駅で大阪モノレールに乗り換えると、万博記念公園駅まで辿り着けます。そこから徒歩10分ほど歩くと、大阪万博記念公園はあります。
名前の通り、大阪万博記念公園は1970年に大阪で開催された日本万国博覧会【通称:大阪万博】の跡地に整備された文化公園です。万国博覧会とは、人間の活動に必要なものの実現に向け、進歩してきたことや、将来の見通しを示すためのイベントのこと。
わたしは万博公園に2つの目的地があり、ここに訪れました。
●太陽の塔
芸術家・岡本太郎といえば「芸術は爆発だ!」というワードと大阪吹田にそびえ立つパビリオン、太陽の塔。
わたしは彼が好きで、彼の作品の目の前にもう一度立ちたいという思いで、太陽の塔に会いに行きました。
初めて太陽の塔を直接目でみたのは2年前の初夏。表には現在をみつめる太陽の顔、頂上には未来をみる黄金の顔、背中には過去をみつめる黒い太陽。感動と共にかすかに感じる恐怖のようなものに、鳥肌がたち興奮しました。
大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。
テーマ展示プロデューサーを務めた太郎氏はこのテーマに対して否定し、「人類は進歩なんかしていない。なにが進歩だ、クソ喰らえだ。縄文土器の凄さを見ろ。皆で妥協しあって生まれる調和なんて卑しい。」と言いました。
万博、先進国のみが持つ技術力をつかって、人類全体があたかも進歩したように称する場。モノがどんどん増殖して科学が人間を凌駕する社会。
その安易さや、社会に対しての疑問を抱いた太郎氏は、人類の進歩を象徴する万博の一大建造物「大屋根」 (モダニズム建築の巨匠、丹下健三氏が設計) を、原始のエネルギーに満ちた異形の塔でぶち抜こうと考えました。
それが、太陽の塔。
科学技術の進歩と調和などとうたって未来が拓ける時代は早晩終わりを告げ、本当に人間が生き生きと輝くにはどうすればいいか、根本から見直さなくてはならない時がくる。
人間の原点、進歩と調和とは正反対の「人の根源」を考えろ、人間のありのままでぶつかるんだ!そんな想いがこめられている気がします。
当時の万博に使用された建設・運営費は合わせて878億円。その経済効果は3500億円収支は195億円の黒字をたたき出したそう。入場料は大人800円、子供400円。(当時の平均月収は月5万円)
まだまだ話したいことは山々ですが、このエピソードだけでも太郎氏のエネルギーを感じます。
ぜひ、皆さんにも訪れて欲しい場所です。
●国立民族学博物館
ここはわたしのお気に入りの場所。
万博公園の敷地内にある国立民族学博物館【通称:みんぱく】は、民族学・文化人類学に関する調査・研究をおこなうとともに、その成果に基づいて、民族資料の収集・公開をしています。
オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、南アジア、東南アジア、中央・北アジア、東アジアに大きく分けた地域展示と、音楽・言語などの展示、世界の人びとの生活や技術などを記録した動画の資料も多くあります。
とても広く見応えがあり、1度で全ての情報を頭に入れるのは難しいですが、何度か足を運んで気になったエリアをゆっくりみるのがオススメです。
【新世界】
万博公園を後にし、通天閣で有名な観光地、新世界へ向かいます。何度か大阪に訪れてはいるものの、一度も行ったことがなかった新世界。
夕方、暗くなり始めた新世界の街は独特な雰囲気をまとっていました。
特別どこかのお店に立ち寄った訳ではありませんが、ただただ歩いて大阪の夜の風景をひとり楽しみました。
【クラブ温泉】
暑い太陽の下を歩きまくり、汗をかいて火照った身体にはやはり銭湯でしょ。ということで、宿泊するホテルの近くのクラブ温泉に行きました。
わたしは旅先の銭湯に入ることが好きです。
知人が誰もいない空間で、その土地に住む地元の人たちのたわいもないおしゃべりに耳を傾けながら、目をつむってひとり温かいお湯に浸かる。そして、瓶のコーヒー牛乳か牛乳を扇風機にあたりながら飲むのが、ベタですがたまらなく好きです。
電気風呂や滝行のようなお風呂、足つぼのお風呂、ジェットバス、サウナ、水風呂など様々なお風呂が楽しめ、どれもいい湯でした。
【ホテル ダイキ】
今回の宿泊地。大阪環状線JR天満駅から徒歩1分ほどの場所にあるホテルダイキにチェックイン。
1階は喫茶店、2階から上が客室フロアとなっています。看板猫がいて、気ままに館内をうろついている、猫好きにはたまらないホテルです。
たまに宿泊する部屋に入ってきてくれるらしい猫さんたちも、夏バテなのかゲージの中でぐっすり寝ていました。かわいい。わたしも、ベットに倒れるようにぐっすりと寝させていただきました。
今回の宿泊プランは朝食付き。
1階の喫茶店でモーニングを食べました。
喫茶店は、宿泊者以外も利用できるため、地元のおじいちゃんやサラリーマンの方も新聞片手にモーニングを食べていました。
ジャズが流れる店内で、フロントの方の対応も気持ちよく、良い朝の時間を過ごすことが出来ました。
【西成】
ホテルをチェックアウトし、大阪環状線のJR天満駅から大阪駅、四つ橋線に乗り換え花園町駅で降りると、西成区に着きます。
● 松乃木大明神境内 猫塚
西成の商店街の裏通りに、ひっそりと佇む猫塚。
大正5年、松乃木大明神を含む地域一辺は飛田遊郭が築かれ、賑わい始めました。大正7年には、100件あまりの妓楼(売春宿)が並んでいたとされ、かなりの賑わい。
そんな飛田遊郭では、猫の皮を剥いて作った三味線で芸をしていたため、松乃木大明神にある猫塚は三味線の胴の形をしています。
猫の亡骸を供養するため、遊女たちがお金を出し合って建てたものだといわれています。
「あそこはいつも野良の猫が2匹以上はいるよ」と、行き道、アパートの日陰に腰を下ろして涼んでいたおじさんが教えてくれました。でも本当に暑すぎて、猫様も日陰にいるのでしょう。わたしが訪れた時は居ませんでした。
今度は寒くて身を寄せ合う猫達がいる事を願い、冬に立ち寄ってみたいと思います。
●多良福
動物園前一番街の商店街を歩いていると、「氷」ののれん。一目散に駆け込みました。
多良福は、うどん屋であり甘味処のようなお店。昭和生まれや昭和好きには落ち着く佇まい。わたしは宇治茶のかき氷を頼みました。
食事を終えたお客さんがはけわたし1人になると、「どこから来たん?」とおしゃべり好きなお母さんが話しかけてくれました。
来年の3月3日で創業100年を迎える多良福。奈良出身のお母さん、櫻井英代さんは嫁ぎ先として西成の地に足を踏み入れかれこれ60年ほどになるらしい。
赤髪パーマで青いエプロンをつけたおしゃれな英代さん。40日おきにお決まりの美容院に行くそうで、2〜3日前には何時にする?と美容院から電話がかかってくるそう。その他にも、わたしのひとり旅の話しやら色々と楽しい時間を過ごしていたら、帰り際に「楽しい時間をありがとう、またね」とどら焼きをくれました。
英代さんは、「新世界とか賑わってるまちが沢山あるのになんでこんな所きたん」と言っていましたが、わたしは「THE観光エリアでは出会えない英代さんのような人に出会いたいからです」と言ったら、ちょっと照れくさそうに笑ってくれました。
わたしが倒れたらもうお店もなくなると言っていたので、本当にまた会いに行きたいです。
ひとり旅の注意点
写真はありませんが、少しだけ心斎橋アメリカ村付近も散策しました。
やはり若者の街。三角公園のあたりや大通りはとても賑やかですが、夜は体感的に治安が悪い印象を受けました。そのため友達がいるならまだしも、女子1人で裏道を出歩くのはやめておいた方が良いかもしれません。
新世界や西成も夜は危険。大阪育ちのわたしの祖母も、小さい頃は西成には行くなと言われていたらしいです。西成も良い街ですが、居酒屋で覚醒剤を売るな!という看板があるくらいですから、念のため気をつけてください。
たくさん歩いたので疲れましたが、とても楽しかった。
次また大阪に足を運ぶ際は、西成の英代さんに会いに行き、味園ビルが解体される前に味園ユニバースで誰かのライブに行きたいな〜、なんて考えています。
また書きます。
みすゞ
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