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「眠いのに」×「オーブンレンジ」× #FA8072

 『オーブンレンジが届きました。明日、午前中に私の家にきてコーヒーを淹れてから起こしてください。朝ごはんはイングリッシュマフィンのオープンサンドが食べたい。マフィンは買っておくから作ってください。夜ごはんはグラタンを作ります。』

 久しぶりに、リクから連絡がきた。いつもはこちらから送るばかりで、返信も3回に1回くればいいほうだ。

 こちらが会いたいときに、一方的に待ち合わせ場所と時間を送り付ければ来てくれる。それは彼女も同じで、自分の都合を全力で投げてくるから、こちらはそれを受け止めるしか選択肢が与えられていない。

 彼女はインドア派だから、今回は家でデートするということだろう。次回は先を越されないように、今からデート先を練っておく必要があるな、とケータイに残しておいた行きたい場所を書いたメモアプリを開いてみるが、そこには、海とか食べ歩き、とか何も参考にならない情報が乱雑に置かれていた。

 いつもやっていることなど、なんの参考にもならない。そういえば、山に行くときに先に伝えなかったら、彼女が買ったばかりのサンダルを履いてきたことがあった。あの時は怒られたなぁ……。仕方ないから、本気で山を登ったりするときは、事前にお知らせは入れるようになった。

 サプライズ感がいいんだろ、と言ったら、思い切り殴られたからだ。

 イングリッシュマフィンと、コーヒー。そういえば、昨日買ったばかりのコーヒーがあったことを思い出す。あれを持っていくことにしよう。

 セットで買ったチョコレートはリク好みな気がしたから、それもついでに。オープンサンドはバターに卵に、キュウリ。シンプルなものが簡単でいい。

 彼女のわがままは、ささやかだけれど横暴だ。たまに落とされる、そんな小さな爆弾が、俺はなんだかんだ気に入っているらしい。

 彼女の部屋のドアを、なるべく音をたてないように開ける。彼女の寝起きは控えめに言っても最悪だからだ。

 コーヒーを淹れてから起こしてください、というのは、ある意味“私の機嫌がよくなる起こし方です”という意訳ができるというわけだ。

 玄関をあけてすぐ見える、小さな台所にはレトロな暖色をまとったオーブンレンジが存在感を現していた。狭い台所が圧迫されて、さらに息苦しく見える。

―料理なんか最低限しかしないくせに、どうしてこんなものを買ったのか。彼女の思考は考えるだけ時間の無駄だから、首を振って雑念を払う。台所に荷物を置き、ジャケットをリビングに置きに行く。

 ベッドも置かれているそこでは、彼女が布団にくるまっている姿を確認する。口元には握った手が添えてあり、それが子どものようで笑えて来る。

 彼女と一緒に選んだ黄色のヤカンでお湯を沸かして、その間にキュウリを切ったり、卵の準備をする。卵の賞味期限を確かめるとまだ余裕があったから、半熟でもイケるなと口角があがる。

 マフィンはフライパンで表面に焼き目をつけて薄くバターを塗ると、じんわりと表面がふやけてくる。これこれ、とほくそ笑んでいるとちょうどお湯も沸いた。そのタイミングで持ってきたコーヒーを落とす。

 じんわり部屋中に香ばしい香りが満ちると、もぞもぞと布団が擦れる音が聞こえる。今回のコーヒーは当たりだ。おいしいコーヒーが見極められるようになったのは、最近のことである。

 豆を買い始めた2年前は、付き合ったばかりの彼女に苦い顔ばかりさせていた。久しぶりにあの顔が見たいような気もするけれど、そのあと蹴りもセットになるのは勘弁である。そういうとこ、かわいげないんだよな。

「リク、起きろ。」

 小さなワンルームにはベッドにガラステーブル、テレビがバランスよく並べられている。隣にある一部屋は、ほぼ彼女の衣裳部屋と化している。着道楽な彼女らしい部屋の使い方だ。

 テーブルに2人分の料理とコーヒーを並べる。もごもごと口を動かしても、起きだす気配がないから思い切り布団を剥ぐと恨めしい顔を見せてきた。

「……カイさん、寒いです。」

 その辺に放ってあるカーディガンを渡すと、不機嫌な顔をしながらも素直に羽織る。テーブルに準備された朝食を見て、細くなっていた目がぱっと開いた。現金なやつ。

「やったー!早起きしたかいがあったよ」

 即座に食卓につくリクの姿に、思わず笑いがこみ上げる。大体、今は朝の9時だ。早起きとは到底思えない。

「どうして、オーブンレンジなんか買ったんだ?料理なんかまともにしないくせに。」

「……カイさんは人のことなんだと思ってるんですか。しますよ、料理くらい。オーブンレンジってすっごい便利なんですよ、知ってました?」

「知ってるよ!……俺だって、欲しいなぁと思って、買ってなかっただけだしな。」

「ですよねぇ。……そろそろ新しいドライヤー欲しいなぁなんて思ってふらふらしてたら、見つけちゃって。色も私が好きな赤だし、運命だなって。」

「赤じゃないだろ。」

「……誰がなんと言おうと、私が赤といえば赤です。」

 ピンクや朱が混じったような、赤だとは言い切れない色を彼女は赤だと言い張る。

 2つ年下の彼女は、大学時代の後輩だった。気まぐれで作ってみた日本酒クラブに、こじんまりとしていたからという理由だけで訪ねてきたのだった。

「リクって名前なのか。俺はカイだから、クウがいたら自衛隊だな!」

と言ったら、嫌な顔をされたことを覚えている。後で聞いたら、第一印象は関わりたくない先輩だったらしい。よくここまで出世したものだと、自分でも思う。

「で、夜は何食べるんだ?」

「……昨日、グラタンって送ったじゃないですか。」

「うん、そうだけどな。さっき、冷蔵庫見ただろ?……グラタンの材料が見当たらなかったから。」

「……カイさんのいうグラタンの具ってなんですか?」

「エビとか、マカロニとか?」

「マカロニは冷蔵庫に入れません。」

「……揚げ足をとるな、揚げ足を。」

「まぁ、楽しみにしていてください。すっごいおいしいもの、作りますよ。」

「……ほう。」

「あ、お酒!今回のはお酒にピッタリだから、お酒は買いに行かなきゃ。何飲む?ビール?」

「……オススメは?」

「日本酒かな。」

 コーヒーをすすりながら、こちらを覗き込むようにした視線と絡み合う。そういえば、彼女の部屋で過ごす休みは久しぶりの気がする。

 ふふっと小さく笑うリクは、いつもよりご機嫌だ。

「カイさんが私の部屋にいるの、思ったよりもうれしいかも。」

 同じことを思っていたのか、と照れ臭くなっていたら、彼女は気が緩んだのかぽろっと口を滑らせた。

「オープンレンジ、買ってよかったな。」

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