泳ぐこと。好きでい続けるための距離
心地い音楽。水の中を自由に、やわらかく姿を変える繊細な表情と、勇気。わたしはきっと、この曲が生まれる前から好きだったのだと思う。現に、母はお腹の中にいるわたしにCDを聴かせ続けたというのだから間違いない。
「ねぇねぇ! アリエルみたいでしょ? 」
水泳帽を深々とかぶり、まんまる笑顔で水面からひょっこり顔をだす。泳ぐことが好きだった。身体を自由にしならせて透明な世界を渡りきる心地よさが好きだ、と言語化できるようになったのは大人になってからだけれど。プールは、大好きなアリエルになれる場所だった。
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はじめてプールに入った日は覚えていない。泳ぎ方を教えてもらったのも曖昧で、塩素の匂いがする自分の髪の毛と、泳ぎ終わった後の空腹感だけは、なぜか鮮明だ。
小学校に上がる年、育成コースに来ないかと誘われた。習い事としてのスイミングではなく、記録を追い求め、技術を磨く「水泳選手」にならないか、と。
なぜか、幼稚園を卒業する頃には、四泳法もクイックターンも飛び込みもできるようになっていたわたしは「やる。」とふたつ返事でアスリートになった。
小学1年生。学校から帰ってきたらランドセルお放りだして友達と遊びに行きたいところを抑え、放課後はいつもプールの中。
当時の文集には「せかいせんしゅけん(世界選手権)で平泳ぎで金メダルをとる」とはっきり書いてあった。母が、そんなこと書いて恥ずかしいと言ったのをうっすらと覚えている。でも、当のわたしはそう宣言することにためらいのないくらい当たり前に、トップを目指して泳ぎを極めていたようだ。
それでも、1秒を縮めるために永遠と泳ぐ世界は厳しい。
優しすぎたらだめだった。人を蹴落としてでも自分がのし上がっていこうとする気持ちが無ければ辛い練習に耐えられなかった。水に入ればいつもひとり。静かで、自由で、柔らかくて、心地のいい水の中は、次第に、冷たくて孤独で音のない世界に変わっていった。
お腹が痛いと嘘をつき、トイレに閉じこもった。熱があると嘘をつき、保健室に行った。もう、泳ぎたくなかった。
スイミングスクールのロビーで体育座りをして泣きながら母を待っていたのを覚えている。心細くて、苦しくて、どうしようもなかったのだろう。
「練習がきつい」そのひと言が、言えなかった。
逃げることはいけないことだと思っていたし、自分がやりたいと言ったことを途中で辞めることなんて情けないことだと思っていた。
わたしには、その1秒を縮める理由も、闘志も、最後まで見出すことができなかったのに。
***
結局わたしは2年で育成選手を辞め、習い事としての水泳を続けることにした。競わない、楽しく泳ぐ。競うのは、前回の自分のタイムだけ。そのために練習をがんばった。
心地いい水の音を聴く余裕をもって全身をしならせる感覚は、今でもわたしの身体に染みついている。
あのとき、逃げてよかった。
水泳を「好き」と思える距離で続けられてよかったと思う。
トビウオのように最速でどこまでも行ける人もいれば、わたしのようにゆるく心地よくクラゲのように漂いながら前に進みたい人もいて当然で。
そのことに、水泳を嫌いになる前に気づけて良かった。
今でもときより、透明な変幻自在の世界に飛び込む。頭をすっきりさせたいとき、自分に素直になりたいとき、わたしはプールの中にいる。
指先をすっと伸ばして足をフィンのように唸らせたら。
Part Of Your World 身体に流れる、音色。
手を伸ばし続ける、叶えたい世界へ。
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