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温度の伝わる関係性

※この記事は、2021年4月に書いたものを筆者の投稿忘れにより、2023年2月に公開したものです。およそ2年の熟成期間を経てもなお「なんかいいな」と思えたので、思い切って公開します。時系列を考慮してお読みいただけますと幸いです(笑)。

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4月に入り、Nafshaもゲストハウスとしてのグランドオープンを迎えました。「予約はお手紙で承ります」なんて言ってしまって、本当に大丈夫かな…という不安もあったのですが、有難いことに少しずつお手紙が届くようになってきています。
ポストに手紙が届くたび、その丁寧に書かれた封筒の文字をしばらく眺め、宝箱を開けるようなワクワクと緊張感をもって開封します。まだ数通ではありますが、どのお手紙も送り手の方の工夫や個性が感じられ、「この手紙を書いている時、Nafshaのことを想ってくれたのか」と思うと、毎回温かな気持ちが込み上げてくるのです。

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「手紙を書く」ということは、きっと、というか絶対的に手間のかかるやり方です。ただでさえ忙しく、その忙しさを補うためのサービスや技術がどんどん開発される現代において、全く時代に逆行していると言わざるを得ません。ですが目の前に届いたどこかの誰かからのお手紙を見ると、このやり方をして良かったなとつくづく思えるのです。それはおそらく、手紙を通してやり取りされる時間の流れが、今の私たちに合っているからでしょう。

先日、ある友人と話をした際に興味深い話を聞きました。絵を描くことを生業としているその友人は、ある一枚の昨品について「描くのにどれくらい時間がかかったの?」という質問を受けた時、必ず「5年です」と答えるようにしていると言います。実際にかかった時間は5年でなく、もっと短いはずです。ですが彼女はこう続けます。「この絵は、これまでの5年の思い出と経験があって描けたもの。だから描くのにかかった時間は5年なんです」と。

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通常のビジネスシーンでは、よく "計画性" を指摘されます。
ゴールや目標をあらかじめ設定し、そこから逆算をして "今すべきこと" を割り出す。社会人として仕事をするにはあまりにも当たり前で、このことに疑問を持つ人も少ないかもしれません。ですがそのやり方は、この絵描きの友人には必ずしもフィットしないのです。彼女は果たして「5年後にこうゆう絵を描きたいから、今のうちにこれを経験しておこう」という計画性をもって、この数年を過ごしてきたのでしょうか。例えば3万円で絵を売るために「この作品は3日で完成させよう」、という動機で筆を取るのでしょうか。おそらく違います。きっと彼女は、目の前にある光景や素敵だなと思った瞬間が積み重なって一杯になった時、はじめて「描きたい」と思うのです。その瞬間が「今から逆算していつ頃来ますか?」という問いが無粋だと思ってしまうのは、私だけでしょうか。

もちろん、計画性を持って取り組むことが悪だ、と言っているわけではありません。ですが私も実際にこの2年を地方で暮らしてみて、「計画性」よりも「信頼関係」の方がはるかに大事ということを感じています。

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私が住む須賀川市でも、若い世代の人口は減り、街の活気は目減りする一方です。そんな中、「空き家を有効活用して楽しい場をつくろう!」「移住者を増やそう!」という取り組みもちらほら出てきています。それ自体は素晴らしいと思うのですが、だからと言って、空き家をきれいにリノベーションすれば人が集まってくるかと言えば、そうではありません。ましてや補助金をたっぷり支給して増やす移住人口の "数字" に、果たしてどれだけ意味があるのかも疑問です。

人の心に届くものをつくる一歩とは、「目の前にいるこの人に届けたい」という想いからはじまるのではないでしょうか。この人の笑顔が見たい、元気のおすそ分けをしたい、悲しみは分かち合いたいし、辛いことがあったら寄り添っていたい。そしてそんな "目の前にある" 関係性や瞬間と大切に向き合った結果、心がほっと温かくするような "場" ができて、人が集まる。人の心を相手にするので時間もかかるでしょうし、その場が持つ力を具体的な数値として表すことも難しいかもしれません。ですが、例え亀の歩みであっても、それが "温度の伝わる関係性"の上で成り立ったコミュニティであるならば、それはきっと強固で血の通ったものになるとも思うのです。

Nafshaへ送っていただいたお手紙の一通一通にも、見えない想いやかけられた時間の蓄積があります。手紙のやり取りをした時間があるからこそ過ごせる、Nafshaでの一日があるかもしれない。そんなことを想いながら、皆さま来る日を楽しみにお待ちしています。

guesthouse Nafsha
Misato Sato

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