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「0点」の解答用紙を手にした日に決めたこと③ mayumin3

こんにちは。グラフィックデザイナーのイトウマユミです。
3話目は、忙しい先生にもサードプレイスがあってほしいというお話です。


《アルコール依存症の教師の父。》

前回も書いたが、幼少期の我が家は5人家族。家族のコミュニケーションがまともにない家庭だった。

https://note.com/mirai_wings/n/nca8ab8821d8d(前回のお話)


理由の1つは、「父がアルコール依存症」だったことだ。

酒癖レベルはというと。毎日飲んで朝まで家に帰らない → 飲み代の請求書の山が届く→ 借金の尻拭いに母が奔走→ なじり合うという共依存のような関係。(一番やっちゃいかんパターン!)私には家庭は居心地が悪く、学校が唯一楽しく過ごせる場所だった。

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そんな父は、校長として定年を迎えるまで教師1本で生きてきた人だった。
酒癖は、回復したと思えばまた溺れるという繰り返し。ただ普段は割と器の広いユーモラスで豪快な人である。教え子たちも、卒業後も会いに来てくれたりと生徒さんには好かれていたようだ。


長い時を経て、私は専門学校のある大阪へ。父は僻地の島の学校へ単身赴任。姉も県外に行くなど家族が離れる期間ができた。この頃から父の状態は少しずつ良くなった。(アルコール依存症は、家族と適度な距離を保つことが有効なのだそう)孫も生まれ、父も丸くなった。込み入った話ができるようになった。


教育の事を自分から語ることは少なかった。しかし「学校側の責任、ついては校長の責任です」といわざるを得ないような事件的なこともあった。事件の内容はその生徒さんの家族問題だったが、生徒のために立ち入りたくても家族に頑なに拒否され立ち入らせてもらえない、という公にはできない事情などもあった。「色んな家庭の子がおるんよ。。」と悔しそうに話していた父の顔を覚えている。

夏休みは毎日部活に奔走。職員会議。親御さんからの連絡。緊急であれば、時間関係なしに即現場へ。どう見ても、豊かな時間を楽しめるような隙間はなさげだった。それは昔からあまり変化してないようで、某新聞は数年前に、文科省のデータをもとに「世界一長い日本の小中教員の勤務時間…事務・部活が負担」という見出しで報じていた。根っからの酒好きもあるが、何かから逃げるようにお酒に依存したのはやはりストレスが相当あったからだと思う。

《教師として幸せだったのか。先生のほっとできるサードプレイス。》

数年前、父が脳梗塞を起こした。早めに救急車で運ばれたが半身麻痺が残った。病院のリハビリでは「お父さんがんばっとるぞ!」と明るく日々のスケジュールを見せてくれた。「文字も書けるようになったぞ!」と震える手でペン字も披露するようになった。
しかし数か月後、父はうつ病になった。リハビリを頑張っても、なかなか回復しないことに絶望してのようだった。
「父さんはもうあかん。死ぬわ。」「なんもできん。」初めて聞くような言葉と泣き声。思えば父の愚痴をほとんど聞いたことはなかった。やっと弱音を吐けるようになったんやろうね、と姉と話した。子どものように感情をむき出しにする父の姿になぜか安心さえ覚えたからだ。


先生方は、弱音を吐ける、本音を言える、自分の意見を堂々と話せるサードプレイスはあるだろうか。感情優先になってしまうが、老いていく父の姿を見て思う。教師としてやりがいはあったと思うが、教師の仕事は果たして幸せだったのかと。学校以外に先生にもコミュニティの場があった方がいいと思う。「先生自身が不完全でもいいと認めてもらえる場」だ。先生に「完璧」を求めてはいませんか?

《新しい旋風を》

父のリハビリ生活も順調になったきたある日。私の同級生である、「ミライ∞ラボ」の塾長の話を父にした。彼女が教育界に新しい風を吹き込むべく、ドリームマップを学校授業に取り入れてもらおうと活動している、という話だ。
父は、教育の新しい物事に対してはあまりいい顔をしないかと思っていた。
しかし、答えは意外なものだった。
「そうか。。。それはいいことだな。ただ、どんな場でも一から新しいことを始めようとする創設者は必ず多々批判もされる。がんばってほしい。
父も、幾度となくそういう現場に立ち会ったのだろう。


先生方が、遠慮なくチャレンジできる教育の場。
先生自身が豊かな人生を構築されること。

このふたつを、切に願っている。

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