見出し画像

Review 17 ヤマブミ 前編

 山には縁があるのだが、山はそれほど、好きではなかった。
 山と名のついた土地に生まれ、山と名のついた学校に通った。
 生まれて育った場所からは、いつも、山々の稜線が見えていた。

 でもそれを、有難いとも嬉しいとも、思ったことがない。
 綺麗だなとも、美しいとも、感慨を抱いたことがない。
 あまりにも当たり前に、いつもそこにあったからだ。

 むしろ子供の頃は「それしかない」ことに不満を抱いていた。
 無機質な都会に憧れた。なんにもない、空と山と田んぼしかないところなどつまらない、近代的なビルや、人工的な造形物のほうがよっぽどいい。
 そう思っていた。

 都会から親戚が来たり、生まれも育ちも東京だという人が訪ねてきたときに「山が綺麗!空が綺麗!空気も美味しい」と誉めそやされるたびに、それしか褒めるところがないからねと苦笑いしか出なかった。

 大人になって、望み通り都会に住んだ。山を懐かしむことは無かった。

「山ガール」という流行を耳にしても、雪山での遭難のニュースを見ても、なんで山なんかに登りたいと思うのだろう、と不思議な気持ちになるだけだった。『生徒諸君』でもナッキーの彼氏候補のカッコいいツンデレ沖田くんが山で死んだ。わざわざ命を危険にさらしてまで、寒さに凍えて凍傷になってまで、何日もかけて準備をしてまで、登りたい、という気持ちがわからなかった。

 気軽なハイキングやトレッキングであっても、行きたい、と思ったことがない。遠足ですら、ただただ面倒だと思っていた。攣るほど足腰を酷使して、体力の限界まで息を切らせて、冷たいおにぎりを食べるだけの、どこが楽しいのだろう。

 ネガティブでマイナスのことしか思い浮かばなかった。

 山なんか。

 私にとっては霊峰も、景色の額縁程度にしか思えなかった。

「読書の秋2021」の賞品として、湊かなえさんの『残照の頂』を選んだのは、「選択の理由とタイトルの話」に書いた通り、工藤夕貴さん主演のNHKドラマ「山女日記」の原作であると知ったからだった。

 たまたま、工藤夕貴さんが番宣をしていた報道番組を観た。

 工藤夕貴さんは、ほぼ同世代の女優さんで、最初はアイドル歌手だったと記憶している。若い頃はちょっととんがった映画によく出演されていた。1980年代、インディーズ系映画の若手だったジム・ジャームッシュ監督の映画『ミステリー・トレイン』に永瀬正敏さんと一緒に出ていた。

 ジム・ジャームッシュ監督の映画は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』も『ダウン・バイ・ロー』も観た。モノクロで、カッコいい映画だった。工藤さんが『ミステリー・トレイン』で主演と聞いたときは、おお、と思った。『ナイト・オン・ザ・プラネット』は好きな映画だったが、その後インディーズ系の映画を観なくなった。工藤さんが2009年の同監督映画『リミッツ・オブ・コントロール』に出演していたと知ったのは、ごくごく最近だ。それも、観ていない。

 久しぶりにテレビで観た工藤さんはずいぶん印象が変わっていた。なにより少女ではなかった。少々失礼な話だが、私の中で工藤さんはいつまでも少女だった。同世代なのに。イメージというのはそういう悪戯をする。

 現在の工藤さんは、静岡に土地を買って農業を営んでいるという話だった。テレビでは富士山が見える素晴らしいロケーションだと語っていた。自然をこよなく愛するようになった工藤さんは、『山女日記』に主演することをとても喜んでいるようだった。

 なにしろテーマが山ではそそられない。ドラマを観てみようと思ったが、なんとなく見そびれて、では原作本を読んでみようと思ったが、それもなんとなく思っただけとなっていたところに、幻冬舎さんのサイトで『残照の頂』を発見したのだった。

 続・山女日記とあって、そのまま「続」から読んでもいいなと思っていたのだが、結局『山女日記』を先に読んだ。どちらが先でも構わなかったと思う。二冊の本は、雰囲気が違っていた。

 ―――ここまで書いて今更だが、二冊同時の感想文は、どうやらかなり長くなりそうだ。感想文なぞ回数を分けて読むほどのものではないと思うが、前編・後編に分けさせていただこうと思う。

 「山女日記」というのは、話中に出て来る架空の登山愛好家向けのサイトの名前だ。連作小説『山女日記』では、登場人物がなにかしらそのサイトと絡みつつ、人間関係もどこか少しずつリンクしながら、いくつかの短編が描かれる(テレビドラマは、その中の登場人物のひとりが主人公のようだ)。

 当然ながら、山が沢山出て来る。解説は山岳登山雑誌でモデルさんをされていたり寄稿したりしているKIKIさんという方で、寡聞にも私は存じ上げなかったが、どうやらかなりの登山愛好家らしい。小説中で「登山ブームなのに山に山ガールなんて全然いない」とぼやく主人公たちに「それもそうでしょう、選んでいる山が渋いからですよ」と解説で助言(?)してくれている。短編にはKIKIさんが登ったことの無い「トンガリロ」というニュージーランドの山の回もあり、そこには興味津々のようだった(全くの余談だが、私はこのトンガリロ近くのロトルアに行ったことがある。まさかあの近くにそんな山があったなんて、この本を読んで初めて知った。トンガリロ国立公園は世界遺産だ。ロードオブザリングの撮影地でもある。ロトルアに行っておいて、どんだけ山に興味がなかったんだか、と自分でも呆れる)。

 彼女によると、どうやらこの『山女日記』で選ばれる山々は、熟練の愛好家にとっても「ううむ、なかなかやるな」と思うチョイスのようだ。装備に関しての記述も過去のものからイマドキのものまで、みたこともないのに購買欲すらそそられる。初心者向けガイドのようでもあり、ベテランでも登頂欲を刺激されるというのは、すごい。作家の手腕というものなのだろう。

 作者の湊かなえさんご自身はというと、アパレルメーカー勤務、青年海外協力隊隊員としてトンガに赴任(今回の噴火でも寄付をされたようだ)、高校で家庭科の非常勤講師、作家になってイヤミス(読後嫌な気持ちになるミステリ)という新ジャンルを開拓、という意外性の宝庫のような半生。大学生の時にはサイクリング同好会の傍ら登山を始めたようで、こちらも本格派のようだ。山本周五郎賞など、賞も多数受賞されている。私は最初、山岳小説と言えば新田次郎、と思ったのだが、新田次郎賞は「まだ」だった。ひょっとしていずれは、などとひそかに夢想している。

Review17 ヤマブミ 後編 につづく。


 ※ヤマブミは、「山踏み」(古語)。山中を歩くこと。霊験ある山々の社寺を巡拝すること。またはその人。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?