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Review 14 グリグラ

『おとな小学生』は、「読書の秋2021」の賞品としてポプラ社さんからいただいた本だ。

 この本を選んだ経緯は、こちら。

 以前どこかで「子供の頃、どんなことを考えていたかなんて、大人になると忘れてしまうんですよね」なんてしたり顔で言っていた自分をぶん殴りたい気持ちになるほど、この本は見事に私を過去に連れて行ってくれた。タイムマシンレベルだ。

幼い日に読んだ、もしくは読んでもらった絵本は、有効期限のない切符のようなものだと思っています。いつでも、懐かしい場所に連れて行ってくれる。

『おとな小学生』益田ミリ「はじめに」より

 きっかけさえあれば、子供の頃の気持ちを思い出せる。本当にそうなんだな、と思った。著者の益田ミリさんは、優しい語り口の文章と、ほんわりした漫画と、哲学的な挿絵でそう訴えかけてくれる。

 初めてこの本の表紙をちらりと見た時は、親子の絵だと思ったのだが、「おとなの自分」と「こどもの自分」なのだった。ふたり(?)は仲良く野外で絵本の『ぐりとぐら』みたいにホットケーキを作りながら、いろいろな話をする。これがまた、羨ましい!『ぐりとぐら』のホットケーキは永遠の憧れだ。

 イラストでは、主に「こどものわたし」が「おとなのわたし」に質問をする。

「おとなになってよかった?」
「勉強していいことあった?」
「今までで一番楽しかったことは?」

 なかには
「ブラジャーってどんな感じ?」
 なんていう質問もある。

 それに答える「おとなのわたし」の答えが、とてもいい。益田さんは、素敵な大人になったんだ、と思う。私はとても、益田さんのような答えは思いつかない。

 エッセイは主に、思い出の絵本をめぐるものだ。それに、益田さんのこどものころの思い出がセットで語られる。その鮮明さ、克明さに驚く。

 そうだった。かつて絵本と言うものは、こどもにとって人生と分かち難くあるものだった。あのとき、このとき、なにがあって、誰がどうして、と思い出せるくらいの、今でいう「動画」とセットという感じ。その動画の中に、絵本を読む自分と、絵本の記憶そのものが存在する。

 益田さんは私と同じ年に生まれている。だから観ていたアニメや漫画も同じだし、出て来る絵本という絵本が、私の幼いころの記憶とシンクロしている。私の知らない絵本もあったし、「あの絵本も、読んでいたんじゃないかな」なんてそわそわする気持ちにもなった。

 紹介されている21冊の絵本にはロングセラー本が多い。お若い方が読んでも、なかにはタイムマシンのスイッチが押される絵本が、きっとあるのではないかと思う。

 本を読みながら、まるで益田さんと対話しているような気がした。へえ、そんなふうに感じてたんですね。私はこう思ってたなぁ、と。似たような気持ちを抱いていることもあれば、面白いこと考えていたなと感心することもある。

 例えば『バーバパパ』。私は益田さんのように、「フランス人のフランシスのおうちの庭が広いからバーバパパに会えたんだろうな、うちには来てくれないだろう」とは、思ったことが無かった。「外国だからバーバパパがいるんだ、日本にはいないんだろうな」と思っていた。子供って、ほんとに面白い。

 益田さんが大人になっても忘れられずにいる絵本を、物語の記憶を頼りに外国まで探しに行くエピソードが印象的だった。

 幼稚園のお誕生日会でプレゼントされた『12のつきの物語(邦題)』という絵本。主人公の名前がマルーシカで、絵本に「チェコスロバキア民話」と書かれていることしかわからない。編集のひとが古本の絵本をみつけてくれて翻訳の日本版と再会を果たし、その後、本場の『12のつきの物語』を探しにチェコに行くことに。

 その顛末は文章とイラストで語られるのだが、まるでミニシアター系の映画のようだった。古本屋さんや本屋さんをめぐり、この本に記憶はありませんかと尋ねて歩く。わかるのはストーリーと主人公の名前だけで、まるで探偵団の冒険譚だ。映画監督さんがどなたか、この「絵本を探す旅」のことを映画化してくれないだろうか。幼稚園の時に知り合ったマルーシカと言う名の外国の女の子と再会した時の益田さんは、きっと幼稚園の時の益田さんに戻っていたことだろう。やっと会えたね!という感動が、ひしひしと伝わってきた。羨ましかった。

 そこまで思い入れが強くないが、私にも「あの絵本は、なんというタイトルの、どんなお話だったかな」と思う絵本がある。おぼろげな挿絵や表紙を思い出せるのだが、表現のしようもないし、その絵以外なにもわからない。私の記憶を写真で撮って「これです」と言えればいいのだけど。

 それから、国語の教科書に「アタリとハズレ」があるのは、すごくよくわかるな、と思った。益田さんは「カラーはアタリ、モノクロはハズレ」とおっしゃっているが、子供の頃は確かにそんな風に、色が沢山使われている方がワクワクしていた気がする。

 逆に、色がついていると思っていたのに、大人になってから見たら実はかなりモノクロに近かった、というようなことはある。こどものころは、心で勝手に色を付けていたのかもしれない。

 たまたま先日、友人と子供の頃の教科書の話になったので、思いがけずこの話はツボだった。友人が印象深いという物語と私が懐かしいという話が違っていたりして(おぼろげな記憶を頼りに話していたので、光村図書と東京書籍など教科書自体も違っていた可能性があるが)、感受性ってひとそれぞれだねと笑いあった。

 誰しもにインナーチャイルドはいて、その子とうまく付き合えなかったりすると、心が不安定になるという話はきくけれど、益田さんはとても上手に自分の中の子供とおつきあいしているように思った。

 泥団子や滑り台、ジャングルジムや給食。消しゴムのカスを集めるなんて変なことが流行ったり。黒板いっぱいに絵を描いてみたい夢や、羨ましかった友達の玩具など、タイムマシンのスイッチがあちこちにちりばめられている。確かに昭和の時代の色が濃いから、年代がズレると事象がわからない、と言うこともあるかもしれない。それでも幼いころに感じていた気持ちには、誰しもに共通する、普遍なものがあるように思う。

 子供時代にタイムスリップしたくなったときは、ぜひこの『おとな小学生』がオススメだ。あっという間に、隣に「こどものわたし」が立っている。






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