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禅ってなんだろう?

禅って思想じゃないんです。

仏道や禅というのはお釈迦さまの思想や教えではありません。そもそもお釈迦さまは自己の真相を明らめたのであって、仏教やってたわけではないのです(笑´∀`)

禅というのは精神を統一して無我の境地になるとか、心が動揺せず揺るぎのない状態に入ることとか、今に在るやマインドフルネスとも全く違うものです。

禅とはわたしたちの今の様子、内容、在り様そのものを示してくれている「実物」なのです。

だから「禅」というものをあちらに作っておいて、こちらから自分が方法や手段などを用いて「禅の状態や境地に到達する」というようなことでは決してありません。

身近なもので示すと例えば、

「パンっ!(手を叩く) 」

これが皆さんの今の様子です。

「パンっ!」
こうするとどうしたのでもない、皆さん間違いなくこうなるんです。

自分が何かしたわけでもない、聞こうとしなくてもこうされれば誰でも「パンっ!」このように聞こえるわけです。

「パンっ!」
これには今と呼べるような時間帯もありません。
時間も距離も飛び越えた活動であり、即これで終わりなんです。

いきなり「パンっ!」
あちらで音がしたとか、こちらで私が聞いているとも付いていない。

いい音が出たとか、ちょっと失敗したとか、音だけがあるなぁとか、そういうようなものが何処にも出てこない活動なんです。

これが皆さん自己の真相であり、禅なんです。
従来より人の介在のない皆さんの生き様なんです。

右を見れば右の様子、左を見れば左の様子、
右の様子の時に左の様子は出てこない。
右の様子の中に自分は出てこない。
その通りなんです。

禅とは自己の真相であり、ほんとうに自己の真相を知りたい、明らめたい、自覚したければ、理解や気づきの範囲で終わらず実際に禅を実践した生活をすればいいのです。

生まれた後に知らずに身に付けてきた人間の見解から離れた生活を実際にしてみる。思いや考え方を取り扱った生活というのはご自身ではなかなか気付けないところでもあります。

どんなに良さそうなアイディアであっても、考え方の上で出した答え結論は必ずまた考え方によって崩れます。迷いの根は残るのです。

いま、自己の真相をハッキリさせたい決着したいという強い要求を持って実践をはじめている方々は増えてきています。同じ要求のある仲間と共に躓きやすいポイントやトピックなどを共有したり、サポートし合いながら実践を進めていきたい方にはプライベートなメンバーシップを用意していますので是非そちらにご参加ください(⁎•ᴗ‹。)

実践とは何か?どう実践したら良いのか?
どう考えたらいいのか?ではなく、考え方に向かわない実物を直接示してお伝えします。

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