学びの方法としての『対話』
通信制大学を使って学ぶにも対話が必要と思ってますが、なんでそう思うのかといったことを言葉にして残していければと思います。よく、対話やダイアログという言葉はよく耳にしますが、そこに込められた想いなど少し掘り下げられればとも思います。
ちなみに、「アクティブラーニング演習」や「PBL特論」という科目を受講した備忘録も兼ねたものです。話の流れが少々、断片的になってますがご了承ください(特に有料部分💧)。
対話(ダイアログ)とは
基本的には、「相手を尊重して話をする」「双方向に意見を交わす」といった意味で使われるものですが、最近では政治家の所信表明のような場面でも使われるので、単に気取った表現に感じられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ただ、敢えて「対話」という表現をするからには、そのコミュニケーションに議論や雑談だけでは得られない『対話をする目的』があると思うのです。(いうても政治家が言うのには、僕も誤魔化しを感じます)
ここでいう『対話』は、議論や雑談ともちがい、互いの価値観のような正解のない考えや想いのようなものを交換するコミュニケーションとさせてもらいます。
通信制大学にも『対話』が必要
通信制大学の学びは、動画を見るにしろ、書籍や論文を読むにしろ、独学に近いものです。教員の指導や、質問の機会はあるものの、基本的には自分で調べ学んでいくスタイルになります。
スクーリング(対面授業)があっても、短期集中型で、大学によっては1日に圧縮された形で行われることが多いです(だから授業料が安いのですが)。
通信制大学の体験談を読んでいても、孤独な学びになるため、モチベーションを保つことが困難だという話をよく目にします。
ちなみに、ちょっと流行りに乗って、ChatGPTに質問してみました。
OpenAI社のChatGPTは、2021年までのインターネット上のテキストデータを学習して構成されているそうです。多少、誤った情報なども出力されるといった報告も見ますが、ネット上での多くみられる意見をまとめたものとは考えられるでしょう。
上の1.2.は、僕が体験ブログなどで目にしたものとも共通します。ただ、最近、僕が強く感じるのは3."学習に必要なリソースが不足する"につながってくることです。ChatGPTの出力が指しているのは、文面から、大学図書館の利用が難しいことなどだと思われますが、対話の機会もリソースと考えると、これが決定的に不足するのです。
若い頃に通学制で学んだ時を振り返ると、確かに友人と学問的な話をした記憶はあまりのです。ただ、それでも毎週あるゼミであったり、ゼミでの教授からの課題について授業前に意見を聞いておくなどはありました。思い返せば、ここでのコミュニケーションは、アウトプットであり、インプットであり、学びのリソースといって差し支えないものだったと思います。
このChatGPTの回答を見てみて、1.2.は、SNSが発達している今日であれば、充分、補えるように思います。3.も、設備としての大学図書館に関していえば、なんとかなります。
しかし、スクーリングが短期集中であるかぎり、そのコミュニケーションを『対話』と呼べるような機会を持つには、意識して行動する必要があるのが現状です。
“デープ・アクティブラーニング”
「通信制には、『対話』の機会が足りない」と考えるようになったきっかけは、冒頭でちょっと触れた「アクティブラーニング演習」や「PBL特論」という教育学の科目を受けたことでした。
アクティブラーニングという言葉自体は、小中学校をはじめ学校教育でもよく言われるようにはなりましたが、まだ要点がおさえられていないというのか、“みんなで調べ学習しましょう”といった単に活発に見えることを目標にしておわることも多いように思います。また、逆にインプットの時間が減るのではという批判もあるのは確かです。
僕が、科目の受講で知ったアクティブラーニングの要点は、アウトプットとインプットを繰り返すことにあるということでした。つまり、まず提示されたテーマや課題から感じる問いや違和感をそれぞれアウトプットしあって共有し、そこで自身に足りない知識は何かを掴んで、足りないものを意識しながら書籍や講義からインプットする。そして、また得たものアウトプットしあって共有する。この繰り返しによって、学びが深まっていくということです。
科目のテキストで紹介されていた教授法には、PBLのほか反転授業や、LTD話し合い学習や協同学習(松下編,2015)といったものがありましたが、共通するのはこのアウトプットとインプットの繰り返しでした。
いったん、まとめ
通信制大学の学びでは、ゼミのような対話ができるスクーリングが短期集中のであるため、テキストなどで独学で調べ考えたことをアウトプットする機会が必然的に少なくなります。スクーリングのテーマやレポートの設題によっては、インプットしたこととアウトプットすべきことが必ずしも合致するとも限りません。
ただ、単位取得に必要なスクーリング出席が増えれば、通信制のメリットが減ることになり、経営的にも学費に影響してくるでしょう。
幸か不幸か、この2,3年でオンラインミーティングも盛んになり、それらを活用した対話会も多く開かれるようになってきました。Peatixのようなイベント検索&チケット販売のサービスもあり、Facebookの"イベント機能"は参加費がかからないものも見つけやすいように思います。大学によっては、あくまで自由参加のものとして、学内SNSを用意しているところもあるでしょう(ただ、個人的な感想では、書き込みも閲覧そのものも低調なところが多い気がします)。
もちろん、そういったプラットフォームやSNSを利用して、自身で呼びかけ開催するのもありです。
通信制に限ったことではありませんが "深い学び" というのを求めるなら、学ぶ者がインプットとアウトプットを意識して、自ら動く必要があるのだと思います。
僕の学んだことアウトプットを、もう少し
ー PBL(Project-Based Learning)とは
しれっと略称で書いていましたが、PBLとはProject-Based Learningの略で、提示された課題を解決することをグループで考えたり話し合ったりする中で、そのために必要な知識などを身に着けていく学習法(教授法)です。
特に、症例•事例研究が盛んな医療分野では、Problem-Based として取り組まれてきたそうです。
「P」の文字にあたるところが、プロジェクトだったりプロブレムだったり、プログラムだったりしますが、日本語でいうなら「問題解決型学習」と言え、その要訣は同じだと思います。
先にも書いてますが、PBLに限らずアクティブラーニングと呼ばれる学習法の要訣は、アウトプットとインプットの繰り返しだと考えています。ただ、この繰り返しは、その方が記憶が定着するといった理由からではありません。
最初にアウトプットの場、言い換えれば「皆んなと共有できる場」で、テーマや課題に対する違和感を伝え、共感を得られれば、それはそこから学んでいくモチベーションや“知りたいという気持ち”、つまり好奇心が湧いてきます。たとえ、共感が得られなかったとしても、自身が「何を知りたいのか」が整理され明確になっていきます。
そうやって明確になった「何を知りたいのか」こそ、学びで一番大切な “問い” と呼ばれるものです。
そこで湧いてきた好奇心や“問い”が、そこからのインプットを“深い学び”と呼ばれるものに変えていくのです。
そして、好奇心や“問い”を持ってインプットしたものを、再びアウトプットし、そこにリアクションを得れば、その学びを振り返れることにもなります。また、そのリアクションや他のメンバーのアウトプットは、気づきや触発となって、次の好奇心や“問い”としてのモチベーションにもなっていくでしょう。
この触発を目的としたコミュニケーションが、『対話』なのだとも思います。
このサイクルは、本来、“講義型”と呼ばれるような従来的な授業での学びでも同じだったのではないかと思います。ただ、今の学校においては、ここでいう「アウトプットの場」が、テストだけ、つまり『評価』をともなうものだけになってしまっている。授業で当てられて発表するのも、好奇心や自らの“問い”がなく、自分の考えや気づきを誰かに伝えたいという気持ちもなければ、「授業、聞いてたか?」って言う “評価” のためのものになってしまう。だから、詰め込みとか、つまらない、といったものになってしまうのではないかと。
僕も、この辺については、まだ考えたいことでもあるので、また別のnoteにできればなと思います。
ここから後の有料部分では、このような僕の振り返りのアウトプットが続きます。ご興味のある方は、ご覧いただければうれしく思います。参考にした文献などは先に挙げておきますので、そちらを読んだりしてもらっても良いかと。
ここまで、お読みいただいた方、ありがとうございます🙇
参考・引用文献 等
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