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「村上春樹」との出会いは"ひとこと"からだった。

私が村上春樹を読み始めたのは、あろう事かバイト先の先輩の気を引くためだった。

彼のLINEのひとことが村上春樹の作品だったから、自分も真似してLINEのひとことを村上春樹の作品にした。

そうしたらびっくりするほど簡単に先輩からLINEがきた。

そこから、村上春樹の作品にした"ひとこと"を真実にすべく私はまず『スプートニクの恋人』を読んだ。

その後の恋愛はというと、大学時代最短の2週間で別れるという大失敗に終わった。

でもわたしの「村上春樹」との関係は終わらなかった。

先輩と別れてからしばらくして、先輩から借りパクするかたちになっていた『風の歌を聴け』を読んだ。

これは言わずと知れた村上春樹のデビュー作であり、私の浪人時代の世界史の先生が唯一村上春樹作品で大絶賛していた作品だった。

『風の歌を聴け』は初めて読んだ村上春樹の作品である、『スプートニク』の恋人ではそこまで感じなかった"いわゆる"「村上春樹節」というものをかなり強く感じた作品だった。

最初はかなり読みづらかった。

しかし、この作品を読み終えたわたしは村上春樹の文体の「爽快感」と「僕」の知性とユーモアの「快感」という「村上春樹節」の虜になっていた。

あぁ、これが巷でよく聞いた「ハルキスト」への道なのか、と思った。

なにがそんなに熱狂的なファンを生むんだろう、と作品を読む前は思っていた。

だけど、実際に読んだら村上春樹の作品は、これまで読んできた小説のどの雰囲気にもない、もはや「村上春樹ジャンル」という全く新しい他にはない小説だった。

口から出てしまうと、あまりに現実離れした話し方なのだけど、村上春樹作品ではそれが成し得てしまう。

ここが村上春樹の文体の他とは違うところだった。

読み進めていくうちに、こうとも思った。

あぁ、こういう主人公がずっと探していたんだ。

村上春樹が残す「僕」はどこか自分自身に似ている気がするのかもしれない。(村上春樹の「僕」を語るには私はまだまだ足りていない、いつか書きたいと思う。)


まだ、多くの未読の作品がある。

それがとても楽しみであり喜び。だけど、それを全部読んでしまった時、私は彼のような小説を求めて一生さまよってしまうような恐怖もある。

変な気持ちだ。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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