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Forward, Again (短編9,050字)

 その子のことはここではRと呼んでおく。Rは今年うちの職場(田舎の製造業)に入社した新人の一人で、この春高校を卒業したばかり。第一印象は小柄・金髪・ロングヘアーで、ギャルとまでは言わないが化粧が濃い。ちなみに弊社の容姿規定は、爪と髪を短く切れ(もしくは束ねろ)という以外はとても緩い。金髪なんて校則に縛られていた新卒にはよくあることだ。だいたいの社員はそのうち勝手に落ち着いていく。

 俺?俺は43歳独身貴族だが、まあそれはどうでもいい。俺とRとの関係は新人研修担当者と被研修者。同期採用の新人は十名いて、部署も違えば男も女もいるし、高卒も大卒もいる。Rは漢字を書くのに少し難があるくらい(伝票を伝栗と書いたり、在庫を存庫と書いたり)で、特に問題を起こすでもなく、月2回の研修をこなしていった。
 そうだ、問題といえば工業高校出身の新人小坊主が、18のくせに堂々と喫煙所で煙草ふかしやがって、俺の仕事をものすごーく増やしてくれたよ。だいたい所長も見つけたその場で注意してくれりゃいいのに、俺に指導しろって言ってきてさ。あいつを採用したのはあんただっての、全く。
 ああ、話が逸れてすまん。Rのことで印象的なことといえば、9月の終わりに茶髪になったことくらいだ。秋だもんな、毛色くらい変わるさ。

 さて、ここからが本題な。

 9月いっぱいで研修の全日程が終わり、10月のある週末、研修打ち上げ会(という名の同期飲み)に俺も呼んでもらった。(幹事が気の利くやつでな…おじさん嬉しかったわ)で、未成年のRは当然ウーロン茶とかノンアルを飲んでたはずなんだが、会の終わり際、俺の隣に座ってほろ酔い気味に「主任(俺)と一緒にもう一軒行きたいなあ」とか言うわけ。おじさんドキッとしたけど、若いおなごと二人きりはちょっとまずい。とりあえず全員に「もう一軒行ける人は行こう」って声かけた上で男女混合数名で二軒目に行った。
 Rはニコニコして着いてきたが、そのあと特に変わった関わりはなく、22時過ぎにはお開きにして全員帰した。健全だろ?都合いい電車がないやつにはタクシー代も出した。財布が薄くなって悲しかったが、まあそれはどうでもいい。

 翌月曜日、挨拶に来るやつも来ないやつもいたが、俺が昼休みに社員食堂でカツカレーをむさぼっている時、Rが手作りだというクッキーを持って礼に来た。しかも「今度は私のオススメのお店に行きましょう」と言い添えて。Rが一体何を思っているのか…なんで勤務部署と違う建屋に来てまでおじさんをドキドキさせているのか、この時は全くわからなかった。

 後日、ある土曜の朝、Rから電話がかかってきた。(俺の番号は研修生全員に登録させてたから、これは問題無いだろ?)新しくできたイタリアンレストランに行きませんか、とか言っていた。車は私が出しますからと。今日の今日じゃ都合がつかないと断ったら→じゃあ翌日に→それも無理だ→じゃあこの日→無理→じゃあ(以下略)…って感じで予定を入れられてしまった。

 行くとなったら行くしかない。っていっても、ランニングやジム通いしか趣味が無い俺は、土日ジャージ暮らしで、着ていく服がない。いたりあん、って何着ていけばいいの?最後に女性とデートした時を思い出そうとしたが、遠い昔すぎて何も浮かばなかった。とりあえず、弟(妻子持ち)に「友達とでかけるから」とか言ってカジュアルな服を借りた。なんの疑いもなく汚すなとだけ言って貸してくれた弟氏には頭が下がる。

 で、イタリアン当日の日曜日。待ち合わせ場所に10分早く着いたのに、Rはそれより早く俺を待っていた。実に感心な若者だね。あの喫煙問題児にも見習わせたいよ。
 そのRの運転で、俺はなんか小洒落た店に案内された。昼時だったんだが、周りにはカップルだの家族連れだの様々な客層がいた。とすると多分、俺たちは親子に見えたんじゃないだろうか。自分で言うのも何だが、俺は歳の割に白髪が多い。というかぶっちゃけ実年齢より老けて見える。一方でRは小柄だから、高校生と言われればそれで通じそうだ。化粧濃いけど。

 そこで1,2時間くらい、スパゲティやらデザートやらを食べながらRの他愛もない話を聞かされた。自分の趣味の話とか、友達の話とか。仕事の話は少なめ。聞かされたと言っても、話のうまい子だから、程よく俺にも話を振ってくれてて、俺はいい気分で食事と会話を楽しんだ。

 問題はレストランからの帰り道。
 Rは俺の家方向に車を運転しながら、

 俺にいい人はいないのか、ときいてきた。

 いないし、一人が楽しいし、恋愛も結婚もいらないと思ってる。というようなことを答えたら、ちょっとRの顔が曇った。

 Rはさらに続けた。

 例えばもし俺が万が一にも恋愛するとして、Rくらい歳の離れた人間は対象外か、と。

 Rは明言しなかったが、本気で俺を好いてくれてると思った。でも、俺が恋愛をしないのは年齢の問題じゃなくて、実は理由がある。俺はRに対する精一杯の誠意だと思って、その理由を彼女に伝えた。

 15年前、俺は婚約者を交通事故で亡くしている。婚約者と呼ぶのもおこがましいんだが、お互いそれぞれの両親に紹介して好印象だったし、次は両家顔合わせをいつにしよう、というタイミングだった。もう、事故当日や、葬儀の前後のことは、よく、覚えていない。告別式のとき、向こうのご両親は、自分たちも悲しいだろうに、何だか優しい言葉をかけてくれたと思う。でも、それっきり会っていない。
 俺にとって一世一代の大恋愛だったと思ってるし、彼女以外の女性を本気で愛せる気がしない。だから恋愛も結婚も生涯しなくていい。

 という話をしたらRがボロボロ泣き出してな。しかも「いない相手には勝てませんよねー」って作り笑顔で。今でもこの時のクシャクシャに笑おうとする泣き顔は忘れられないね。で、おじさん困り果てて、ちょっとドライブしようって言ってとりあえず国道を北に走ってもらったのよ。

 Rはしばらく無理に笑いながら泣いた。Rが好きになる人には、いつも他に好きな人がいるとか、誰かに好きになってもらえても長続きしないとか、過去の恋愛失敗談をたくさん聞かされた。言うなれば女子高生の恋バナで、おっさんの俺は助言もフォローもできず、ただウンウン頷いて彼女の話を聞いた。

 あらかたRが喋り終わった頃、俺は「なんで俺なの?」と尋ねた。

 Rはしばらく何かを思い返したあと、目元の涙を指で拭い、真顔でポツポツと語り始めた。

 Rの本名はいわゆるキラキラネーム。小さい頃は本人もお姫様みたいで気に入っていたらしいが、中学生頃から周囲の反応を見て違和感は覚えていたらしい。ちなみに、彼女の実家は母子家庭。お父さんに先立たれたお母さんは、昼はスーパー、夜はスナックで働き、女手一つで三人の子供を育て上げたという。Rが身の上話をすると、大抵の人は「ああ、そういう家庭環境だからそういう名前なんだ」という反応をするんだとか。(スナックで働く女性に対する偏見だとRは言っていた)
 ところが、俺の反応だけが違ったらしい。俺は覚えてないんだが、4月の新人歓迎会で、Rがその場の流れでやむなく自分の家庭事情を話したとき、俺は「立派なお母さんだね」と言ったんだそうだ。しかも「名前に愛がこもっていてきれいだ」とも言ったらしい。

 申し訳無いけどそれは社交辞令だったと思う、と言いたかったが、泣いている彼女の前では口をつぐんだ。

 Rは俺のその反応が嬉しかったそうで、それ以来、研修が楽しみになったんだそうだ。(言われてみれば、研修中のRはいつも、他の研修生達よりもどこか楽しそうだった)
 ところが、Rと俺は所属部署も勤務してる建屋も別だから、研修が無くなると滅多に会えなくなる。そう考えたら、ものすごく寂しい気持ちになったらしい。個人的にもっと同じ時間を俺と一緒に過ごしたい、と思ったRは、どうせ振られたって顔を合わせることも無くなるからと、意を決して俺を食事に誘ったという。

 
 正直言うと、申し訳無かった。彼女の予想は悪い方に当たっていたからだ。

 俺は彼女の思いに応えることができない。

 俺はRを諭そうとした。君の気持ちはとても嬉しい、でもそれは恋愛というより家族へ抱く感情と似ていないか?俺に父親の面影を求めているのではないかな?君は若いから、まだまだ良い出会いはたくさんあるよ…そんなことを語ったが、彼女の答えは意外なものだった。

 俺の人生で二番目でいいから好きになってほしい。

 そのときのRの印象は、「健気」の一言に尽きる。

 もし俺があと20歳若かったら、そのまま車を俺の部屋なりホテルなりに向かわせたのかもしれない。だが、その時の俺にとって、そんな行動はRの無垢な想いへの返答とするにはあまりに無粋だと思えた。ので、カッコ悪いことに、俺は即答しかねた上に「前向きに検討する」とかなんとか曖昧な返事をしてしまった。Rは俺らしいと言って笑ってたけど、きっと内心ガッカリしてたと思う。今考えると、すごく恥ずかしい。穴に入りたい。端的に一言「ありがとう」とでも言えばよかったのに…

 家の近くのコンビニで降ろしてもらったが、別れ際のRの笑顔は不自然に明るかった。俺の心はなんだかモヤモヤした。

 車のテールランプが見えなくなるまで見送っても、まだモヤモヤした。

 自宅の扉をくぐっても、350mlの缶ビールを飲み干しても、まだまだモヤモヤした。

 モヤモヤして、モヤモヤして、最高に落ち着かなかった。

 Rに電話した。

 別れて10分と経ってなかったかもしれない。

 留守番電話サービスに接続された。
 そりゃそうだ運転中なんだから。

 ピーという発信音に焦った俺の一言がまた最悪で。

「真剣に、前向きに検討するから!」

 と、言った気がする。酔った勢いとはいえ、もっと良い表現がいくらでもあっただろうと心底思う。

 勢い任せで電話を置いたあと、俺は最愛の人に許しを請うた。本棚には今でも彼女の好きだった本が何冊も置いてある。その一冊の中に挟んでおいた写真。ひまわり畑を背景にして、俺と並んで写る彼女は、クリーム色の袖なしワンピースを着て笑っている。今も隣にいるんじゃないかと思うくらい、やわらかくて自然な笑顔。世界一優しい笑顔の彼女に、俺は問いかけた。

 俺には君以外の女性は必要ないと思ってたんだけど、俺を必要としてくれてる女性がいるんだ。彼女のそばにいてあげてもいいかな?って。

 返事はある訳もない。25歳の夏で止まった彼女の時計。一人だけ歳をとり続けている俺は時間の流れを嘆き、写真と本を元の場所に戻して、台所でもう一本ビールを空けた。

 すると電話が鳴った。
 Rからの折り返しかと思ったが、未登録の番号だ。

 応答した。

「ザ…あなた…ガダッ…いじょ…ブ…から…モゴッ…えに…ピビッ…で…」

 雑音に紛れて、聞き覚えのある女性の声。

 俺は声の主の名前を呼ぼうとしたが、通話はブツッと音を立てて途中で切れた。急いで折り返し発信したが、応答したのは知らない男性の声で、俺は間違えましたと慌てて侘びて、その場にへたりこんだ。

 今のは何だったのだろうと思いながら、深くため息をつくと、肩がどっと重く感じたので、俺は四肢を投げ出して目を閉じた。

 で、目を開けたら朝だった。俺は台所の床で腹を出して寝ていた。着信履歴にRからの折り返しは無かった。ついでに見知らぬ番号からの着信も無かった。亡き最愛の人の声は、俺の深層心理が欲した幻だったんだろうと思った。全く都合のいい話だよな。俺は自分に苛立ちながら仕事に行く支度をした。

 いつもなら始業30分前には職場にいる俺だが、この日に限って朝礼ギリギリにタイムカードを切った。朝の打ち合わせを終えたあと、作業場に向かっていると、Rの同期の喫煙坊やが廊下で俺を呼び止めた。就業時間中に私用は控えろと、俺はわざと怪訝そうな顔をしてみせたが、その直後、恐縮して話す彼の言葉に、絶句した。

 Rが昨夜、交通事故を起こした。
 今は、搬送先の市立病院に入院している。

 彼は、仕事を終えたら同期の連中と見舞いに行く、というようなことを言っていたが、俺は彼に一言礼を告げてすぐに事務所に引き返した。ホワイトボードの「外出」欄に自分の名前を書き殴った。今日は研究日であって外回りの日ではないが、疑問を持つ人間も止める人間もいなかった。俺は仕事着のまま、車を病院に走らせた。

 俺としたことが、この時はちょっとしたパニックを起こしていた。俺と出かけていなければこんなことにはならなかったとか、長い距離を走らせたせいで疲れて居眠りしたんじゃないかとか、俺のかけた電話をとろうとして運転を誤ったんじゃないかとか、後悔の念ばかりが浮かんだ。
 で、病院の受付でハッと気づいた。病室の番号がわからない、ってね。案の定、総合案内所でRの名前を告げたものの、家族以外の人間には部屋番号は伝えられないという。事前に本人に確認してから来いときた。腹は立ったが、まあ、俺が悪い。
 仕方なく、俺は正面玄関を出ようとした。その時だよ。後ろから俺を「主任」と呼ぶ声がした。Rだ。と思って振り向いたんだが、彼女の姿はない。幻聴がここまで来たかと自分に呆れていると、「やっぱり主任だ」という声が前方から聞こえた。目を落とすと、車椅子に乗って両足にギプスをつけた見知らぬ少女。彼女が、俺を呼んだ声の主だった。

 少女は車椅子を押す女性に、俺が職場の上司だと伝えた。「いつもお世話になっています」と頭を下げた女性は、なんとRにそっくりだった。つまり、彼女はRのお母さんで、俺が初対面だと思った車椅子の少女は、スッピンのRだったというわけ。あまりの別人ぶりに驚きを隠せなかったね。高校生どころか中学生と言っても通じると思った。とりあえず、見舞いにきたことを伝え、部屋番号を聞いて、改めて受付で手続きを進めた。
 入館者証を首にぶら下げたはいいが、見舞いにきたくせに手ぶらだったので、病室に戻る前に売店で少し高そうな菓子を買った。病室に戻ったRに手渡すと、子供みたいに無邪気に喜んだ。

 聞けば、Rとお母さんは、入院費用を支払うために一時的に受付まで来ていたそうで、会えたのは本当にラッキーだった。お母さんは仕事に戻るからと申し訳なさそうに侘びて、急いで部屋を出ていった。化粧は濃いけど、誠実そうな人だった。
 部屋に残されたRと俺は、売店で買った菓子をつまみながら、その味についての感想をそれぞれ呟いた。それから、偶然個室しか空いてなかったけど快適だとか、喫煙小坊主が実は同期のムードメーカーなんだとか、他愛もない話ばかりした。俺は内心、彼女に言うべきことがあるだろうと自分を鼓舞したが、肝心なことを言い出せないまま、曖昧な会話を続けていた。それに気づいたのだろうか、先に話を切り出したのはRだった。「実はあのあと、田んぼに落ちちゃったんです」と笑いながら、Rは語り始めた。

 Rがあのあと自宅へ向かって車を走らせていると、田んぼ以外は何もない見通しの良い道で、突然「危ない!」という声が聞こえたんだとか。反射的にブレーキを踏むと、目の前に人影のようなものが見えて、止まりきれないと思ったRは慌ててハンドルを切ったそうだ。(後から聞いたら、黒っぽい服を着た老人が、無灯火の自転車で車道を横切ろうとしていたらしい)Rの車は用水路に落ちた上に横転して、ガラスは割れるわ、エアバッグは作動するわ、状況はメチャクチャ。カバンも財布も携帯電話も外に投げ出されて水浸し。(だからRは俺からの着信なんて知りもしなかった)
 そんな状況なのにRは、あの声が聞こえなかったらその人を轢いて命を奪っていたかもしれない、相手も自分も怪我だけで済んで良かった、あの声が自分を助けてくれた、と安堵の表情を浮かべていた。

 誰かが近くで見ていたのかと俺は尋ねたが、Rは首を傾げて、実際どうだったのかわからないけれど、と呟いてこう続けた。

 全身の痛みで意識が朦朧としていたとき、車の外で励ましてくれた女性がいた。秋も半ばの夜だというのに、ノースリーブの白っぽいワンピースを着たその人が「あなたならきっと大丈夫だから」と言って励ましてくれた、その女性が自分にブレーキを踏ませた声の主だったと思う、と。

 
 Rはそこまで話すと、俺になんで泣いているのかと尋ねた。そう問われた俺のほうが、自分の目から涙がこぼれていることに驚いた。咄嗟に「Rが生きてて良かったと思って」と答えたが、それだけではない。俺は、Rの言葉を聞いて、そして昨夜の夢を思い返して、確信していた。

 ああ、彼女だ。

 俺が人生で最も愛した彼女が、Rを救ったのだ。

 年甲斐もなくグズグズ泣く俺に、Rは枕元にあったハンドタオルを差し出した。「私は大丈夫ですから、とにかく前向いて行きましょう」と言い添えて。

 ああ、なんて優しい笑顔なんだろう。 

 そう思いながら、
    忘れていた、
  あの日々のことが、
 瞬間的に、
    鮮明に、
      思い出された。

 俺が最愛の人を亡くした、あのときのこと。

 
 俺は、炎天下の待ち合わせ場所でコーラを飲みながら、1時間も呑気に待ちぼうけていた。電話をしても、留守番電話のメッセージが流れるだけ。家は出たのだろうと思ってさらに1時間待ったが、その頃にはさすがに何かおかしいと感じて、彼女の家に向かった。実家暮らしの彼女だが、俺が訪れたとき、一家は揃って留守だった。不審に思いながらも諦めて帰ろうとしたとき、ご両親が車で帰ってきた。そして彼らから唐突に聞かされた。

 彼女が亡くなったと。
 
 横断歩道で、信号無視の車から、小学生をかばって、頭と首を打って、大きな外傷は無いが、打ち所が悪く、即死だったらしい、と。彼女の遺体はまだ病院にあると言われた。「ある」という表現に違和感を覚えながら、彼女の元へ急いだ。でも、会えなかった。遺体は警察署に移された、と。連絡が行き違ったらしい。警察署に行ったら行ったで、安置室には親族以外入れない、と。婚約者だと訴えたが、退けられた。規則は規則だ、と。
 結局、彼女に再び会えたのは、葬儀のときだった。俺は通夜の晩、夜通しずっと、彼女のそばにいた。あの日、あの時間、あの場所で待ち合わせるんじゃなかったと、泣きながら悔やんだ。泣きながら、謝った。泣きながら、自分を責めた。
 ご両親にも深く深く何度も頭を下げた。でも、彼らは、娘は若い命を救ったことを悔やんでいないはずだと、恨み言の一つも言わなかった。それよりも娘と過ごした思い出をたくさん聞かせてくれと、全部覚えておきたいからと、優しい彼女を育て上げただけある、深く穏やかな心を持つ人達だった。
 そして告別式が終わったあと、彼らは俺にこう告げた。

「人生の伴侶はあの子以外考えられない、というあなたの気持ちはとても嬉しい」
「でも、あなたはまだ若い」
「良い出会いは今後もたくさんあるでしょう」
「あの子のようにあなたを好いてくれる人が現れたら、どうぞ大事にしてあげてください」
「私達は大丈夫ですから、お互いに前を向いて生きましょう」

 彼らの優しさを、あのときの俺は受け入れられなかった。拒絶した。彼らの好意を記憶の奥底に仕舞い込んで、彼女以外一生愛さないと決めこんだ。それで彼女への愛を貫いている気になっていた。 

――私は大丈夫ですから、とにかく前向いて行きましょう。

 Rがあの時の彼らと同じことを言わなければ、何も思い出さなかったかもしれない。今になって思えば、俺はただ、辛い現実を乗り越えようとせず、過去の優しい思い出にしがみついて、後ろを向き続けていただけのような気がする。 

 
 「大丈夫ですか?」とRに問われてハッとした俺は、慌ててハンドタオルを受け取った。顔を拭きながら、声の主らしき女性はその後どうしたのか尋ねたが、Rが聞いたことには、救急車が来た時、何人かの野次馬はいたが、女性はひとりもいなかったらしい。公衆電話から通報したのもその女性と思われるのだが、詳しい状況が聞けず、救急隊員も困っていたそうだ。「不思議な人もいるんですね」と笑うRに、俺は「そうだな」とだけ答えた。

 正午のチャイムが鳴り響き、看護師が昼食を運んできた。落ち着きを取り戻した俺は、さすがに職場に戻らないとまずいと思い、席を立った。

 部屋を出ようとして、立ち止まった。

 振り向いた。

 「今度また、オススメの店を教えてくれ」

 と、結構、勇気を振り絞って言った。

 Rは、俺の知る限り世界でニ番目に…いや、この世で一番やわらかくて、自然な、優しい笑顔で、「はい」とうなずいた。

 俺は彼女に「ありがとう」と告げて、部屋の外へ一歩踏み出した。

ーーーー

「ねぇ、これって本当の話?」

「そうよ」

「パパの作り話じゃなくて?」

「まあ、少しは大げさに書いてるかも。ママはメイク濃かった覚え無いし」

「いやそこは間違ってない」

「あのねぇ……とにかく!これはパパが結婚する前に書いてたブログのコピーに間違いないわよ。そのブログはもう無いけど」

「なんで消しちゃったの?」

「さあねぇ。でもママは、パパと出会った頃を忘れたくなくて、こうして内緒でコピーを残しておいたの……この頃のパパったら、いい歳して初々しいわよね、ウフフ……で、どう?パパに謝る気になった?」

「それより続きは?これじゃまだ何も始まってないじゃん」

「パパと仲直りしたら教えてあげる」

「え〜……だってパパ、彼のこと知りもしないのに、中学生の男女交際なんか許さんって言ってさ……」

「パパにだって、こーんなに不器用な時期があったんだよ。今度は伝え方を変えてみたら?ママは応援する!でも、昨日の乱暴な言葉遣いは謝ったほうがいいと思うな」

「う〜……まあそこは、あたしにも悪い所が無いとも言い切れないけど……パパが先に謝ってくれたら考えなくもない……」

「謝るときは潔く!自分から!」

「わーかーりーまーしーたーっ……」

「ただいまー」

「あ、帰ってきた!……ねえママ内緒にしてよ!あたしがパパのブログ読んだの………」

「はいはい。じゃあがんばって仲直りしようね……おかえりー」

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《あなたならきっと大丈夫だから》


《もう一度、前に進んでね》

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Forward, again

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あとがき(文字数外)

長編小説を書いていたら行き詰まりまして、
スピンオフ的にこっちの方を先に書いてしまいました。

今後の励みになりますので、
一言で良いので感想をいただけると嬉しいです。

え?いい加減に長編書けよって?

ごもっともです!

チビチビ再開してますので、ご安心ください。

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ちなみに(文字数外)

#君のことばに救われた  にも参加してみました。
あまり悩める若者向けじゃないかもしれませんが。
書きたいものを書いたので、対象年齢は不明です。

一応、応募の根拠として、
 ①Rが主人公の言葉に救われている
 ②そのRの言葉に主人公が救われている
という2点を挙げておきます。

ところで、同じような言葉でも、いつ、誰が言うかが大切ですよね。作中でも、あの時の彼らか、現代のRか、で主人公への影響が違います。それは決して皮肉ではなく、悩む自分を救うものは案外身近にあって、それに気づこうとアンテナを張っていれば、いつでも自分を救えるのかもしれない、という意味だと私は思います。

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宣伝(文字数外)(しつこいわ)

お気づきかもしれませんが、
この短編を書いてからの
#100文字ドラマ 「シンケン!」投稿です。
(続きを自分で書いちゃったら
 企画として身も蓋もないんですが…)

ネタが広がりやすいように設定変更しています。
これはこれで誰か広げてくれたら面白いですね。

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今回のトップ画像はこちらからお借りしました。
最近よく使ってます。

フリー素材ぱくたそ:
https://www.pakutaso.com/20141029302post-4771.html

応援してくださるそのお気持ちだけで、十分ありがたいのです^_^