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右膝をやってしまった。 経過観察36日目(手術後6日目)

トトロってかわいいな。いつ見てもかわいい。
ジブリ最高。でもほとんどの作品の内容を覚えてないです。
ジブリってなんか面白い。という感じです。

退院日の前日。
今日は入院費の請求額と装具などの諸々の額を確認した。
手術が2か所だったことと、入院日が1日伸びたこともあって高額医療費の域に達している。あぶない。
こういう時のための保険だ。払っといて良かったとは思うが、やはり二度と大怪我なんかして手術なんかもしたくないと心底思う。

膝の調子もだいぶ良い。
3か月後には再腱靭帯が弱くなってくるので、身体全身を鍛えなければならない。昨日も言われたが私の場合は特に股関節周りのトレーニングが必要である。広範囲ではあるが、断裂しやすくなった膝を守るためのトレーニングは多岐に渡る。トレーニング方法は今後youtubeなんかで紹介できればと思っている。

そしてどうやらこの段階で膝が曲がりすぎるのも良くないことがわかった。
要は膝が曲がりすぎていても靭帯は伸びるので、手術したばかりの腱はデリケートということで角度でいうと110度くらいで留めておくようにする。
パテラセッティングも角度を変えながら、どの方法が一番リハビリしやすいのかも明らかに出来た。
順調に回復していっているということは間違いない。


今回は膝をやってしまった。経過観察7日目で少し紹介させてもらった、Takemura Misakiさんのnote を元に手術後からリハビリまでの心構えのヒントとして読ませていただいた。本人からも快く承諾いただいたので、今回は彼女の紹介、私の感想を織り込んで書き出していく。

5回の靭帯断裂、11回の膝の手術をした元サッカー選手

まず最初に彼女のことを少し紹介しよう。
見出しのインパクトが強いだろう。
その名は竹村美咲さん。日ノ本学園高校出身、INAC神戸レオネッサでプレーした元プロサッカー選手である。プロ選手として引退した後、INAC神戸に関わるスタッフとして従事していたが、現在はサッカー選手のマネジメント業務に加え、ブルーボトルコーヒーでバリスタをされている。

blue bottle coffee 


かっこいい。

ウィキペディアから情報を辿ると、”INACに入団してからは”怪我が続き・・・と記載されているが、彼女は高校サッカー生活で既に2度の前十字靭帯の再腱手術を経験していた。そしてINAC時代には2回、無所属の時に1回の手術。壮絶な競技生活だったことは想像に難くない。

そして、なんと、半月板はほとんど切除しており、それ以外の手術も含めれば12回もの手術を受けている。
しかし今回は膝のみにフォーカスした記事となっている。

10代で既にサッカー選手として絶望的な経験をしている

彼女にしかわからないリハビリから復帰までの壮絶な時間。
実体験を元にこうしてnoteに当時の心境を書いてくれている先人のおかげで34歳のおじさんは上手く入院生活を過ごせている。
もうベテランの癖にまだサッカー続けたくて早期復帰を目指す私と比べるのはおこがましいが、「僕も彼女もサッカーが好きでたまらない」というのが唯一の共通点なのだろう。
高校サッカー生活最後の1年でピッチに立つことができ、今までと同じように自分のカラダを動かすことは出来ないこと好機と捉えて「常にひとつ先のプレーを今までより早く予測してプレー出来るようになった」ネガ→ポジを実現している。今の私にも非常に参考になるメンタルコントロール術だ。
彼女は既に強靭なメンタルを持っていたのだ。高校生活で1/3しかプレーしていないのにプロ選手になっているということは、プレイヤーとしてとても優れている何よりの証拠である。
彼女のnoteを見ると謙虚さ滲み出ており、人としてとても立派なのだと率直に感じるのだ。
プロへ行ってからも痛みを抱えながらのプレー。復帰しては休みの繰り返し。プロである以上結果が求められる中で、「休みたいけど休みたくない、休めない。」という葛藤がある。
しかしこうしてつぶれていく選手が全世界にごまんといるのもまた現実である。

怪我を克服し、プロへの道が開かれたと同時に度重なるアクシデント。
絶望的な怪我。何度もリハビリへ。おじさんは泣きそうだ。
そして残酷な現実が彼女を迎えます。
4度目の再建手術を終えた彼女は既にリハビリ生活を送っていたが、膝に違和感を感じるようになる。精密検査に加え、膝の中を開けて実際に見る手術を受けると、なんと再腱した靭帯が半分切れていたのだ。
そして担当医から・・・

「トップレベルでサッカーが出来ない」

と告げられた彼女。ゆっくり時間をかけて考えた結果、彼女は「現役引退」を決意。
スポーツ選手として競技続行する選択をした場合は、”その強度に耐えうる靭帯の再腱が必要”であり、また他の部位から移植できる回数は4回がリミットであると言われているのだ。
引退を決意した7か月後、彼女は5回目の再腱手術を受けるが、自身にある他の腱から移植してくる方法ではなく、病院側の提案によって亡くなった方の靭帯を使い再腱する方法を選択した。この方法を選択できる病院は日本でも少なくたまたま彼女の病院では対応していた。
メリットとしては、もう一度自身の身体の傷を増やして再腱する必要がないこと。(手術自体にダメージはあるが)既に4度の手術を終えている彼女にとって、自分の他の腱を移植した場合とこの方法とでは強度がほとんど変わらない(ただし競技生活復帰は出来ない)ので、ということで医師の提案があったそうだ。だがリハビリの仕方も変わってくる。今後彼女がどこまで回復していくのか目が離せない。


補足;
メジャーリーグなどでトミージョン手術(肘の側副靭帯を再腱する手術)を行う際に、その選手に適合する腱が無い場合には亡くなった方の正常な腱を使ったりしている。


”受け入れる”という行為は自分だけすればいいものではない

それから彼女はINAC神戸のフロントへ入団する。
クラブの裏側を知る機会に触れられたことで改めて認識する裏方の重要性。選手生活を送り続けてたら知ろうともしなかったであろう現実と事実。
自分自身がプレー出来なくても、こうしてお世話になった人へ恩返しすることが出来る。
彼女が自分の現実を、勇気と覚悟と決意を持って受け入れたことで見つけることが出来た道だろう。仮にスタッフとして入団するという選択が「サッカーが出来ないという現実を受け入れたいから」という理由だったとしても、生半可な気持ちでこの判断は出来ない。バックオフィスっていうのはめちゃくちゃ大変なのだ。
ウチの代表のケンさんも逐一言っているように、サッカーというのは「究極の裏方探しゲーム」である。これは会社やチームにも同じことが言える。
もう一つ言っておかなければいけないのは、竹村美咲という人間を受け入れたINAC神戸の方たちのようの存在も非常に重要だということだ。
「その人が必要なくなった時点で切り捨てる。」これは日本社会全体、そこにでも起こっていることだが、ひたむきに自分と向き合い続けた竹村さんをINAC神戸の人々は見ていたの。彼女のnoteひとつとっても非常に人間味の溢れる真っすぐな方な人間だということがわかる。

人生において
自分だけでなく、その近くにいる人間もその人を受け入れてあげる。
という行為はとても重要だ。

必死に弱い自分を受け入れようとしている人
環境を変えて新たな道へ進もうとしている人
現状から脱却すべく様々な行動をしている人

これが例えば人様に多大な迷惑をかけている場合は止めなければならないが、

自分が変わらなきゃいけないと思った時に、近くにいる人が寄り添うことで、人が変われる確率がグッとあがると私は信じている。

例えば、夫婦生活において
全く家事をやらなくなった夫(もしくは妻)が、ゴミ出しへ行ってくれた。
これを「ゴミ出しくらいでやった気になるな」と突っぱねるのか、「ゴミ出し、ありがとうね」と、してくれたこと自体を受け入れて感謝するのかで全く違う。前者では恐らく夫婦関係に明るい未来は見られない。その関係性でバランスが取れていれば全く問題ない。
後者であれば、ゴミ出し以上の事をやってくれる可能性が出てくる。夫婦の関係性もポジティブな要素が積み上がっていく。
一歩自分から踏み出そうとしている人が、ずっと一人で、自分を受け入れることだけをしていると、自己顕示欲は「孤独」へと変化してしまう気がしている。

これは夫婦だけでなく人間関係そのもの全てに対して言える。自分の利益を優先するような人が多ければ多いほど、関係性は悪化していくのではないだろうか。


竹村美咲という存在を知って。

入院する前にnoteを初めて良かった。私なんかよりもずっと苦しい思いをした若者がいるのを知ったからだ。”竹村美咲という存在”は私に明るい未来を与えてくれている。

日常生活を取り戻すための手術を受ける決断を下した時は彼女もきっと怖かったのではないだろうか。
再建手術するということは再断裂の可能性があるということ。
既にそれを経験をしている彼女にとってこれは大きな決断だったはずだ。
手術というのはそれだけで身体へのダメージを要することを、私も身をもって体験した。
怪我と向き合うことは心身ともに負担がかかりエネルギーが必要となる。

彼女はハッキリとした答えが見つからないながらも確実に自分と向き合いながら成長して、それが糧となりエネルギーに変えている。これは彼女より数年だけ長く生きている僕だから言える主観的なモノであるが。

彼女もまた唯一無二の存在だ。彼女から発せられるエネルギーにはそう感じさせるモノがある。直接会ったことは無いがきっと強く前を向いて過ごしているんだろうと。そうであって欲しいし。
もし私が同世代で生まれてきて同じ状況だったらおそらく絶望して自暴自棄になっているだろうが、きっと竹村さんのnoteを見つけ、絶望の淵から這い上がるキッカケになっていただろう。
私もこうして自分のケガの経過観察を続けることで今後同じ経験をするかもしれない人達にとっての何かのキッカケになればいいと思ってやっているが、私の場合は雑談が多く本質的なことはほぼ書けていない(それが好きなんだけど笑)ので、同じ状況で困った人たちが問い合わせてきたらすぐに”竹村美咲”の名前出すと決めている。

そして私の1週間の入院生活は彼女によって支えられた。

竹村さん、ありがとうございました。
いつか一緒にボール蹴りましょう。


ひとつよしなに。


株式会社美好所属
市川SC所属 27番


みのってぃ。

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