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#3 1年前の今日を振り返ってみよう企画

この企画3弾目。3日坊主(?)にならないようにたまには過去を振り返れると良いなぁ.....と。

Adoさんの「うっせえわ」ってもう1年以上経ってるのか、、、。
ヒット曲連発しているなぁ、という印象。

ちょっと社会に対する反逆心とか、人間の感情の中でも目を向けたくない部分に触れられている歌詞が良いのかな、と思っている。


上記記事から引用する。

銃を向ける立場、つまり子供であった自分。
でも今は、銃を向けられる立場、つまり大人になった自分。

いつの間にか自分は銃を向けられる人間になってしまっているのかもしれない.....と、考えているのだろうか。
私自身、そうなってしまわないか恐れているし、気をつけてもいる。

自分が子供の時に"嫌いだった大人"に、自分がなってしまわないように。
子供の頃に抱いていた大人に対する違和感や怒りを、忘れてしまわないように。
大人を嫌っていた私もだいぶ大人に近づいてきてしまった。


子どもー橋ー大人というふうに、「大人になる」ということは「橋の向こう側に行く」という感覚だと思っていた(いる)。
どこか別世界に行かなければならなくて、しかも自分の意思と関係なく歳をとる。

そして私にはもう目の前に迫ってきている、向こう岸にある着地点が。
社会人、というレッテルを貼られるまでもう1年を切ったということに不安というより漠然とした恐ろしさを感じる。

小さい頃の大人への反抗心が大きすぎたのだと思う。
大人になったら「分からなければならないこと」「割り切らなければならないこと」「目を瞑って見過ごさなければならないこと」がものすごくたくさんあるように感じている。

自分の機嫌は自分でとって、自分の責任はきちんと果たして、周りを見て行動して、自分の生き方・働き方を考え続けていく。
今までも無意識にやっていたことがほとんどなのかもしれないけれど、圧倒的に自分の行動に対する「責任」が大きくなるように感じるし、
自分のことは自分でやった上での「自由」ー
それがむしろ苦しいのかもしれないな、と思うこともある。


私はもう月曜から金曜まで働き、土日に遊ぶ人間になるのか。
平日の自由時間があるのは大学生の特権だなぁと最近ますます感じるわけだが。
仕事は楽しい、働くことは幸せだ、と思えると良いなぁと思ってしまっている。


橋の"向こう側"へと渡り切ってしまったら、もう2度と"こちら側"には戻ってこれない。
せめて"こちら側"のことを理解し続けられる、そんな柔軟な大人になりたいものである。