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君の色、私の色、変わる色、変わらない色

(このnoteにはネタバレが含まれますのでご注意ください)

ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」をやっと読んだ。

恥ずかしながらこの方の本を読むのは初めてだった。


イエローでホワイトでちょっとブルー、一見爽やかなノンフィクションのようにも見えるが、そんなことは全くない。

「大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。」と内容紹介がされている。

この本はブレディみかこさんとその息子さんのイギリスでの生活の物語だ。

題名は息子さんが発した言葉である。


このnoteの題名を「君の色、私の色、変わる色、変わらない色」にしたのは、この題名の「色」の意味や雰囲気に注目してほしいという思いがあったからだ。

そして何より、「色」はこの本では「肌の色」でもある。そしてこれは何より「変わらない」色だ。

そう、この本はイギリスの教育社会や人種差別について親子が目を背けず向き合っていく様を描いたものである。



「ファッキン・チック」

主人公の少年(=息子)はそんな風に呼ばれる。東洋人の顔だからだ。この本を読んで初めて知ったが、イギリスでの人種差別は私の想像を超えていた。日本とは違い多様な移民がいるからだろうか。ただ白人とそうでない人、のように単純に分けられるわけではないのだ。

少年の周りでも差別的発言による喧嘩はよく起こる。この本を読んで世界にまだこういう事実があることをもっと多くの人に知ってほしいような気がした。


誰かのくつを はいてみること

これは、「他人の立場に立ってみる」という意味だ。当たり前なようでできていないことだ。

少年は、学校で聞かれた「エンパシーとは何か」という質問に、「誰かのくつをはいてみること」と答えたのだ。

エンパシーとは「自分とは違う立場の人々や、自分とは違う意見を持つ人々の気持ちを想像する」ことだ。

人種差別を少しでも減らすためにもこの考えは大事だろう。エンパシーシンパシーは違うものだ。

どちらも相手に「共感」することではある。だがシンパシーは自然と共感するというイメージだ。

noteを読んでいても、どこかの知らない誰かの文章にシンパシーを感じることがある。感じざるを得ないことさえあるくらいだ。

エンパシーはどうだろうか。

エンパシーは共感する「能力」だ。能力がないとできないことなのか、と本を読んでちょっとハッとなった。

つまり意識しないとできないことなのだ。簡単なことのようでできないことなのだ。

相手の気持ちを想像するだけで、人間関係が少しでもよくなるかもしれないのに。自分を省み、相手を尊重することにつながるかもしれないのに。

世界がほんの少し良い方向に変わるかもしれないのに。



ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン。

この文章の最後のページに書かれた言葉だ。グリーンのイメージは、「未熟なティーンの色」。

子供はまだ未熟なのだ。どんな人種でもどんな身分でも、子供はまだ人間としてグリーンだ。

グリーンだから良いのかもしれない。

子供はまだまだ成長する。環境の変化に直面する。様々な経験をする。

グリーンだからきっと良いのだ。


まだまだそれは、「変わる色」だから。



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