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『この本を盗むものは』 written by 深緑野分

小説を読むのが好きな人というのは、時間が経つのを忘れてしまうくらい物語の世界にのめり込んで 小説を読む ということがあるのではないだろうか?

自分を物語の主人公に置き換えてみたりして。自分がまるで物語の世界に入り込んでいるような気分を味わってみたりして。

"物語の世界に思う存分ひたりたい!"そんな方にこの本をオススメしたい。


では、『この本を盗む者は』(深緑野分 作)の感想を書いていこう。


この本の主人公は御倉深冬(みくら みふゆ)。
そのほかに父親の"あゆむ"と叔母の"ひるね"、そして"真白"という少し得体の知れない女の子、祖母の"たまき" などが登場する。
深冬が暮らす読長町の御倉館には、大量の本が所蔵されている。
しかしそこには厳しい警備システムが存在し、誰もそこから本を手に取り、読むことはできなかった。
そして深冬自身も、本が嫌いだった。


そんなところから物語が始まるわけである。
この本はとても読みがいがある。そう思う理由は2つ。


1 物語の中にまた、物語がある

主人公深冬は、何者かによって本が盗まれると、その盗人を捕まえるために 盗まれた本の世界に迷い込む。そこで真白と出会うのだ。

ではなぜ盗まれた本の世界に迷い込んでしまうのか。
実は御倉館にある大量の本全てに、「ブック・カース」という呪いがかけられているのだ。では呪いをかけたのは誰なのか?呪いをかけた理由は?呪いのことを知っている人間は?

この本の中身そのものがファンタジー要素を持ち、そしてミステリー要素も持っている。上で述べた疑問に対する答えに気づいたとき、バラバラに見えた1つ1つの点が繋がって、1本の線となるだろう。


2 最後までなかなか謎が解き明かされない

この本を手に取ってくれるであろう方達のためにネタバレはしないでおくが、この御倉館についての謎は本当に最後の最後までなかなか解き明かされない。

そこが本当におもしろい。「おもしろい」は本当に陳腐な感想かもしれないが、この「おもしろさ」というのはどんどん物語の世界にのめり込めるという"おもしろさ"を表している。

読者は深冬たちが暮らす読長町の世界に入り込む。
そこで暮らす深冬は、さらに盗まれた本の世界に入り込む。
だから読者は、どんどん奥の深い深い謎に満ちた世界に入り込むことになるのだ。

深冬が入り込む"本"の世界。ではこの"盗まれた本"はどんな本なのか。
「この本を盗むものは」という小説の中で深冬は何度か別の本の(物語の)世界に入り込むのだが、実はこの"盗まれた本"にはある共通点があるのだ。

最後の最後までこの本を読んで、この「共通点」を知ってほしい。この本は誰によって書かれたのか?この本がなぜ選ばれたのか?

物語の中に、ヒントはたくさん転がっている。



最初の方で主人公深冬は「本が嫌いである」と書いたが、盗まれた本の物語の中に入り込むことにより、「深冬は本が好きになった!」とかそういう単純な話ではないのだ。

この本で大切なのは、「なぜ深冬は本が嫌いなのか」ということであり、物語の世界に入り込むことによって深冬自身がこの"答え"を見つけていく、ということである。


125ページより  真白は言った。

「(略)私は深冬ちゃんの味方だよ。誰が何て言っても」
その言葉に、深冬は胸のあたりでざわめいていたものが、じんわりと落ち着きはじめるのを感じた。

318ページより 

深冬は拳を言葉に叩きつけていた。〈「あんたは御倉の子なんだからね」〉の文字が粉々に砕け散る。


深冬とはどんな人間なのか。本を読み進めていった時にまず感じたのは、深冬の"孤独さ"だった。友達と心から呼べる人がいない。自分でそれが"寂しい"という感情だとわからないまま何らかのモヤモヤを抱えている。


もう1度書く。
この本は、「深冬が本を好きになるまで」を描いた作品ではない。
「深冬が本当に大切なものを見つけるまで」を描いた作品である。
最後の最後に、深冬は自分の気持ちに気づき、大切にしたい存在を知る。


深冬が最後に自分の感情にどんな答えを出すのか、このnoteを読んでくれている誰かにも、知ってほしい。




おわり。




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