"今"と"未来"のどっちを考えるのか について @教育 (つづき)

なんとなく意見をバラバラ〜と書いて前回は終わってしまったので、一応続きを。

「今この力が社会で必要とされているから」
という理由で子供の成長と向き合っていくのか。
その力を伸ばそうとするのか。

それとも「この先必ず必要とされるような力だから」
という考えで(想像で?)子供の成長と向き合っていくのか。
その力を伸ばそうとするのか。

なんていう話を前回書いたわけだが。


最近社会人の方にうかがったお話の中に、

「未来のための今」に携わるということ
「未来で活躍する人材のために、彼らの今の成長」に携わるということ

というのがあった。「今」なのか「未来」なのかどちらか....という話ではなくて、「今」が「未来」のためにある、ということだろうか。

もう少し"教育"に寄せて考えてみるとどうだろう。

未来で活躍する人材、つまり未来をつくりあげていくであろう人材のために、彼らが今するべき成長に携わっていく、未来を見据えた学びを提供していく....という感じだろうか。

つまり結局それは「今必要とされる力」は変化するものであり、将来必要とされるであろう力が変化したとしても、それに対応できるような力(というか土台のような部分の能力)を今身につけさせておこう、という考えなのだろうか。

今すぐに何かを成し遂げることが求められているわけではなくて、「描きたい未来」というのが国側にも教育者側にも何かしらあって、
それに基づいて「じゃあこういう人材が必要だなぁ、じゃあ〇〇(いつ)の時に〇〇(何)を身につけてもらおう」みたいな感じで逆算して考えているんだろうな。

なんだか当たり前ポエムみたいな内容になってきてしまったが....。



ただ思うのは「未来のための『今』」を考えて教育をしていくということは、
「今の教育を変えない」姿勢につながってしまっているようにも感じている。

だってもう100年以上変わらない教育の仕組みみたいなものが確かに日本には存在しているわけで、世界に出遅れている理由が何かしらあるわけで。。。

今を考えないと、今の教育を考えないと、今「学びの真っ盛り」の若者はどうしたら良いんだろうね。自分自身も、どうしたら良いんだろうね。

大人になればなるほど、教育のダメさというか「なんでこんなに大切なことをもっと早くに教えてくれなかったのか」っていう思いが大きくなるのだけれど、多分それを感じた人の大半はただそれを思うだけで終わっていて。行動を起こしたけどうまくいかない人がいて。政府の立場として変えようとした人がいるけど変わらなくて。

どうしても変わらない学校とか義務教育なんていうものが、そこにあるのだ。
だからこそ教育について考えるときは、ビジネスの視点から考えていきたいなぁ、という思いも自分の中に存在している。


その一方で「主語を大きくすること」への気持ち悪さも自分の中に確かに存在していて。
「今時の若者は〜」なんていう大嫌いな言葉を言う大人には絶対になりたくないし、「今はこう言う学びをする『べき』」という「べき」論を、本当は唱えたくないと思っている。


働き方は自分で選択する時代....というような話を書いたけれど、
学びの内容も、どんどん自分で選択できる時代が来るといいな。
就活にまみれて 大学生の本業が勉強でなくなりつつある中で、「学び」を考えるきっかけが就活の中にももっと多くあると良いな、と思う。
大人の価値観から学べることって素直にたくさんあるからね。

今の教育に対して今問題提起することも、忘れたくないような。。。




この辺でやめておこう。

また明日。