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- わたしゴト -

よくいる24歳、人間。


1999年生まれ、満24歳、B型、女、魚座。
はじめての投稿。
言葉を綴るのも、言葉を読むのも好きだから勝手に気まぐれに綴っておく。

24年間しかまだこの世界を生きてないけれど、
私なりに私の世界があるし、私だけの考えが沢山ある。

社会に出てから沢山の人と出会って、
仕事や友達や家族、友達、見知らぬ人から沢山のことを学んだ。

私の考え、生き方、人間性が大きく変化したと感じる
社会に出てからの”わたしゴト”をプロフィール代わりに綴ろうと思う。


- 大好きな服を仕事にした、新社会人。


小学生から大好きな服を、仕事にした。
感覚や直感的に小学生から自分は服に囲まれた、服と関われる仕事に就くだろうなって勝手に確信してた。

服飾の専門学校に進学して、
服しか見てなくて、服と関わらない自分は自分じゃないと思う程
何も考えず、ただただ卒業してアパレルの道に進んだ。
憧れを超えて、自分にとって当たり前の道だった。

服が好きなだけの私。アパレル店員の私。
すぐ、壁にぶつかった。

ただただ”服”が好きな私は、
人に全く興味がなかった。
服を買いにくるお客様のニーズも、目的も、気持ちも、
お客様自身の情報に興味も関心もなかった。
服についての会話しか出来ず、
ただただ全力で服の魅力と愛をひたすらに語った。

私の服への熱意に圧倒され、私の負けだと言い放って、
私が提案したスタイリングを一式買ってくださる方も沢山いた。
でも、私自身を好きになってファンになる人はほんの一部だった。
アパレル店員に顧客は必要不可欠だった。

お客様の私生活に全く関心がないがために、
服の提案しか出来ず、顧客が出来ず、売り上げも伸び悩んで、
入社して半年間は苦労した。

そんな中、私の直属の3つ年上の先輩は服より”人”が好きだった。
暇があれば人間観察をするし、
入店してきたお客様に対して一番に思うことは
”この人何の仕事してるのか”とか、どんな人なのか気になって仕方がない、
というくらいとにかく人が好きだった。
意味わからないくらい顧客がいた。


物凄く不思議で、羨ましくて、悔しかった。

そこから毎日お客様より先輩を観察した。
服を熱弁する私とは真逆、ずっと服とは関係ない日常会話をしてる。
気付いたらレジにいる。

観察して、沢山先輩に質問して行き着いた答えは”疑問心”
人に対して常に疑問から入るのをベースにした。
全ての言動に対して”何故?”と考えるようになった。
そう自ら仕向けた。

そうしてると3年経った時には、
当たり前に疑問が浮かんで、質問のオンパレード。
顧客の数は入社して半年の3倍になった。
顧客、仕事に限らず、この”疑問心”はタメになった。

人と関わる時に相手への興味関心って全ての人間には中々難しい。
でも例え第一印象から苦手だ、と思った人でも
一度”何でこの人はこうなんだ”と考える。
そうすると意外と新しい発見だったり、
人間の面白さにも気付くし、
人への言動に対して客観的に考えられるから自然と優しく接せられる。

他人に全く興味がなかった私。

仕事上最初は興味を持たざるおえない環境だったけど、
服だけ語れるアパレル店員よりも、
会話が上手で、聞き上手、話し上手な人間性豊かなアパレル店員のが倍楽しいだろうし、一人一人に合ったよりいい提案が出来る。
ああ、何て奥深い職業で面白くてこんなに大変なんだと実感した。

服を通して、人への興味関心で人との繋がりが深くなった。
今の私を形成してる多くを占めてる経験。
客観的に、俯瞰的に見たら人間は優しくなれる。そう学んだ。



- 私の周りにいる、素敵な友達たち。


社会人になってから友達が激減した気がする。
言い方を変えれば、いい意味でも悪い意味でも互いに自分が一緒にいて心地良い関係、互いにいい時間を過ごせる相手だけに無意識のうちに精査していると思う。

社会に出たら毎日が目まぐるしく過ぎていって、自分の時間や休める時間が急になくなる。
人間平等に一日24時間与えられてるのに休日も仕事の疲れをとるのに必死で常に時間が足りないという感覚に陥る。

そのせいか友達と会う時間も必然と減った。
限られた時間の中でいかに有意義な時間を過ごすかが大事になると、ポジティブで前向きな言葉を放つ人間に惹かれる。
別に負の感情を全否定するわけでもないし、負の感情は大事だけど常にネガティブ思考の人と一緒にいると自己肯定感も下がるし、互いに負の連鎖に陥る気がする。

愚痴を言うのもいい、落ち込んでも病んでもいい。
ただ私は、会う日に雨が降っても
”雨だから素敵な映画に出会えたよね”
”雨の音を聞きながら車の中で飲むコーヒーは格別だね”
と、そんな小さな日常に起こる少し嫌な出来事をポジティブ変換する思考が大事だし、それを口に出していい時間を過ごそうと思える人が好きだ。

せっかく会うのだからいい時間を過ごしたいし、過ごしてほしいからこそ自らポジティブな言葉を伝える。
家に帰ってからいい時間を過ごせたな、と思える友達しかいないのは私の周りには素敵なポジティブ人間がいるから。

負の感情や自分の弱さを殺さずに、前向きな変換をしようと、強くあろうとする弱い人間が、私は好き。
その方が自分にも相手にも優しく接せれられる気がするし、きっとそうだと信じているし、物凄く尊敬しているからこそ私も相手にとっていい相手でありたいと思える。
必然と友達は減るものかもしれないけれど、そういう関係でいられる友達を大事にしようと思えるし、物凄く尊いものだと思う。
友達のおかげで弱くも、強くもいられる。


24年間をただ2つの目次にして、
ここに書き留めただけであって、
もっと沢山の人と出来事で私は私を構成してきたし、
まだまだ思うことも沢山ある。

少しずつ書き出していこうと思う。





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