見出し画像

“バイバーイ”の枇杷

6年生になると、入学してきた新1年生の付き添い係りをしなければならなかった。わたしが担当したのは、ゆうくんというぽちゃぽちゃした男の子だった。

小学校の新1年生というと、その前の月までは幼稚園や保育園に通っていた本当に小さな子たち。すでに腕力を持てあましていた3つ違いの弟と本気で取っ組み合うこともあった私には、触れればこわれてしまいそうな小ささが、新鮮でもありこわくもあった。

5月に行われる春の運動会では、担当している子と一緒に競技や見学をする。教室の椅子を並べた見学席でちょこんとすわっているゆうくんの、テディベアのようなふんわりとした丸い背中に、ちょっとしたいたずら心が湧いた。

ゆうくんの背中をトントンとつついて、彼が後ろを振り向いた瞬間に椅子の背もたれに姿を隠すといういたずらをしたところ、泣き出してしまった。さすがにまずいと思い、その席に今到着したいつもの付き添いのお姉さんを装って、どうしたの?と声をかけた。

「たくくんが・・・せなかを・・・ドンドンとたたくんだ・・・」

そうか、自分はトントンと軽くつついたつもりだったのに、このくらいの子にとっては、叩かれた痛さなんだ・・・。後ろに座っている何も知らないたくくんに濡れ衣を着せておくわけにもいかないので、

「ごめんね、おねえちゃんがゆうくんをびっくりさせようとおもって、せなかをトントンとしたの。でもいたかったんだね、ごめんね」

「おねえ(ヒック)・・・ちゃんだっ(ヒック)・・たんだ(ヒック)・・・」

初めての運動会で緊張していたところに背中をドンドンとされて、どうしたらいいのかわからなくなってしまったのだろう。やめてと言えばいいものを、ゆうくんはそういうことが言えない子だった。しゃくりあげるゆうくんを落ち着かせようと背中をさすっていると、もう弟には感じなくなった、母乳の匂いがした。

6月に入って実施された全校遠足では、付き添い係りは新入生が電車で騒いだり、歩道から飛び出したりしないよう、目を光らせなければならなかった。目的地で新入生と六年生合同のリクリエーションが終わると、お弁当の時間がやってきた。付き添い係りは担当している子とお弁当も一緒に食べることになっていたので、ゆうくんに声をかけると、たくくんと一緒に食べたいといった。

運動会のときのわたしのいたずらで、あやうく濡れ衣を着せられそうになったたくくんとは教室の席も前後で、ふだんから仲良くしている。たくくんは優等生風のハキハキした子だったが、ゆうくんの言葉にならない優しさをさりげなくフォローしてくれる、ゆうくんとは違った優しさをもった子だった。

たくくんとたくくんの付き添い係りとゆうくんとわたしの4人で敷物を敷いた。

みんながどんなお弁当を持ってきているのか、ちらっと横目でのぞく。厚焼きたまご、ケチャップがけのウィンナー、鳥の唐揚げなど色とりどりのおかずが小さなお弁当箱に詰められていた。ゆうくんのお弁当は、銀紙に包まれたおにぎり2つとオレンジ色のはじけそうな大きさの枇杷が数個だけだった。ゆうくんは2つのおにぎりを食べ終わるともうお腹がいっぱいといって、枇杷を2つ3つくれた。

この遠足を最後に、付き添い係りはお役ご免となった。

数日後、近所の商店街を歩いていると、おねえちゃんと呼ぶ声がした。あたりを見回すと、お母さんと一緒に自転車に乗ったゆうくんがいた。

「いつもうちの子がお世話になっています。ゆうはきょうだいがいないから、毎日たくくんとおねえちゃんのことを話しているんですよ。遠足では一緒にお弁当も食べてくださったとか」

学校の係りでやっていることなので、改めてお礼を言われるようなことではないけれど、お母さんからそう言われて、顔がほころんだ。

そして、もしよかったら、これ、持っていってくださいと、何か白い包みを持たされた。

「おねえちゃん、バイバーイ、バイバーイ、バイバーイ」

ぽちゃぽちゃした手をなんども振ってくれるのがいとおしかった。家に帰って渡された白い包みを開けてみると、遠足のときにもらったのと同じ、太陽の匂いがする大きな枇杷がひと枝あらわれた。

夏休みを迎えると、所属していた音楽クラブで秋の運動会にむけた鼓笛隊の練習に追われた。ときどきプールや校庭開放で、ゆうくんとたくくんが一緒にいたり遊んでいたりするのを見かけるだけだった。

二学期が明けてしばらくすると、たくくんが別の子と一緒にいるようになり、ゆうくんの姿が見当たらないことに気がついた。たくくんにゆうくんはどうしたのかとたずねると、伏し目がちに転校したといった。

ゆうくんの担任の先生のところに駆け込んで事情をきいた。ゆうくんは母ひとり子ひとりの家庭で、お母さんと一緒にお母さんの故郷へ行くことになり、夏休みが明ける直前に転校した、ということだった。

その足で図書室の図鑑のコーナーに寄って、お母さんの故郷だという土地について調べてみた。南の方の温暖な土地で枇杷の産地ということだった。ぽちゃぽちゃした手で枇杷を不器用にむいてほおばっていたゆうくん。図鑑の枇杷に水滴がぽとりと落ちた。



※本noteは、2019年に実施されたあるコンテストに応募した作品を、コンテスト結果発表後に加筆編集したものである。また、本作はフィクションであり、登場人物は架空の人物で特定のモデルは存在しない。



・・・お読みいただき、ありがとうございます。何か感じていただけることがありましたら、「スキ」やフォローしていただけると、嬉しいです。「スキ」にはあなたを寿ぐ「花言葉」がついています・・・noteの会員ではない方も「スキ」を押すことができます・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?