見出し画像

戦国武将の命をかけた花生け

連載シリーズ 物語の“花”を生ける 【プロローグ】はこちらから

第2回 歌舞伎の演目 『時今也桔梗旗揚 ときはいまなりききょうはたあげ』 (鶴屋南北)

今年(2020年)の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀の家紋が花の「桔梗」であることを、ご存知の方も多いのではないだろうか。

桔梗紋は、清和源氏の流れを組む土岐氏の初代光衡が、野に咲いていた水色の桔梗を兜の前立にさして戦場に赴いたことがはじまりで、その土岐氏の庶流一族である明智家も使用したと言われている。

通常、戦場の旗紋は黒が用いられるが、土岐氏庶流の桔梗紋は、白地の布に水色で染め付けられたもの、あるいはその逆で、水色の布に白で染め抜かれたもので、かなり目立ったらしい。

明智光秀に討たれた織田信長の子孫の家では、現代でも桔梗の花は飾らないという。

桔梗が明智光秀にゆかりのある花だと知ったのは、私が大学入学直後に初めて観た歌舞伎の『時今也桔梗旗揚』(ときはいまなりききょうはたあげ)という演目だった。

子どものころ、野に咲いている草をあまり深く考えずに家に持ってきた少女が、それを大切に育てたところ桔梗の花が咲き、幼なじみへの恋が成就したというというストーリーのマンガを読んだ。花が咲いたことと恋が成就したことには因果関係はないのだけれど、それで桔梗の花言葉が「変わらない愛」ということも知って、私のなかで桔梗は、恋愛と結びついた花だった。

だから歌舞伎座の前の看板で演目名のなかにある「桔梗」という文字を見つけたとき、胸が高なった。これはきっと恋愛モノに違いない・・・。当時、演目名の「桔梗」の文字以外の意味を理解していなかった私は、かなりとんちんかんな期待をして、席についた。

ある武将が上司にあたる強面の人に叱責されてばかりで、ずっと頭を下げっぱなしにしている。途中、盥で何かを飲まされたり、木箱が運ばれてきて、それをネタに笑い者にされたりしている。そんなやりとりに耐えかねた様子の武将は、自分の屋敷らしきところに戻って、切腹するのしないのと一悶着があったのち、どこかへ向けて出発するところで幕が下りた。

あれ? 桔梗はどこ? 恋愛モノじゃ・・・ないの・・・?

初めて観た歌舞伎で、歌舞伎独特の台詞回しや言葉遣いがほとんど分からなくて、どんなストーリーでどんな人物が登場しているのかも理解できなかった。期待していた桔梗の花も出てこなければ、恋愛モノでもなかったことだけがわかり、がっかりした。

大学で歌舞伎研究部に入部すると、部室の本棚に演目や俳優に関する名鑑や解説本があった。それをパラパラめくっていると、『時今也桔梗旗揚』という、見覚えのあるタイトル文字が目に入った。

解説によると、江戸時代の終わりごろ、鶴屋南北によってかかれた「本能寺の変」を題材とした時代もので、初演当初は『時桔梗出世請状』(ときもききょうしゅっせのうけじょう)というタイトルで、全五幕で上演された。明治以降は『時今也桔梗旗揚』というタイトルで、三幕もので上演されることになり、現代ではさらに短くなって二幕もので上演されることが多い。また三幕、二幕で上演する際も、そのときどきによって場面や構成は取捨選択されるということだった。

「本能寺の変」に至るまでの心理劇

主君小田春永(織田信長)から貴人の接待役をまかせられた武智光秀(明智光秀)は、厳かにその準備を進めた。鷹狩りから戻った春永に準備の検分を願い出たところ、武智家の桔梗紋の水色の幕を使っていたことに、春永は「接待役は光秀だと世に宣伝する気か?今日の接待主はこの春永だ」といって激怒する。小姓の森蘭丸に鉄扇で眉間を打たれ、蟄居を言い渡される光秀。殊勝な態度を見せながらも、無念をにじませる。

場面替わって、本能寺の客間。そこには中国攻めの最中にあった真柴久吉(羽柴秀吉)から届けられた馬の盥(たらい)に生けられた錦木と、秀光の妹が生けた昼顔と紫陽花の花籠がしつらえられている。春永は久吉の馬盥の錦木を手放しで褒めるが、秀光の妹が生けた昼顔と紫陽花に対しては、すぐに枯れてしまう、色が移ろう不吉な花を用意するなんてどういうことだ、また不快を露わにする。

なんとか森蘭丸と妹のとりなしで、光秀は先の蟄居が許されて春永への対面がかなうが、春永からなんだかんだと言いがかりをつけられて、久吉が用意した馬の足を洗う盥で酒を飲むよう強要される。そして降格して久吉の家臣になるように命ぜられたり、領地没収をほのめかされたり、長い間所望していた宝物や名刀をほかの者に下賜されたりしてしまう。

それでもなんとか耐えていた光秀の前に、女の黒髪が入った木箱が現れる。かつて光秀が不遇を極めていた時代、客人をもてなすために妻が髪を売って準備をしたことを示すもので、それを多くの面前で春永に暴露されてしまう。光秀は主君のあまりの仕打ちに涙しながらも、無念さからある思いを胸に抱く。

場面替わって、愛宕山。秀光は自身が主宰する連歌の会で、家臣に何かを言いつけて外出させる。そして、心配して待っていた妻に、黒髪の件が多く面前で暴露されてしまったことを告げ、夫婦ともに涙にくれる。そこへ春永の家臣が春永の命をたずさえてやってくる。死に装束と切腹用の短刀を持って迎える光秀は、「領地没収の命と推察するが、あまりにも理不尽で屈辱的な命だ。死を持って抗議する」と訴え、辞世の句を詠む。

「時は今 天が下知る皐月かな」

まさに切腹しようとしたその瞬間、光秀はその短刀を投げつけ(場合によっては胸元に隠していた手裏剣で)春永の家臣を倒す。そこへ先ほど外出させた光秀の家臣が戻ってきて、武智軍が本能寺を包囲したことを告げ、出陣を促す。驚きあきれる妻と妹(場合によっては光秀の息子)は、光秀の出陣を必死に止めようとするが、光秀は一切耳をかさない。もはやこれまでと悟った妻と妹は自害。光秀はそれを気にかけることもなく本能寺へ向かう。


ああ、こんな壮絶な話だったのか。桔梗は武智家の家紋だったのか。

理不尽な言いがかりと仕打ちを繰り返す春永と、ひたすら忍従するしかない光秀。春永を討つ以外に自身の生きる道はない、と追い詰められていく光秀の心理が描かれている。

この芝居の中では、春永が光秀に対してこのような理不尽な仕打ちをする理由や経緯は描かれていない。実際、史料にも信長によるこのような仕打ちがあったことは記されていないらしく、光秀が本能寺で信長を討った動機が不明であったことから、二人の間でこのような心理的軋轢があったのではないかと推測して、フィクション化されたと思われる。

全身全霊をかけて自らの生き方を花に託す

武智家(明智家)の桔梗紋の幕を使ったことが春永の不興を買い叱責される場面は、現代ではあまり上演されていないのだが、この場面と本能寺の客間の場面から想像する光秀は、勤勉で実直、実務者としては有能だったがゆえに、茶目っ気というか遊び心がない、どちらかというと正論を口にしてしまう、人の機微に疎い人物として描かれている。

桔梗紋の幕の一件も、光秀としては接待役の家の紋が入ったものを使うというしきたりに従ったつもりなので、なぜ自分が叱責されているのか分からない。理路整然としきたりどおりにやっていると弁明したことが、さらに春永を怒らせる結果となった。

春永としてはあくまでも接待の主は自分であり、光秀は実務者にすぎない、使うべき幕は小田家の紋が入ったものだという認識なのだ。おそらく主君の心の機微を知り尽くしている久吉であれば、「おやかたさま、おやかたさま」と春永を立てて、小田家の紋が入った幕を用意したのだろう。

そのことを如実に示しているのが、次の本能寺の客間の場面だ。

久吉の用意させた馬の盥(たらい)を花器にくつわを花留めに生けられた錦木は、ある意味、不思議な取り合わせだが、久吉が春永の馬番に取り立ててもらったことに因んでいる。そして、ここにある錦木というのは植物の錦木ではなく、能の「錦木」に登場する、さまざまな美しい布で飾られた枝ではなかったか。

実際の舞台上での小道具がどうだったかは、今は覚えていないが、久吉としては「おやかたさまの馬番に取り立てられたおかげで、このような美しい高価な布を買うことができるようになりました。おやかたさまのご恩に感謝しています」という意味を込めたと思われる。春永はそれを見抜いたからこそ、久吉の馬盥に生けられた錦木を褒めた。

一方、秀光が妹に用意させた花籠には、桔梗紋の幕の一件で受けた蟄居の許しを請いたいとの意図が込められている。教養があり連歌もたしなむ光秀が選んだ昼顔も紫陽花も、季節にかなった趣味のよい取り合わせで、きっと当時としてはなかなか手に入らない高価なものだったのだろう。

しかし鶴屋南北がかいた初演の『時桔梗出世請状』を読むと、春永は光秀のとりすました花籠が気に入らず、「昼顔の源氏のうちに入らざるは、旗の赤きや平家なるらん」という歌を引き合いにして、昼顔の赤い花に赤い旗を掲げた平清盛とそれに連なる自分をなぞらえているのではないか、色が移ろう紫陽花と一緒に生けているのは、自分の武運が平家のように空しく移ろうよう呪っているからではないかと邪推する。

それは誤解だと皆のとりなしでなんとか光秀の目通りかはなうものの、春永への挨拶でもその言葉の端々から自らの正しさや手柄を主張する態度がうかがえる。春永は久吉のようなかわいげ(感謝や服従)が見られない光秀に、苛立つ。

光秀も決して春永に対する感謝や服従の意がなかったわけではない。春永にどんな理不尽な言いがかりや仕打ちを受けてもひたすら平身して仕え、「どんな役目でも引き受けます。戦場にもお連れくだされば、そのご恩を忘れることはありません」といってすがる。

裸一貫、春永の心の機微を読むことで出世してきた久吉と、武将として生まれ育ち自らの実績でここまできたと自負する光秀、光秀の忠心を疑う春永を、花の生け方一つで描き分けた南北の発想と筆力にハッとさせられた。

これはもちろんフィクションではあるが、戦国時代の武将にとって、花を生けることは命がけであったことは想像にかたくない。美しく生けるとか、季節らしさとか、いやしやなぐさめといったことの一切を超えて、全身全霊をかけて自らの生き方や伝えたいことを花に託さなければならない。そして、それは必ず相手に理解され、受け入れられなければならないものであり、受け入れらなければ、すなわち死を意味した。

* * *

花の水を取り替えながら、もう一度花を生け直してみる。夏の旺盛なエネルギーをたくわえた花々と格闘しながら、カチンカチンという花鋏の音に、心の波風はいつの間にかおさまっていく。最後の一本差し入れると、荒涼と広がる原野にたたずむ武者姿の人物が、手にした桔梗をひとり見つめていた。



※本note執筆にあたり、現代の歌舞伎で上演されている『時今也桔梗旗揚』の戯曲(台本)を手に入れることができなかったため、以下の鶴屋南北初演作の『時桔梗出世請状』をもとに、歌舞伎の各種解説を参考にした。


※本noteでは、芝居そのものの見所について紹介することはできなかったが、武智光秀を演じる二世中村吉右衛門さんがインタービューでその見所を解説されているので、ご興味持った方はぜひお読みいただきたい。



第1回 純度の高い恋は地に落ちて、いっそう輝く 『ナイチンゲールとばらの花 』(オスカー・ワイルド)

第3回 鬼がこの世にだだひとり、生きた証を刻みつける花 『紫苑物語』(石川 淳)


・・・お読みいただき、ありがとうございます。何か感じていただけることがありましたら、「スキ」やフォロー、サポートしていただけると、嬉しいです。「スキ」にはあなたを寿ぐ「花言葉」がついています・・・noteの会員ではない方も「スキ」を押すことができます・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?