遅参の胸中

「いやー、何とかなったな。とりあえず外には出れた」
「荷物はほとんど無いけどね。この後どうするつもりなんだよ」
「うるさいな! どっちにせよ、燃えてしまってどうもできなかっただろ?」
 二頭のタカダガを並走させながら口論を始めるピーシャルとレガ。ブリンゴはピーシャルの後ろでぐったりとして、しがみつくのに精一杯の様子。
「あんたたち。良くやってくれたね」
 終わりそうになかった口論にノイが一言口を挟むと、言い争いはぴたりと止み。我先にと言わんばかりにノイに言葉を返す。
「……しばらく俺の後ろでゆっくり休んでてよ」
「ああ」
「ノイさん! タカダガに乗ることを提案したのは俺なんだぜ!」
「ほう、そうだったのかい」
 かわるがわるに話しかけてくる二人を見て、イーブスの雛が餌をせっついてるかのように思ったノイは、思わず笑ってしまう。
 二人は、あの丘でノイと別れてからの行動について、恐らく自らの活躍を誇張しながらではあるものの、できる限りこと細かに話し始めた。

「ノイさん!」
 目が眩むほどの光と轟音の中心へ向かって走り去ったノイ。彼女を追いかけようと立ち上がったレガの腕を掴んだピーシャルは、短い一言を発したと思えば、そこからは無言を貫いている。
「なんだよp・p、離せよ。早くノイさんを追いかけないと」
「違う。俺たちがするべきことはそうじゃない」
 俯いたままそう話し、顔を上げることのないピーシャル。彼がふざけているのでは無いということは、レガの腕を握る力強さが物語っている。
「どういうこと?」
「こっちだ」
 腕を引っ張られるがままに、レガは体ごとをピーシャルに預ける。思えば昔から頭が切れたピーシャルは、ことあるごとにレガにいたずらを仕掛けていたものだと、幼心を思い出す。
 レガが後に続いていることを確認したピーシャルは、ほどなくして手を離すと一目散にレガの家へ向かって駆けていた。その勢いには何か確信めいたものすらある。
「なあ」
 レガには一つだけ確認しておかなければいけないことがあった。
「なんだ? 今は時間が無い。ついたら説明してやるよ」
「ノイさんの為だろうな?」
 レガの問いかけにもピーシャルは振り向くことは無い。二人が向かっているのはノイが走り去ったのとは真反対、そのことがレガは気がかりだった。
「当たり前だろ」
「ならいいや」
 振り返ることのないピーシャルが、果たしてどんな表情をしていたのか。当然のことながらレガには知る由もない。例え前方を走るピーシャルが、ノイに褒めてもらうことを想定して、満面の笑みを浮かべていようとも。
 月夜の中を走る二つの影は、強く吹き始めた風を除けば、何にもとがめられることは無かった。深い森を避けることの時間の損失は、この三年で鍛えた脚力でカバーする。
 レガにとっての懐かしい我が家は、今となってはタカダガの厩舎が残るのみ。ゆうに五十頭は収容できるであろう厩舎自体も閑散としている。
「で? p・P。うちのタカダガで何をするつもり?」
 父トロスが自ら命を絶ち、その翌年、後を追うようにして母ジェラもこの世からいなくなってからは、タカダガ自体も数頭を残してほとんどを他人に譲っていた。
「タカダガに乗って街を出る。今すぐだ」
 ピーシャルは息が整うのを待つことなく厩舎の中へと進み入ると、数少なの一頭一頭に対し、挨拶をするようにその毛並みに触れていく。
「おいP・P」
「わかってる。もちろんノイさんも一緒だ。三人で出る」
「他のみんなはどうするんだよ。それに食べ物やそれ以外の物資だって、三人じゃろくに運べないぞ」
「……なあレガ。これは俺の予想なんだが、俺たちの計画は既に失敗してるぞ」
「どういうこと?」
 レガも厩舎の中へ入っていく。感じたのはその匂いか言葉にならない気配か、赤毛のフィデルをはじめとした数頭が、彼を歓迎するように小さくクオンと鳴いた。体を横に倒して眠っていたものも、瞼を開いてできる限り体を柵へ寄せる。
「あんな爆発、これまで見たことないだろ? きっとありゃ火薬ってやつだ。親父の仕事場であれと同じ匂いを嗅いだことがある」
「火薬? あれが……。本で読んだことはあったけど」
 ピーシャルは小さく頷く。
「恐らく俺たちの家が狙われた、細かい理由はわからないけどな」
「そんな……、そしたら早く助けに行かないと!」
「……レガ。あの規模に巻き込まれちゃほとんど助からないさ」
「そんなのわからないだろ⁉」
 レガは厩舎のいちばん端まで走ってフィデルの前まで行くと、慣れた手つきで手綱を巻き、颯爽とその背に跨った。
「P・P! 俺は先に行くから後を追ってくれ!」
「レガ! いいから聞け!」
「なんだよ!」
「爆発の原因はわからないが、もしかすると計画がばれてるかもしれない。そうなると監視の目も厳しくなるだろ? まあ、既になってるかもしれないけど」
 実際のところ。レイヴ・グラによる私怨からくる行いではあったのだが、轟音と大火事に住民が気付くのも時間の問題で、じきに大きな騒ぎとなった。
 翌日の戦争は厳しい監視の目が光る中で行われ、どこからか現れた武装集団が森の警備と称して壁に沿って配備される。
 当然、外への脱出はほとんど不可能と言ってもよい状態となり、ピーシャルの判断は正しかったといえる。
「でも。それじゃあみんなは? 俺たちは良くても……」
 レガはそこで言葉を切る。ピーシャルの言動には理屈が通っており、その意見に賛同する自分を、自らの中に見てしまった。
 この機を逃せば、もう外へは行くことは叶わないかもしれない。
「俺たちが外を目指す理由を忘れたのか?」
 たたみかけるように問うピーシャルに対し、レガは首を横に振る。
「忘れてなんかないさ。身投げなんてふざけた考えを無くす。人が人として生きるために」
 壁についてと同様、身投げという風習についても、街には童話のような文献が残るばかりで、その成り立ちについてなど調べる術は無かった。
 ただ一つ確かなことは、ノイの故郷には存在しない風習だということ。そこに行けば、何か解決の糸口が見つかるのではないか。そう考えたレガたちは、一縷の望みをまだ見ぬ世界に託す。
「そうだ。そしてそれは、街の中にいたんじゃ到底無理だ。わかってるだろ?」
「わかってる。わかっているさ」
 父トロス、母コット。二人の命が失われ、たとえビーク性がこの世に一人となったとしても、レガが孤独をひどく感じることが無かった。
 その理由はレガ自身にもわかっている。ノイをはじめとした、盗賊団の面々との騒がしい日々が、レガに悲しみを感じさせることを阻害してくれていた。
 異なる質量を持ったおもりが、天秤をどちらに傾けることも無いまま、時間だけが過ぎていく。こうしている間にも、ぼんやりと見えていた明かりは徐々にその光源を拡大させていた。
「レガ! わかった。とにかく行くぞ! どちらにせよノイさんがいないと、外に出ても何もわからない」
 レガが逡巡の時を経ている間に、ピーシャルはというと、銀色のタカダガに鞍を置いていた。颯爽と跨り、鐙を履こうとした彼だったが、寸前のところでタカダガが体を大きく反らした。
「うおっ」
 体制を崩したピーシャルが地面に転がったのを感じ、銀の毛並みを揺らしながらブフンと鼻を鳴らすタカダガ。その声に、思考を遠くに飛ばしていたレガが帰ってくる。
「P・P、その子はP・Pには乗れないよ」
「なんでだよ! 俺だって、それなりにこれまでタカダガには乗ってきたんだぞ? なんだ? 男前は乗せらんねえってか?」
 激突の先陣を切った肘をさすりながらぼやくピーシャル。そんな彼にレガを乗せたフィデルが歩み寄る。
「違うよ。彼女は決まった主人しか乗せないんだ、俺だって乗せてくれない」
「じゃあ誰が?」
 ピーシャルに歩み寄ったかに見えたフィデルは、彼を超えて銀のタカダガの元へ歩みを進める。機嫌を伺うようにしながら、その毛並みをそっと繕った。
「父さんだよ。彼女は、今でも父さんのことを待ってるんだ」
 レガはそう言うとフィデルから飛び降り、黒の毛を全身に纏った一頭を引っ張ってくる。フィデルに比べると、少しばかり体の小さいそのタカダガは、厩舎からの外出を予感してか、既に鼻息が荒い。
「こいつにしなよ。きっとP・Pと気が合うと思う」
 引いてきた手綱を起き上がったピーシャルに手渡す。受け取ったピーシャルに頬を擦り付けると、自らの意気込みを示すようにバルンと鳴いた。
「おうおう。元気いっぱいだな」
 ピーシャルが空いた方の手で背中を軽くさすってやると、鞍を置けと言わんばかりに足を折り曲げる。その指示に従うように、二頭の間で鞍の付け替えが行われた。
 鞍の外れた銀のタカダガは、悠然とした歩みで自らの房へと戻っていき、トロスを呼ぶかのように小さく鳴いた。
「よし! そんじゃあ行くか! レガ。こいつの名前はなんて言うんだ?」
 滞りなく背に跨ったピーシャル。走り出す時を今か今かと待ちわびるように、蹄を鳴らす彼の名を、レガはエルネスと呼んだ。
「そうか。よろしくな、エルネス」
 名を呼ばれたことがわかるらしいエルネスは首を高々と振り上げると、バルンバルンと二度鳴いた。意気揚々としたエルネスと、思慮深く遠くを見つめるフィデル。
 人馬一体、燃え盛る木々の群れの中をかき切るように突き進む彼らは、その道中、荒い呼吸で歩くブリンゴの姿を発見した。

「そんでブリンゴから事情を聞いた俺らは、我らがノイさんを救うため、さらにエルネスたちを走らせたわけよ」
 数十分前に街を駆け出たノイ達一行は速度を落とし、見晴らしの良い草原を横切るように進んでいた。
 脱出の計画は予定通りといかなかったが、ノイの指示に従い当初の目的地である山の中腹を目指す。にわかに降る塵が、未だ遠くに見える山の稜線をぼやけさせる。
「あの時はお前らが輝いて見えたな。ピーシャルですら格好よく見えたんだから、俺も相当参ってたよ」
「おいこらブリンゴ。ここから突き落としてやろうか」
 エルネスの背に乗ったピーシャルとブリンゴは、その馬上でじゃれあっている。エルネスはというとそんな騒ぎを気にする素振りも無く、街から離れるほどに減少していく降塵を惜しむかのように、口の中でゆっくりと食んでいた。
 その様子を眺めているのはフィデル。自らの背中がとても穏やかなことが気になったのか、歩みを止めるまま首を後ろに向けると、その眼には乗せることで安らぎを感じられるいつもの顔が、わずかに沈んだ表情をしていた。
「クオン」
「ん? どうしたフィデル?」
 フィデルが自分を見ていることにやっと気が付いたレガは、その頭にそっと手のひらを重ねる。そのままするすると手の位置を下げ、頬を二度ほど撫でてやった。
「レガ」
 背中をとんとんとつついて声をかけるノイ。火傷や煤こけた跡があちこちに残る肌は、レガの着ていた外套に包まれてその痛々しさを潜めている。
「どうかした?」
「山に近づく前に、この辺りで一度休もう。フィデルたちを労わってあげないと」
「えっ? あっ、そうだね。ほんとだ」
 人や物を運ぶことが主な役割であるタカダガ、その疲労は歩行のリズムに現れる。疲れが浅いときには左右の歩幅が揃っており、乗っている者がほとんど揺れを感じないほど綺麗な歩き方をする。
 そのリズムは疲労の蓄積と共に乱れを起こし、体を振ってバランスを整えようとするあまり、体が大きく左右に揺れ始める。タカダガ乗りであれば、必ずと言ってもいいほど基礎的な知識をレガはすっかり失念していた。
「P・P! いったんここらで休もう!」
 ノイから指摘を受けたことを誤魔化すかのように、振り返って声を張り上げるレガ。振り返った先には、抜けてきた森がわずかに見えるばかりで、彼が生まれ落ち育ってきた街は、もうすっかりと見えなくなっていた。

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