milkieko

2019年より完全に目覚めることを決意し、日々、統合中。 ダークな私の部分を綴ってます。

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最近の記事

肉体との会話

身体の内に溜めたゴモクの掃除 へその下に意識を置き、尋ねる。 「どこにゴモクが溜まってる?」 『膝』と答えた。 再び尋ねる。 「どんな荷を下ろしてほしいの?」 『進みたかったのに、進めなかった』 そうだね。 いつも何かをやりたいと思っても、自分にストップをかけてた。 そんなことできるはずがない。 不可能だ。 わざわざ、夫にも進まないために、「仕方ないね」という言葉を何度も使わせた。 やってみたかったんだね。 純粋な私のエネルギーはただやりたかっただけ。 そのエネ

    • トラウマの解消?

      今朝はとても面白い夢を見てね。 友人とマルシェに出かけた夢。 私の好物でもあるスピリチュアル的なイベントが多く 私は波動調整というブースに入った。 その前に、受付で確認されたのは このブースに入れる人は、ある程度、自分を整えている人です。 と問診があった。 私は自慢げに 大丈夫です! 日々、内観してます! と挑戦に挑むような形で参加した。 そこにはひとりの女性がいて、私を招き入れたので 私は慌てて、彼女の前に座った。 そして彼女は私の額におでこを当てた。 私はすべて

      • 「羨ましい」という想い

        「羨ましい」は自分の不足からやってくる感情なんだ。 外側のものを望んで それを手にしたところで 不足感は永遠に消えることがない。 だから、望むものはまだ遠くにあるまま。 フォーカスするのは内側だけ。 自分を視て。 まだ得ていないものを数えるよりも すでにあるものを数えてみたら ものすごくたくさんのものを すでに持っていることに氣が付く。 自我を捨て 内側を視るだけ。 それだけで自分は満たされていく。 でもそれは小さな小さな作業の繰り返し。 まずは自分を満たすこと。

        • わたしの終わり

          わたしは永遠の探求者。 わたしが終わらない限り、探求はずっと続く。 すなわち、喜びと苦しみは交互にやってくる。 それは永遠に消えることがない。 なぜなら、わたしという存在は、二元の世界で生きているという幻想から、逃れることができないから。 このことが体感として、ストンと肚に落ちた。 それがわたしの終わり。 目醒めや輪廻転生や魂のこと、なぜ、人はこの世に生まれてきたのか? 私の使命は一体、何なのか? 幼い頃から、家族の影響で神様、仏様の観念を学び、観えない世界に興味があった

        肉体との会話

          自由にやってますよ!

          昨日は久しぶりにカードを引いてもらった。 メッセージは 「心の底からやりたいことは何ですか? 自分のワクワクを大切にして、 氣持ちに素直になろう」 だった。 このテーマはスピの学びを始めてから 何度も何度も問いかけられた。 その度に自問自答する。 私は何がやりたいんだろう? 私は何をやっていくんだろう? 私の魂は何を望んでいるんだろう? が、 しかし。 実はこの問いこそが愚問なのではいだろうか? この問いを自分に投げかけた時、 私は必然的に 私がやりたいことをや

          自由にやってますよ!

          梅の実ころりんすっとんとん

          家の裏にある梅の木は、数えるほどしか実をつけない。 昨年は14個。 今年もちらほらと花をつけたけれど、スーパーで梅の実が売られる時期になっても、新緑の葉っぱの中から緑の実を見つけられずにいた。 そんなある日。 裏山に登ろうと足元を見ると、なんと、梅の実が1個、落ちているではないか! 梅の木はちょうど裏山に登る石段の横に在る。 えっ? 梅の実? と、上を見上げてみると、ポツンと梅の実がついていた。 なぁ~んだ。見つけられずにいただけだったんだぁ…。 梅の木が「ちゃんと実を

          梅の実ころりんすっとんとん

          覚醒者と孤独

          目醒めたものには、どこか哀愁が漂うものなのだろうか。 あぁ、これは完璧に私が抱いていたイメージだ。 悟りを開いた者は孤高の人である。 で、少し孤独に憧れた。 しかし、これは外側から見る視点であって、 覚醒者が孤独を感じているとは限らない。 私は今、自分の孤独に愛を送る。 私は今まで、内なる孤独の部分を抱きしめたことがあっただろうか。 孤独で何が悪い? だけど、私は孤独でいることが怖かったのだ。 だから一人でポツンといる人を放っておけず、外国人でさえ、言葉が

          覚醒者と孤独

          固定観念を手放して

          今朝、ミシン糸でレース編みをしている方の作品をTwitterで拝見し、私の中の固定観念が一つ、崩れた。 「ミシン糸でもレース編みができるんだぁ~✨」という発想が、私の中の可能性を広げてくれたからだ。 それまでの私は、「レース編みはレース糸で編まなければいけない」と勝手にルールを作っていた。 こうした思い込みはとても多い。 もしかしたら、こんな思い込みだらけで生きているのかも知れない。 やれない、できない、という発想は、〇〇でなければダメ、という観念が作る。 一方、

          固定観念を手放して

          観念をぶっ壊せ

          地球って丸いと思っていたけど、平面だったんだってさぁ。 月って人工物だって知ってた? NASAは全部、芝居だよ。 テレビやマスメディアが言っていることは全部、嘘。 政府が国民のためにやることは、自分たちの奴隷を作ること。 幸せになるために 愛されるために 豊かになるために 誰かの真似をして、言われた通りのことをやって みんなと同じことをして できるわけがないじゃん。 なれるわけないじゃん。 目を覚ませよ。 今までの常識を疑え。 正解だと思っていたこ

          観念をぶっ壊せ

          何を信じるか

          心の迷いが落ち着く時は 自分を信じることができた時。 心の迷いを解決するのは 自分を信じる というのが答え。 自分を信じることで、私は前に進むことができる。 (迷いを越えることができる。) だけど、自分を信じると言いながら 結果を信じている時は苦しいままだ。 これは自分を信じていないから。 アメリカの大統領選が私の望む結果とはならず 情報も交錯するなか ニュースは全く事実を伝えず 目醒めとは、まだほど遠いんだなぁ、と感じた時、 「自分を信じろ」

          何を信じるか

          試す、疑う、見極める

          肚の声を聴く。 肚の声と対話する。 結構、面白い。 昨夜もお風呂の中で、肚との対話を試みた。 何を質問したのか、もう忘れちゃったけど、対話しているうちになんか、違うなぁ~と思った。 「あんた、誰?」 私は思わず聞いた。 狐の感じがしたからだ。 良い感じがしなかったのだ。 すると、母の顔が浮かんだ。 おいおい、母の意識が狐になって、しゃべってる? 母か、狐か、 どっちだろう? だけど、母が私を惑わすことなんてないじゃん。 これは母の姿をした狐でしょ。

          試す、疑う、見極める

          肚との対話

          肚の声を聴け、ってよく言うでしょう。 以前、頭の上や周囲から聴こえてくる声が、神の声なのか?と思った時があったのだけど、それは違った。 自分の声は肚の中にある。 つまりはハイヤーセルフとか魂とか意識とか… 本質の自分の声とでも言おうか。 昨日、自分の肚の声と対話しているハルさんのYouTubeを見て、面白いなぁ~と思った。 そう言えば、すっかり最近の私は、肚との対話をしていないじゃない! で、肚に意識を向けて、話しかけてみる。 何故か、私の肚の声はエセ関西弁な

          肚との対話